第5話 はじめての遺産

「仕方ねェだろ! 女口説かなかったら俺ァ何のために生まれてきたか……」

「だから口説くなら口説き続けろって言ってるの‼︎」

「あだだだだだ‼︎ 禿げる禿げる禿げる‼︎」


 シャクドウの髪を全力で引っ張りながら、「禿げろ‼︎ 禿げ散らかせ‼︎ 毛根の一本まで根こそぎにしてやる‼︎」とパトリシアは叫んだ。ルークとヒナタがそっと自らの髪を押さえるが、それを気にできるほどパトリシアの怒りは軽いものではない。


「乙女を軽い気持ちで口説いた罪を償え‼︎」

「嬢ちゃん悪かった‼︎ この通りだ‼︎ でもこれからも女は口説かせてくれ‼︎」

「唸れ私の腕ぇ‼︎」

「うおおおお俺の髪が‼︎」


 ブチブチ髪を千切って、パトリシアは肩で息をしながら痛みで転がるシャクドウを見下ろした。爽快である。弄んできた男を虐げる喜びを知って、パトリシアはまた大人の階段を登ったのだ。

 その様子を見かねてか、「あの〜良いっすかね」とウィルフレッドが呆れた調子で言う。それにパトリシアはびっくりして、「お兄ちゃん! どこにいたの⁉︎」と大きな声で返した。


「嘘でしょ、俺の周りをぐるぐるぐるぐる回っておいて?」

「えっ、知らなかった……」

「気付いてくださいよ」


 パトリシア達が必死に逃げ回っていた間何も言わなかったということは、ウィルフレッドは中心で呆然としていたのだろう。パトリシアは何だか申し訳なくなりつつも、同時にちょっと腹が立って、「助けてくれたら良かったのに〜……」と小さな声でぼやいた。


「ともかく、その……何すかね、それ」

「それって俺のことかァ⁉︎」


 ウィルフレッドが指差すと、地面に転がっていたシャクドウが威嚇するように声を上げた。それを気に留めていない様子でウィルフレッドは頷いて、「魔道具……うーん、やっぱり遺産になるのか……」と呟くように言う。

「遺産?」と眉を釣り上げたのはシャクドウだ。地面にあぐらを掻き、「遺産って言や、昔のもんってことじゃねェか。俺ァそんな古びたもんじゃねェぞ、ピカピカの新品だ!」と親指で胸を叩く。


「新……品?」

「あ゛? どこからどう見ても新品だろうが。テメェの目は節穴かァ?」

「あー……新品でした?」

「俺の話を聞け!」


 シャクドウに怒鳴り付けられながら、ウィルフレッドがパトリシア達の方へ目を向けてきた。しかし、パトリシア達だってシャクドウが新品かそうでないかなんて分かるはずがない。だってすぐに燃えたからだ。つまり、こちらが確認する前に燃えておいてこの態度なのである。

 三人揃って首を傾げると、ウィルフレッドははぁとため息を吐いて、「いや……新品はないでしょうね。でも保存状態は良さそうだ」と緩く首を振った。


「なんだとォ……」

「あぁ、俺は古いから悪いと言った覚えはないっすよ。ビンテージですビンテージ、新品より価値があります」

「ふん。びん……ってのは分からねェが、俺の価値が分かるってんなら話は違ェな」


 シャクドウが得意げにすれば、ウィルフレッドはやれやれと言った風に肩を竦めた。流石のあしらい方だ。面倒な人間(氷の国の王子──ユーリィのことだとパトリシアは思っているが、実際はパトリシアやルークのことも含んでいる)の扱いには手慣れていると豪語しているだけはある。

 シャクドウが大人しくなったのを良いことに、ウィルフレッドはじっとシャクドウを見つめて、「うん……やっぱり魔道具ではないでしょうね。今の魔道具ではこんなに臨機応変な反応はできませんし」と言った。


