第6話 船上にて

 船室の雰囲気は暗い。まるで葬式中のようである。流石に申し訳なさを感じているのか、サーベラスの肉を食べる原因になったヒナタも縮こまったままだ。ちなみに、作った側のウィルフレッドは飄々としている。

 パトリシアはそんなウィルフレッドに文句を言ってやろうと思ったが、結局そんな気力も湧いてこなかった。ルークの作った酔い止めの薬を飲んでいるとは言え、無駄に言い争って調子を崩したくもない。

 パトリシアがため息をついた瞬間、徐に椅子から立ち上がったウィルフレッドが船室の扉を開け、魔法で氷の鳥を作り出すと、それに何かを吹き込んで外へと飛ばした。伝令に使う魔法だと前に聞いたが、ウィルフレッド以外にああいう魔法を使える人を見たことはないし、氷の鳥を見送るルークの目が輝いているのも当然のことだ。

「お兄ちゃん、誰に連絡?」とパトリシアが聞けば、ウィルフレッドは「あぁ、ユーリィさんに……あの人最低でも三日に一度は連絡しないと怒るんすよね」と面倒臭そうに言った。


「えっ、重めの彼女?」

「パティあんた……違います。定期報告です。あの人も雇い主の一人っすからね」


「報告しないと俺が何かやらかすと思ってんすよ。ったく、陛下はもっと融通が利くのに……」とぼやきながら、ウィルフレッドはゆるりと椅子に腰掛けた。面倒だ面倒だと言いつつもちゃんと報告するあたり、根は真面目なところのある兄らしいとパトリシアは思う。


「お兄ちゃんって、意外と真面目だよね〜」

「あんたと比べれば誰だってそうでしょ。この前も月一の課題さえろくにできてなかったし、あんたのことで俺が何度学校に呼び出され……」

「わーっ! ごめんなさい! その話は許して!」


 パトリシアが慌てて両手を突き出すと、シャクドウがやれやれと肩をすくめて、ヒナタは苦笑してみせた。ルークも呆れた調子で、「先輩……」と目をじとりとさせる。

 あんまりだ。パトリシアはがっくりと項垂れて、「これからはちゃんとさせて頂きますので……」と重々しく言うしかなかった。

 そんなパトリシアをどう思ったか、ヒナタが助け舟を出すように、「そういえば、前から聞きたかったんですけど……魔法ってどういうものなんですか?」と言う。

 ウィルフレッドがぱちりと瞬きをして、「あぁ……そうか、あんた知らないんすね」と言って、「魔法は魔力の方向性を決めた結果なんすけど、それじゃ分からないっすよね」と机に肘をついた。


「そうですね……方向性ってどういうことですか?」

「例えば、絨毯があるでしょ? 毛の向きに逆らって撫でれば毛羽立つし、毛の向きに合わせて撫でれば滑らかになる」

「は、はい……?」

「それを利用すれば、絵を描くこともできるっすよね。魔力の方向性ってのはそういうものです。で、描き上がった絵が魔法かな」


 首を思いっきり傾げて考え込むヒナタに、パトリシアはそっと、「意味が分からないでしょ?」と囁いた。酷く癖のある説明だとはルークも思ったようで、「ええと……魔法を使うつもりじゃないなら難しいことじゃないですよ。魔法は魔力をコントロールしないと使えません。それさえ分かってれば良いですから」と補足するように言った。


「じゃあ、精霊言語って……? 魔法言語じゃなくて?」


 ヒナタが反対側に首を捻りながらそう聞くと、ウィルフレッドがへぇと息をついて、「これはいつから決まったことか分かりませんが、過去の大魔法使いのことを精霊王と呼ぶんすよね。だから、結構みんな、そういうものって思ってるんすけど」と、物珍しそうな目を向ける。


