ふるでばぁすと

どかんとぱおん。

冒頭A 12月20日AM2:40 とある殺人鬼の邂逅

柘榴観音ざくろかんのん蟻塚外雲ありつかけうん


 齢百八十にしてなお現役の殺人鬼の名である。若かりし頃は政府直属の秘密保全組織、そこの拷問官として長らく勤めていたが、人の壊れる様に快楽を覚えその行方をくらました。

 それがおよそ百二十年前の事である。それからは北は南へと各地を転々とし、今に至るまで五千と八百七十二人の犠牲を出し、なおのうのうと生きている。

 二つ名の由来は殺しの作法より来る。柘榴の果実というのは熟すと外皮が裂け、内の身を曝け出す。それと観音とは観音開き、人体を割開く様から取られたらしい。観音様などとありがたいものでは決して無い。二つの言葉を貼り付けたただの言葉遊びである。

 つまりはそれを人の身で行う外道の呼び名だ。


 件の老人は今、四つ辻の交差点の丁度ど真ん中に座り込んでいた。雨はとうに上がったが、濡れた黒いアスファルトは氷の様に冷たい。その上に襤褸一枚で胡座をかく姿は修行僧かの様であった。ただひたすらに、微動だにする事なく彼は一人の空間の中にいた。

 枯れ木の様な風貌が寒空の下ではなお、朽ちんばかりに見える。時刻は丑三つ時を廻る深い夜、月明かりは雲に遮られ、どこまでも闇が続いている。

 車の通りもほとんど無い。当然人もである。聞こえるのは名も知らぬ虫や鳥、時々獣の声がするくらいか。


 蟻塚外雲ありつかけうんは死を欲して、四つ辻交差の中央に胡座をかいている訳ではない。

 蟻塚外雲はついに呆けて、我を無くして訳も分からず這いつくばっている訳ではない。


 どうしてか、この木乃伊の様な爺には妙な確信があったのである。

 今宵はこれまでにない鮮やかな肉の果実が味わえる。長年を生きたが故の勘であろうか、と蟻塚は空を見上げた。月はどうにも隠れているが、澄んだ空気が心地よい。深く息を吸う。広がる暗闇が老人の心を満たしていく。

 最後に割開いたのはもう十日も前の事。酒もタバコも賭け事も、他の娯楽はなぁんにも続かんかったのに、これだけはどうにもやめられんなぁ…、くつくつと蟻塚は一人笑いながら禿げ上がった頭頂部を撫で上げた。

 さて、と傍らに置いていた異形の刀を手に取る。幾本もの針金を練り上げたかのような奇妙極まる化生の刀だ。

 これが彼の所有する唯一の相棒と言えるであろう武器、拷問官時代より肌身離さず持ち寄ってきたその刀の名を『血舞流身腑流ちぶるみぶる』。人体を解体するに最も適した形状の、彼手ずから鍛え上げた人体破壊剣なのである。

 彼にとっては女房の様であり、最大の理解者とも言えるもの。手に取るだけで神経が研ぎ澄まされ、老いてなお湧き立つ解体衝動にさらなる火を焚べてくれる。そんな愛刀を手に取り、蟻塚は気がついた。

 甘いのだ。雨上がり特有のカビ臭い匂いの外側から、綿菓子にも似た甘い香りが人気の無い道路に薄く薄く漂っている。

 枯れ枝の様な鼻を鳴らし、意識をさらに周囲に集中させた。落ち窪んだ瞳が右に左にと闇の中を移りゆく。雲が晴れていく。


「なんだ。嗅いだ事の無い…。えも言われん甘い、甘い、天上の菓子のような…」

「腐った血肉の匂いがするわ」

「ぢぇあっ!!!!!」


 突如、現れる背後の気配に振り向き様に刀を振るった。銀の長髪、赤い瞳、凛と立つは獣の耳、背に見えたのは大きく膨らんだ狼の尾、麗しき西洋少女が立っている。

 ほのかに発光している彼女を視界に入れ、蟻塚外雲はほんの僅かの間、年甲斐も無く見惚れてしまった。一矢纏わぬ獣耳の少女に欲情した訳では断じて無い。彼女が纏う空気、威風堂々たるその姿。少女の放つ威圧感、それは人間が放つソレとは大きく異なっていたのである。