「魔道具? 魔道具ってのは一体なんだい」

「今度見せます。ともかく……あんた、何者か聞いても?」

「あぁ? 俺はシャクドウだ。眷属器だよ」

「眷属器……なるほど」

「鳥有寂滅ノ劔って言や分かるか? 刀の方だ、お前さんも見ただろ?」


 眷属器の名前が出てわぁっと湧き立つパトリシア達をよそに、ウィルフレッドは「カタナ……まぁ、はい。どうも、よく分かりました」と落ち着き払って礼を言う。


「それじゃ、シャクドウさん。もうひとつ」

「まだ何かあンのか?」

「眷属器というのは一体どういうものです?」


 ウィルフレッドの質問に、シャクドウは眉を顰めると、ふんと鼻を鳴らした。パトリシア達は、聞いてはいけないことなんじゃないかと陰でひそひそ話をしたが、ウィルフレッドはじっとシャクドウの返事を待っているようだった。

 そしていくらかして、シャクドウは重い口を開くと、「眷属器って言や、兵器だよ。そのくらいは分かるだろう」と視線を逸らしながら言う。

 パトリシアはぱちぱちと瞬きをした。だって、眷属器──魂の遺産が兵器なのは周知の事実と言って良い。まったく黙り込むような内容でもないのだ。

 ウィルフレッドもそう思ったのか、「分かるっすけど、そうじゃなくて……うーん、構造が知りたいんすよね」と首を捻りつつ言った。


「構造? んなもん分かるはずねェよ」

「どうして?」

「俺ァ作られた側だ、自分の腹ん中を見たことがあると思うかい?」

「それは……そうっすね」


 ウィルフレッドは少し黙ってから、「じゃあ、この石板に見覚えは?」と、光る石板を見せながらシャクドウに言う。


「いや、ねェな。何で光ってんだ」

「それは後々……この文字にも見覚えはないっすか?」

「んー、それもねェ。で、何で光ってんだ」

「俺も知らないです」

「知らねェのかよ!」


 妙に息の合った会話である。パトリシアはちょっと笑ってしまいそうになったが、ルークとヒナタが真剣な顔をして話を聞いているので、慌てて両手で口を押さえた。ひとりだけ集中力がないと思われては恥だからだ。

 とにもかくにも、シャクドウは何も知らないらしかった。ウィルフレッドは遺跡のことについても聞いていたが、自分がどうしてこの遺跡にいるのか、この遺跡が元々何だったのかさえ分からないと言う。ヒナタが持った途端に燃えた理由も、気付いたらそうなっていたの一点張りだ。

 パトリシアは、もしかしたらシャクドウも記憶喪失なんじゃないかと思った。ルークもヒナタも、そしてウィルフレッドも、その可能性を考えているように見えた。

 シャクドウが記憶喪失なら、ヒナタが持った瞬間目覚めたことから鑑みるに、何かヒナタと関係があるに違いない。関係がなくとも記憶喪失仲間同士心も軽くなるだろう。

 パトリシアがそれを言い出す前に、ヒナタが「ええと、シャクドウだっけ。君、記憶がない……のかな。僕もないんだ」と苦笑しながら言った。


「いや、記憶はあるが。名前が分かってンだぞ」

「名前以外は?」

「火の出し方が分かる」

「はい君記憶喪失ね、僕の仲間だね」


 ヒナタがあっさりシャクドウをあしらうので、今度こそパトリシアは笑ってしまった。ルークもぷっと吹き出して、それを誤魔化そうとしたのか、「そ、そうだ、ウィルフレッドさん、石板には何が書いてあったんですか?」と無理やり話を逸らした。

 あぁとウィルフレッドは呟いて、「要約っすけどね」と前置きした。パトリシアは一瞬、兄の要約の雑さに心を馳せたが、ここはまず聞いてみようと思うしかない。


「めちゃくちゃ間違えてヤバい奴を怒らせていろいろ燃えたので、せめて何としてでも望むように女は眠らせてやろうみたいな……」

「雑だね! 分かってたけど雑だね!」

「は? 丁寧でしょうが」

「間違いなく丁寧ではないよ⁉︎」


 パトリシアが「ちゃんと読んでよ!」と文句を言うより早く、シャクドウが興奮した様子で、「女⁉︎ つまりここに女が眠ってるってことか!」と食らい付く勢いで言う。


「はじめ遺産のことかなって思ったんすけど、どう考えてもこれを女と言うのは厳しくないっすか?」

「無視するんじゃねェ!」

「はいはい……パティ、これ以外に魔力の気配は感じます?」


 ウィルフレッドが人の話を有意に無視し始めるときは、もう目的以外何も見えていない。パトリシアだってそれくらいは分かっている。それなので、細かい説明は諦めて、「ないよ。魔力の流れもかなり乱れて……あれ?」と首を傾げた。遺跡の入り口付近から、僅かな魔力を感じるのだ。