「なんで精霊言語って呼ばれるかというと、人間は本来……あっ、この話、ちょっと職場の守秘義務に違反するな」


 ウィルフレッドがそう言って、「まぁ話せる範囲で続き聞きます?」と何でもないように聞いてくるので、パトリシアは反射的に、「聞けると思う⁉︎」と食いかかった。とんでもなく気にはなるが、王宮の守秘義務だ。下手をすればここにいる全員が重い罪に問われかねない。

 それを理解しているのかいないのか、シャクドウが頭を軽く掻いて、「いや嬢ちゃん、せっかくだ。聞いてやろうじゃねェか」と口の端を吊り上げた。

 好奇心に負けたのか、ルークも「そうですよ、話せる範囲ってウィルフレッドさんも言ってますし!」と言う。ヒナタもうんうんと頷くので、とうとうパトリシアも折れざるを得なくなって、「うう、私たち……一蓮托生だからね……」と机に突っ伏すしかなかった。


「じゃあ話しますけど、人間は本来魔法が使えず、何らかの触媒を元に、精霊という存在に語りかけて魔法を使っていた……と、王家には伝わっているんすね」

「えっ、それって、魔法協会が言ってる話とは違いませんか?」


 ウィルフレッドの言葉に、ルークがすぐに声を上げた。魔法協会は、魔法とは選ばれた人間の持つ特別な力だとよく言っているのである。氷の国で魔法使いの地位が高く、誰もが魔法使いを目指すのは、魔法協会がそう触れ回っているからだ。


「そりゃそうでしょう。本当に精霊が存在して、その力で魔法を使ってるとしたら、今の魔法使いの地位は失墜しますし」

「し、失墜……ですか? どうして?」

「魔法が才覚や素養による力じゃないってなると、まぁ権威はなくなるでしょ?」


 質問したルークは納得しているようだったが、そうかなぁとパトリシアは思った。だって、例え精霊と言う存在に力を借りているとしても、精霊言語を覚えて話しかけられるだけですごいことだ。なにせ、パトリシアの精霊言語学の成績は下から数えた方が早いのである。

 そうして、「精霊の存在を証明できてないし、魔法協会の理念ともかち合うんで、この話は与太話みたいなもんすけど」と、ウィルフレッドは前置きをすると、「ともかく、魔法を扱うときに唱える言葉が精霊言語と呼ばれるようになったのは、元々精霊に語りかけていたからだ……という説があるわけです」と言った。

 ヒナタが難しい顔をして、顔の通り、「なるほど、僕には難しい話だなぁ……」とぼやいた。シャクドウも、「説だの何だの、よくそんなに難しい話ばっかりできるもンだ」と感心したように言う。


「まぁ、それが仕事なんで」


 ウィルフレッドがわざとらしくため息をつけば、シャクドウがくっと喉を鳴らして、「お前さんも難儀だなァ」とニヒルに笑った。




「あの、もう一つ聞きたいんですけど……どうして波の国に行くんですか?」


 ヒナタの質問に、パトリシアもあっと思って、「私も聞いてない!」と声を上げた。波の国へ行くとだけ告げて、ウィルフレッドは理由を言わなかったのだ。

 ウィルフレッドはゆっくり瞬きをすると、「あぁ……」と気の抜けた声を出した。これはすっかり忘れていたに違いない。


「ええと、まぁ、いろいろあるんすけど……ヒナタさん、氷の国の神器が見つかってないのは知ってます?」

「あ、はい。パティちゃんとルークから聞きました」

「なら話は早いっすね。波の国に行く主目的は神器について知るためです。向こうの情報によっては神器を探す手立てになるでしょうから」


 ウィルフレッドはそう言って、「そのために、波の国の第一王子に謁見する必要があるんすけど……気難しい人柄で有名なんすよね」と、頬杖を付きながらため息をこぼした。

 兄が嫌がるくらいなら相当な人なんだろうとパトリシアは思った。ウィルフレッドは割合、面倒臭い人間が好きな質だ。それなのにため息をつくくらい嫌がるのだから、よほど性格が悪いに違いない。