 例えばだが、自然現象が姿形を取った存在は精霊と呼ばれる。その生物は人間の自然に対する畏れを糧に、大きな力を持ち、稀に上位存在である大精霊と呼ばれるものとなる。

 彼女が放つ空気は、その自然現象の権化たるものに近い。それでいて、彼女はどうにも獣臭かった。

 大精霊は自然災害の擬人化、とある学者はそう言った。人の畏れを形にした彼らは、如何に人の様に振る舞おうとも、真に彼らに意思と呼べるものはなく、望まれる畏れのままに、あるべき様に振る舞うのみである、と。

 しかして彼女はどうなのか。捕食者然としたその姿。絶対的王者としての不遜な振る舞いは望まれた畏れの形の表れと言ってしまえるだろうか。

 耳、爪、尾まど獣に似た特徴を各所に持つが、それを除けば見目の良い少女の姿。これが人の獣に対する畏れの表れとは到底思えやしない。それに先程から漂うこの妙な甘い香り…。

 もしや、と蟻塚は一つだけ思い当たるものがあった。かなり古い記憶であった。まだ、己が政府直属の頃…


 と、この枯れ木のような老人は愛刀が彼女に触れるまでのほんの数瞬の間に、彼女の正体に対して答えを出そうとしていた。


 瞬間、彼女と瞳がかち合った。しかしゆったりとした動きで逸らされた。この時、蟻塚の思考が停止する。百八十年間生きてきて、人生三度目の屈辱を味わわされたからだ。

 この女は己から目を逸らした訳ではない、蟻塚にはそう確信があった。

 興味のないものはいくら近くにあろうとも見えやすらしない、そう言った経験は誰だってあるだろう。まるで興味の湧かない物に対して関心を払う筈が無い。ただ、目を向けた方向に取るに足らない存在がいたというだけ。そもそも蟻塚は見られてすらいなかった。それだけの事だったのだ。

 怒りと屈辱は蟻塚の全身を電流の様に駆け巡り、しかし年の功たる沈着さにて腹の底に沈め込んだ。

 すぐ後にはこの少女は、否、このは蟻塚の欲の捌け口となる。ただその結末だけが蟻塚を冷静にさせていた。

 『血舞流身腑流ちぶるみぶる』が少女に触れた。振り抜く挙動の中で無数の刀身が枝分かれ、再び組み付き、新たに分かれ、また絡み付くという特性を持つ異形剣。

 その不規則な挙動を己が手足の様に自在に操る事で蟻塚は人間を瞬時に割り裂く『柘榴観音』の名を、悪名極まる悍ましき殺人鬼の名を世に轟かせてきたのである。

 蟻塚は己の幸運に感謝する。永い永い人生で、初めてお目に掛かれると。

 蟻塚は己の不運に悔恨する。この天上の獣を仕舞えば、最早他では満足できやしないのではと。


「なばら、がっ」


 しかして、蟻塚は直後に死亡した。解体自在の己の手足がどうしてか、己自身に組み付いたのである。

 千切り裂き、なお組み付く、割り咲いて、なおも絡み尽く。

 なんと見事な観音開き。なんと無惨な紅色柘榴。千に万に血肉の花が、物の見事に満開に御座い。


「臭い臭い。本当に臭いわ。何よ。汚ならしい花が咲いているだけじゃない。出歩き損のくたびれ儲けね」


 ただ、天上の獣はお気に召さないご様子のようであった。

 周りの水溜まりを踏むのと同じ様に、彼女は赤く濡れた花をぐしゃぐしゃと踏み歩いていく。



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