 まさかとパトリシアは思った。すっかり忘れていたが、この島は魔物の巣窟だ。遺跡に魔物が侵入したとしてもおかしくはない。

 すっと肝を冷やしながら、パトリシアは「強い魔力の反応はない……けど、多分、魔物がいる……」と声を緊張させて言った。




 魔物がいるだろうとは言え、魔力反応自体は弱い。ウィルフレッドがいるなら問題なく追い払えるだろうとパトリシアは思っていた──ウィルフレッドの発言を聞くまでは。


「魔物かぁ……俺魔法使うだけの魔力ないんすよね、今」

「なんで⁉︎」


 パトリシアが大声を上げると、わんわんと反響する声を厭った様子で、「いや、船の動力の補填に使ったんで。動力がイかれてたのは聞いたでしょ、その修理も兼ねて……」と、ウィルフレッドは面倒臭そうに言った。

 冗談じゃない。パトリシアは堪らず、「何でそんなことしたの⁉︎」と尚更大きな声で叫んだ。ヒナタとシャクドウはポカンとしているが、ルークはため息をついて額を押さえていたから、これもよくあることなのかもしれない。


「そういうの、魔法使いがやった方が早いじゃないすか。船員さんに頼まれて仕方なく……」

「違う! 何でそれを先にやっちゃったのって言ってるの! 船出す直前で良いじゃない!」

「あっ」


 ウィルフレッドが目を丸くして、全く思い付かなかったという顔をするので、パトリシアは反射的に「びっくりするほど無計画!」と怒鳴り付けざるを得なかった。


「えっ、パティあんた、もしかして俺に計画性があるものと思って……? はじめて言われました、嬉しいんでもう一回言ってください」

「褒めてるんじゃないの‼︎ 貶してるの‼︎ お兄ちゃんの親友と私は違うの‼︎」

「まぁ……ユーリィさんなら、『お前ほどの魔法使いがこんな初歩的なミスを犯すとは……』と言うはずっすからね」

「確かに微妙に褒めてる……じゃなくて! そんなことはどうでも良いの‼︎ 魔物が来てるの魔物が‼︎」


 肩で息をしながら必死に叫ぶが、パトリシアの努力虚しく、ウィルフレッドはどこ吹く風といった風に、「うるさいな……何とかなるんじゃないすか」と適当に言う。

 何とかなると言ったって、パトリシアは今まで戦闘においてはウィルフレッド頼りでやってきたのだ。ルークもそうである。正直に言えばSSD・Ⅵだって作りが甘く、今は真っ直ぐ強い光線を撃つことしかできないため、魔物相手に使うのはかなり不安が残る。

 パトリシアがうーんと唸っていると、ウィルフレッドは呆れたような調子で、「シャクドウさんがいるじゃないっすか。眷属器なんでしょ、俺が戦うよりよほど良いと思いますよ」と、ちらりとシャクドウに視線を向けた。


「ふん、分かってるじゃねェか……俺がいりゃ大したことはねェ」


 シャクドウはそう得意げに言って、「俺を起こしたんだ、契約者はテメェだな。上手くやれよ」とヒナタの背を強く叩いた。

 まるで物語の始まりのようだ。パトリシアとルークは目をキラキラさせて、「契約者って……!」と、ヒナタに目を向けた。意思を持つ遺産と記憶喪失の契約者、こんなにかっこいい登場人物はない。

 それなのに、ヒナタはきょとんとして、「それは良いんだけど、魔物って動物とは違うの?」と聞いてくるのだから、ウィルフレッド以外の全員がずっこけた。前言撤回、全くかっこよくない。


「あー……えーと……魔物は他の生物から魔力を得て成長するんです。ですから、刺激しなければ襲ってこない動物と違って、魔物は魔力回路を持つ人間を積極的に狙ってくるんですよ。人類の敵と言っても良いかもしれませんね」


 そうルークが言うと、ヒナタは「なるほど……」と呟いて、「じゃあ、今日からは僕が魔物の敵だな」と言った。言葉だけ聞けばかっこいいが、パトリシアは察してしまう──こいつ、魔物を食べる気だ──と。