 そんなことを考えながら、パトリシアはふと、波の国の第一王子と第二王子の噂を思い出した。それなので、「ねぇお兄ちゃん。波の国の王子様達って、双子なのに仲が悪いって本当?」と聞くことにした。


「あぁ……噂っすけど、ヴァールブルグ家の大処刑を契機に、弟君の方はあまり城に帰ってないらしいです」

「だ、大処刑?」

「は? パティ、あんたまさか知らな……ああいや、あれは俺が七つの時の話だし、知らなくても仕方ないか」


 ウィルフレッドが七歳のときの話ならば、大処刑は十七年前のことだ。パトリシアは何だか、自分の兄にも幼かったときがあるのが不思議に思えた。何せ、九つも年が離れているのだし、パトリシアが物心ついた頃にはもう、ウィルフレッドは随分と大人びて見えたからだ。

 ともかく、ヒナタやシャクドウは当然として、大処刑のことはルークもよく知らないようだった。だからか、「僕も名前だけしか聞いたことないんですけど……実際、どういうことなんですか?」と興味深そうに聞く。


「ヴァールブルグ家の大処刑は、まぁ言葉の通りっすね。当時の第一王子、第二王子、第一王女の三人が斬首刑に処されたことを言います」


 ウィルフレッドはそう淡々と説明して、「ひえ……」と声を上げたパトリシアやルークをチラリと見ると、「その処刑の主導者が、当時の第三王子、現在第一王子に繰り上げされたクロードヴァルト殿下である……って噂があるんすよ」と、ため息混じりに言った。

「それって、地位が欲しくて? とか?」と、ヒナタが首を傾げて言う。シャクドウも同じように思ったのか、「そりゃまァ、三番目よりかは一番が良いだろうさ」と言って、ふんと鼻を鳴らした。


「さぁ? 国王を下して実権を握っているとは言え、国宝である神器は弟君の方に与えられたわけですし。何考えてるかまでは分からないっすね」


 とんとんと指で机を叩きながら、面倒臭そうにウィルフレッドがぼやく。それなので、もしかしたら、兄は相手の考えが読めないのが嫌なのかもしれないとパトリシアは思った。

 

「それに……波の国では、神器の権利の継承は第一王女が行うのが慣わしだったはずです。王女がいない以上、第一王子が継承してもおかしいことはない。ただ権力が欲しいのだとするなら、神器を確保しないのは変でしょう」


 ウィルフレッドの言葉に、「なるほど……」とヒナタが頷いた。難しい話だ。パトリシアには簡単に理解できそうになくて、居心地の悪さに身をすくめた。ルークもシャクドウも、ウィルフレッドの話をよく分かっているようだったからだ。

「とは言え、結局は噂ですから。実際の処刑の主導者は別人だったのかもしれませんしね」とウィルフレッドは付け加えたが、パトリシアには何となく、兄が確信を持ってこの話をしているようにも思えた。




 船の揺れがほとんど感じられなくなってきたからか、もう波の国の領海に入るはずだとウィルフレッドは言った。魔法や波の国の王子たちの話をしてから、一週間は経った頃のことだ。

 船乗り達も船室に顔を出して、少しすれば海の色が変わるだとか、波の一切立たない海域に入るだとか、そういったことを口々に言いに来ては、魔物の肉を食わされたにも関わらず、ウィルフレッドが作ったつまみをいくつか取って甲板へ戻っていく。

 それを見送りながら、海の色が変わるってどういうことだろうとパトリシアは思った。海の色と言えば濁った灰色や黒色だ。それが一体、どう変わるというのだろう。

 気になることがあれば見に行くべきだ。パトリシアはそういうふうに生きてきたし、ルークだって同じはずだ。だから、パトリシアはすぐにルークに目配せをして、ルークがヒナタの袖を引くのを見た。そして、それに釣られたのかシャクドウが腰を浮かすのも。