「で、でもヒナタさん、戦えるんですか? 記憶がないのに……」

「大丈夫だよ、ルーク。何だか分からないけど、今なら戦えるような気がするんだ。ダメでも無差別にシャクドウに燃えてもらえば良いし」

「それ大丈夫って本当に言えます?」


 心配そうなルークの気持ちが痛いほど分かる。変に自信満々なヒナタと不安を極めたような顔をしているシャクドウを交互に見て、パトリシアはもう頭を抱えるしかなかった。普段悠長に構えているウィルフレッドが小声で、「これ厳しくないっすか?」とパトリシアに囁いてくるのもダメだった。何たって、ウィルフレッドが無駄に魔力を使わなければこんな窮地に立たされることもなかったわけである。

 パトリシアはウィルフレッドを睨め付たが、ぜんぜん気にしていないような姿を見れば、結局悪態をつく気力さえどこかに行ってしまうのだが。

 何はともあれ、ヒナタとシャクドウに任せるしかない。いくら不安でも、今のパトリシアたちに残された手はこれしかないのだ。




 刀の姿になったシャクドウを握って、ヒナタはふぅと息を吐いた。魔物は核を破壊すれば楽に倒せるらしい。もちろん、魔物によっては核を守る力が強いために一筋縄ではいかないようだが。

 今迫っている魔物は魔力が弱いため、小細工を仕掛けてくるようなタイプではないだろうとパトリシアは言っていた。それなら、何となく思い出し始めた刀の扱いでも、いくらかはまともに戦えるような気がする。自惚れだろうが、記憶をなくす前の自分はそれなりの剣士だったに違いない。

 グルグルと低い唸り声が響き始めて、ヒナタは刃を上にして鞘を左手で握ると、腰を落としながら右手で柄を握った。

 鍔に親指を押し当てて、いつでも刃を抜けるというとき、明るいね一号に照らし出された狼のような魔物を見て、パトリシアが「サーベラスだ!」と叫んだ。


「可愛い……それに美味しそうだ」

「何言ってるのヒナタくん⁉︎」

「は? あんなのより僕の方が可愛いですが……」

「ルークは何に張り合ってるの⁉︎ その癖なんなの⁉︎」


 噛み付くようなパトリシアの叫びとよく分からないルークの言葉を背に、ヒナタは鍔を大きく押し上げた。サーベラスは三匹いるようで、みな涎を垂らした間抜けな顔──そう認識しているのはヒナタだけで、他には獲物を狙う恐ろしい顔に見えている──をしていて可愛いが、一度魔物を食べてみたいという欲望には敵わない。

「シャクドウ、いけるか?」とヒナタは言って、ふと、前にもこういうことがあったように思った。シャクドウもそう思ったのかもしれない。「ふん、問題ねェよ」と言う声は軽快だ。


「よし……行くぞ! 焼肉パーティだ!」

「何だって?」


 シャクドウの疑問を無視して、踏み込んできたサーベラスの一匹に切り込み──炎と消える鞘から手を離し、燃える刀身で一閃を放つ。

 ギャン! と悲鳴を上げたサーベラスは可哀想に思えたが、一度動き出した体は止まらない。振り抜いた腕の勢いを殺さず斜め上に切り返せば、サーベラスがごうと燃え上がって、そのまま炭になる。

 残りの二匹が動揺したのを見て、ヒナタはしまったと思った。炭になれば流石に食べられたものではない。火加減に気を付けなければ魔物を食べるという目的が達成できないが、だからと言って残りの二匹はいくらか後退しており、今のような不意打ちは使えない。

 そんなヒナタの考えを知ってか知らずか、「良いじゃねェか、残り二匹も片付けるぞ!」とシャクドウが景気良く言う。後ろにいるパトリシアやルークも黄色い悲鳴を上げた。


(仕方がない……一匹だけ残して、そいつをじっくり狩ろう)


 ヒナタはそう考えると、「あぁ、手早く捌こう」と返事をして、今度は両手で柄を握り直した。

 サーベラスたちは随分と警戒しているのか、じりじりと距離を取ろうとする。しかし、一匹倒されたというのに幾分かまだ冷静に見えた。

 右側のサーベラスか、はたまたその逆か。ヒナタは息を調えて、右に比べて一歩手前にいる左側のサーベラスを狙うことにした。もし自分をすり抜けて後ろのパトリシアたちに襲い掛かられては困るからだ。

 膝を曲げ、燃え続ける刃を斜め下に構えて、ヒナタはすぐさま左のサーベラスに向かって踏み込んだ。そして、そのサーベラスが慌てた様子で飛び退くと、体をぐるっと捻って右のサーベラスに切りかかり──サーベラスの体を真っ二つに切り落とした。

 体が勝手に動く。この体は確実に戦い方を覚えている。ヒナタはひどく高揚していた。肉や毛皮の焦げる臭いにさえそうだった。

 最後のサーベラスは怯えて尻尾を巻いている。もう戦意は完全になさそうだったが、追い詰めれば牙を剥くかもしれない。

 それでも、このサーベラスは炭にせずに倒したい。ヒナタは気合を入れ直して、「シャクドウ、火力を落としてくれ」と真剣な声で言った。


「焼肉パーティって、テメェ、まさか……」


 シャクドウが心底引いた様子で言うが、今のヒナタにはそんな反応などどうでも良かった。シャクドウが動揺したことで炎が揺らいで、いくらか火力が弱まったことの方が重要だ。


「今だ、食材! 間違えたサーベラス! 覚悟しろ!」

「食材って言い切ったなテメェ!」


 一閃だった。怯えて尻尾を巻いたサーベラスを切るのは心が痛んだが、ヒナタは一刀のもとに核ごと斬り捨てると、炎が切り口だけを焼いたことを確認して安堵の息を吐いた。

 パトリシアたちを守れたし、良い食材も確保できた。これ以上に良い結果はない。けれども、サーベラスを一刀両断したのが悪かったのか、黄色い悲鳴を上げていたパトリシアとルークが今は随分引いた様子に見えたので、ヒナタは困惑して、あれっと首を傾げるしかなかった。




 本当に魔物を食べようとしている。パトリシアはめまいを覚えて、その場から二歩ほど下がった。

 最初に切ったサーベラスの肉部分(どう見ても炭だ)を齧ると、「こ、これは……ッ!」とヒナタが声を上げた。そして、パトリシアとルークが驚いて、ウィルフレッドが目を逸らし、人型になったシャクドウが顔を引き攣らせながら三歩ほど後退りするのを気にもせず、「獣臭い! 味は炭! そして硬くて噛み切れない!」と叫んだ。


「そりゃそうだろうね! どう見ても炭だもん!」

「炭はもう美味しくできないか……」

「魔物の時点で美味しくできないと思うよ……!」


 パトリシアの苦言に、ヒナタは「いや、まだ分からないよ。こっちはまだ生だから」と、炭になっていない方のサーベラスの足を掴んで持ち上げた。


「そういうわけで、ウィルフレッドさん。何とかなりませんか?」

「えぇ、嘘でしょ……なんで俺……」

「前にご馳走になったシチューがとても美味しかったので……」

「いやそれならシチューで良いでしょ、いくらでも作りますよ。クリームシチュー以外も作ります、それで手を打ちません?」

「それも魅力的ですけど、今はサーベラスを調理して欲しいんです」


 折れないヒナタを見て気の毒に思ったのか、「おい、その辺にしとけよ」とシャクドウが凄むが、ヒナタはどこ吹く風で、「味付けだけで良いんです。雑用でも何でもしますから。お願いします!」と、真剣な目でウィルフレッドに頼み込む。

 掴みどころのないように見えるウィルフレッドだが、実際は意外と頼まれると断れない質だ。パトリシアもルークもそれを散々利用してきたわけである。

 めちゃくちゃ嫌そうな顔をしてはいるが、このまま頼まれ続ければウィルフレッドは首を縦に振るしかなくなるだろう。ルークも当然そう思ったのか、「ウィルフレッドさん! やめた方が良いですよ、魔物を調理するなんて!」と必死になって言った。パトリシアもそれに乗っかったのは言うまでもない。それほどまでに、普通は魔物に忌避感があるものなのだ。

 流石に申し訳なくなったのか、ヒナタが「そうか……分かりました。僕が自力で何とかします」と言った。とても寂しげに見えたが、ここで折れてやるわけにはいかない。ウィルフレッドもそう考えたのか、ちょっと眉を下げながら、「そうしてくれると助かりますけど……」と頬を掻いた。