「ほら! お兄ちゃんも行くよ!」

「えぇ……? どこに……」

「甲板!」


 パトリシアが無理やりに腕を引けば、面倒臭そうにウィルフレッドも立ち上がる。

 その勢いで船室の扉を開けると、パトリシアはウィルフレッドを引きずるようにして(大人しく従ってくれたのはルークに背中を押されていたからだろう)廊下を走り、階段を駆け上がった。

 そうして、階段の先の扉を開けて甲板に出るなり、わぁ! とパトリシアはすぐに声を上げた。ルークやヒナタも同じようだった。だって、あたり一体真っ青なのだ。どこまでも澄んだ空や海を見て、どうして声を上げずにいられるだろう!

 海風が髪を靡かせて、爽やかな香りが鼻をくすぐる。パトリシアは堪らなく思って、ウィルフレッドが止める言葉も聞かず、船首に向かって駆け出した。それから、船首から身を乗り出して、船が掻き分けた波がきらきらと輝くのを見た。

 船乗りたちがそんなパトリシアを笑って、「お嬢ちゃん、落ちたら拾ってやれねぇぞ」と言う。ウィルフレッドも呆れた声で、「ほんとっすよ、あんた鈍臭いんですから……」と言った。

 そんな言葉さえ愉快に思えて、パトリシアはくるりと振り返ると、「すごいよ! すごい! どこまでも青いの! こんなの見たことない!」と興奮を隠さずにはしゃいだ。

 ルークがふらふらと船首に寄ってきて、「本当にすごい……波がきらきらして……海がこんなに綺麗だなんて……」と声を震わせる。涙ぐむのだって仕方のないことだった。氷の国から出なければ、青い空や海なんて、一生見ることのなかった景色なのだ。


「あっ、ルーク! 見て見て! 何か飛んだ!」

「きっと魚ですよ!」

「魚? 魚って飛ぶの?」


 小さな銀色の何かが波間を飛び跳ねるのを見て、パトリシアはぱちぱちと瞬きをした。魚が飛ぶだなんて、そんなことあるのだろうか。魚はもっと重くて大きいものなはずだ。色だって黒くて目立たないし、あんなにきらきらしている魚は見たことがない。

 いつの間にかヒナタとシャクドウも船首の方に来ていて、ヒナタが「魚がいるの?」と興味津々に聞いてくる。そうすると、ルークが自慢げに、「あれは絶対に魚です! 波の国には銀色の魚がたくさんいるって本で読みましたから!」と胸を張った。


「その本に出てくる魚とやらは、焼いたら美味いのかい」


 シャクドウがそう言いながら、目を細めて海の方を見た。眷属器だと言うのに、どうやら食べるのがすっかり好きになったらしかった。


「美味しいはずです! 波の国は海鮮料理が有名ですし、焼き魚ならいくらでも食べられると思いますよ」

「そりゃあ良いなァ……おーい! ウィルフレッド! 明日の晩飯は焼き魚にしてくれ!」


 シャクドウが叫ぶと、ウィルフレッドは扉に寄りかかったままひらひらと手を振った。はいはいと仕方がなさそうな声で言うのが聞こえるようだ。

 そんな様子をパトリシアたちが笑っていると、船乗りの一人が「お嬢ちゃんたち、波の国が見えてきたぞ!」と声を上げた。

 船乗りの指差す方向へ目を向けると、確かに水平線にうっすらと緑が見えた。氷の国とは明らかに違う色をしている。

「昼の間には着くだろう」と船乗りが言った。「みんな無事で良かったなぁ」と別の船乗りが(サーベラスの肉に怯えていたのも含めてだろう)言う。パトリシアはそれを聞きながら、波の国がぐんぐん近付いてくるのに心臓を高鳴らせた。

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