「それはそうと、あんた、料理の経験は?」

「ないです」

「さっきみたいに、何となく体が覚えてるとか……」

「多分それもないです」


 ヒナタの返答に、ウィルフレッドがそっと手のひらで顔を覆った。そうして、いくらか重々しい様子で沈黙すると、「俺が、何とかしましょう……」と暗い声で言う。

 それに「どうしてですか!」と叫んだのはルークだ。パトリシアも「そうだよ! 魔物だよ⁉︎」とウィルフレッドに詰め寄った。シャクドウも、「おいおいお前さん、正気か?」と片眉を上げる。けれども、ウィルフレッドはため息混じりに、「この人ほっといたら死にそうじゃないすか……」と肩を落とす。


「それは……確かにお兄ちゃんの言う通りだけど……」

「まぁ、ジビエは怖いっすからね、寄生虫とか……魔物なんでそれ以前の話なんすけど」


 はーっとため息を吐くと、ウィルフレッドはすぐに切り替えた様子で、「ルーク、嘔吐薬準備できます?」と言う。

 魔法薬学に優れたルークなら、嘔吐薬なんて簡単に作れることだろう。だから、「お、嘔吐薬、ですか?」と聞き返したのは、ウィルフレッドのことを案じてに違いない。


「何かあったときは吐ける方が良いっすからね」

「い、いや、でも……」

「手持ちの材料じゃ厳しかったら船酔いを利用して吐けば良いんで。ひどい航路を選んでもらえば何とかなるでしょ」

「そんな! そこまでして……!」


 あんまりな自己犠牲に、パトリシアとルークの目が潤む。調理には味見が付き物だし、きっとそれを危惧してのことなのだ。


「いや、吐くのはあんたらもです。俺一人で生贄になるとか絶対嫌ですし」

「エッ」


 またもや前言撤回、ウィルフレッドがただの自己犠牲なんてするはずがないのである。そうして、慌ててその場から逃げようとしたパトリシアとルークが、ウィルフレッドに首根っこを掴まれて引きずられることになったのは言うまでもなかった。




 船を出すにはまだ時間があるということで、とうとう本当に調理が始まってしまった。雪に埋めて冷やしたサーベラスの肉は赤々として、皮を剥がしているのもあり魔物の肉には見えないが、嫌悪感がいくら薄れたところで結局は魔物の肉だ。寄生虫がいなかったのが幸いとは言え、食べるとなるとやはり気が乗らない。

 それにしたって、ウィルフレッドがジビエの処理の仕方を知っているのは意外に思えた。ルークも珍しく意外そうな顔をしていたくらいだ。それなので、パトリシアは、「お兄ちゃん、そんなのどこで覚えたの?」と何ともなしに聞いた。


「お偉いさん方は狩りが好きなんすよ、特に貴族の坊ちゃんなんかそうっすね。その付き合いで覚えました」

「お兄ちゃんもお偉いさんでしょ〜」

「いやいや、俺は雇われの身なんで狩りは全然」


 パトリシアは内心、(お兄ちゃん、運動得意じゃないもんなぁ……)と思ったが、それは言わないようにして、「偉い人にもご飯作ったりするんだ?」と聞いてみることにした。


「まぁそれなりに」

「ほえ〜すごいねぇ」

「すごいんすよ、あんたの兄貴は」


 得意げに返事をしつつ、ウィルフレッドはてきぱきと肉を洗って下処理を進めていく。ジビエは一度焼いてみたり揚げてみるなりして、味やちょうど良い丁度良い調理の仕方を確認するのが定石なのだと言う。肉が臭ければ茹で溢すべきだが、サーベラスの肉は臭いがあまりしないため、基本は洗って焼くだけで良さそうらしい。

 魔物の味見などしたくはないが、ギャレーに残されているということは、パトリシアが生贄第一号であることに他ならない。ルークは薬の調合があるし、ヒナタは味覚がちょっとおかしそうだし、シャクドウは人じゃないしで、雪屋根に登らざるを得なかった(氷の国の諺で、犠牲者になるという意味だ)のだ。

 パトリシアは変な奴なんか拾わなければ良かったとちょっとだけ思ったが、すぐに思い直した。ヒナタは魔物が絡まなければ人が良いのはこの数日で分かっているのだし、記憶がないのにも関わらず魔物に対して異常に食欲を向けるということは、もしかすれば、自分のルーツに関わりがあるとどこかで感じ取っているだけなのかもしれない。

 そうして、焼き上がったサーベラスのソテーを眼前に並べられて、パトリシアはやっぱり変な奴なんか拾わなければ良かったと思った。

 火の通った肉は僅かな獣臭を醸し出してはいたが、大して悪臭というわけでもない。断面がほんのりピンクがかったのと、しっかり焼けているのと、どちらも見た目は随分美味しそうに見えるのが嫌だった。

 ウィルフレッドに促されて、パトリシアは嫌々しっかり焼けている方を摘むと、恐る恐る口に入れる。そして、吐き気を堪えながら一口噛んでみると、不思議なことにほとんど味がしないのである。もそもそしているし、柔らかいゴムを噛んでいるような感覚だ。

 それなので、パトリシアは「これ……何の味もしないよ」と首を傾げながら言った。食べられないことはないが、味がないものを食べるのは辛い。


「うーん、もう片方も食べてみてもらって良いすか」

「良いけど、なんか拍子抜けしちゃったなぁ」

「まぁ味のない肉って珍しくないっすよ、臭い飛ぶまで煮込んだキツネとかそうすね」

「キツネ、食べられるんだ……」


 食べようと思えば何でも食べられるんだなと思いつつ、パトリシアはさっきより吹っ切れた手付きでもう一つの方を口に入れた。それから、噛めばじわりと溢れる肉汁がびっくりするほど美味しくて、パトリシアは思わず目を丸くした。酸味の強くあっさりした味は、豚肉や牛肉とは似ても似つかない。


「お兄ちゃん! これ美味しいよ! 酸っぱくて美味しい!」

「そっすか。じゃあオオカミと大体一緒かな」

「オオカミも食べたことあるんだ……」


 キツネはともかく、オオカミは氷の国の神聖な国獣だ。それを食べるなんてとんでもなく不敬なのだが、偉い人の考えることは分からないものである。




 そうして、船を出すときが来た。サーベラスの仕込みをしている間に海霧はすっかり消えていたからだ。海霧の魔力による影響を強く受けていた動力部も──ウィルフレッドの魔力による補填もあり──ようやく動き出せる状態になった。

 船酔いに苦しんだ経験のあるパトリシアたちと違って、一緒についてくることになったシャクドウはやけに浮かれた様子で、「この船ってのは本当に海の上を走ンのか?」と、きょろきょろあたりを見渡している。

 船乗りの一人がシャクドウを笑って、「おうよ、あんたの足より早いぜ」と言うので、シャクドウはふんと鼻を鳴らして、「嘘だったら承知しねェぞ」と挑発するように言った。

 シャクドウが妙に船乗りたちと打ち解けているのを見ながら、パトリシアは魂の遺産って一体何なんだろうと思った。人間でもないのに社交的で、下手をすればそこらの人間より話がよく通じるのだ。不思議なものである。

 パトリシアがぼうっとしていると、隣にいたヒナタが耳打ちをするように、「サーベラス、どうなった?」と聞いてくるので、「まぁ何とかなったよ」と返した。それを聞いたルークが心底引いた顔をしたが、この際そんなことはどうでも良い。


「何とかなったって?」

「まぁまぁ見てのお楽しみ」


 海霧が晴れたせいか、前よりずっと落ち着いた海を見やって、パトリシアはそう言った。これなら食べている間は船酔いせずに済みそうだし、ルークが作った酔い止めを飲むのは食事の後の方が良いかもしれない。

 船乗りの掛け声が大きく響いて、一度大きく揺れたものの、それからは随分落ち着いた様子で船 

は走り出した。ぐんぐん島が小さくなるのを見てか、シャクドウが歓声を上げる。

 そして、ウィルフレッドがギャレーから顔を出したのは、もう島がまったく見えなくなってしまった頃だった。

 甲板に出したテーブルに料理をいくらか並べて、「じゃあ、俺は片付けがあるんで」と、ウィルフレッドはさっさとギャレーに引っ込んでしまう。

 バケット一杯のパンと、肉でバレイショを挟んだたくさんの串焼き、カボチャと肉が入ったビーツのスープ、それに柑橘の香りのソースがかかったステーキ──もしこれに使われているのがサーベラスの肉じゃなかったら、みんなが喜んだことだろう。現に、何人かの船乗りたちの視線は机の上に釘付けだ。

 串焼きの本数を見るに、船乗りたちが欲しがったらあげてしまっても良さそうだ。もちろん、サーベラスをギャレーで調理したとバレなければ。


「すごいなぁ、サーベラ……あのお肉ってこんなふうにできるんだね」


 ヒナタが感心したように言って、いただきますと挨拶をしてから串焼きを一つ掴むと、サーベラスの肉を一切れ齧った。それから、目をきらきらと輝かせて、「美味しい! こんなに美味しくなるんだ!」とはしゃいだ様子で言う。

 敬遠した風だったルークとシャクドウも、あんまりヒナタが美味しそうに串焼きを食べるので、散々悩みつつも最終的には一人一本ずつ手に取った。もう慣れてしまったパトリシアも遠慮なく手に取る。

 戸惑ってなかなか齧り付かないルークとシャクドウをよそ目に、スパイスが効いてピリッとした辛さのある串焼きを頬張った。串焼きの肉の中にはベリーのジャムが入っていたが、これはウィルフレッドが持ち込んだものだろう。

 パトリシアも食べ始めたことで踏ん切りがついたのかもしれない。ルークも恐る恐る一口齧って、わぁと歓声を上げた。シャクドウも、「何だ、いけるじゃねェか!」と明るく言う。

 そうしていると、船乗りたちも我慢できなくなったのか、「なぁ、それ一本くれねぇかい」「俺にも頼むよ」というようなことを口々に言うので、これはサーベラスの肉だと言うわけにもいかず、パトリシアたちは船乗りに串焼きを配るしかなかった。


「あぁ、こりゃあ酒のつまみに良いなぁ! おい、エールを持ってこい!」


 特にガタイの良い船乗りが叫んで、他の船乗りがエールの樽を持ってくる。船が無事に出発できたことで、みんな変に浮かれた気分になっているのかもしれない。

 まるで宴のような愉快さだった。樽ジョッキでエールを軽快に煽る船乗りを見ていると楽しくなって、パトリシアは「よっ! 世界一!」と声をかける。そうすると、シャクドウが「世界一はこの俺だ!」と、まだ誰も口を付けていないジョッキを手に取って、一気に飲み干してしまう。

 空気に当てられたのか、ヒナタがそれを見て、「シャクドウ、行け! 樽を飲み干せ!」と煽って、ルークも「根性見せてやってください!」と同じようにするので、パトリシアも「本当の世界一を見せてやれー!」と大声を出した。その勢いで飲み比べが始まったのは言うまでもない。

 そうして、串焼きもスープもステーキもなくなって、エールの樽も随分減ってしまったあたりで、ウィルフレッドがひょいと顔を出すと、「あれ、もう俺の分ないんすか?」と言う。

 パトリシアはあっと声を上げた。ウィルフレッドの分をすっかり忘れていたのである。けれども、「まぁ良いすよ、全部売れたなら良かった」と言って、皿を片付けにかかる。

 それを見たヒナタが、慌てて皿をまとめつつ、「ウィルフレッドさん! ご飯すごく美味しかったです! ごちそうさまでした!」と目を輝かせて言った。


「そりゃどうも。道具や食材をもっと選べたら良かったんすけど」


 ウィルフレッドがそう言うと、船乗りたちは「いや、魔法使い様々よ」「フライパンと鍋だけでよくやるもんだ」と口々に褒め言葉を投げかける。それに気を良くしたのか、ウィルフレッドは「どうも、飯炊きが性分なもんで」と嬉しそうに言う。

 そんなこんなで、パトリシアたちはすっかり忘れていたのだ。この肉がサーベラスのものであることを。

 だから、ウィルフレッドがニヤッと笑って、「まぁ……これ魔物の肉ですし、食べたあとどうなるかは分からないんすけどね」と言ったせいで、明るかったぴしりと空気が凍ったのは仕方のないことだった。そのために、波の国に着くまで十数日、船乗りたちまで怯え続けることになったのは想像に難くない。

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