第189話 光の滝

 空が割れた。光の滝だ。

 崩れ落ちる岩盤が流星群のように降り注ぎ、轟音と地鳴りを生み出した。


 広大な地下空間に、一気に土砂が流れ落ちてくる。

 突然の大災害に、戦っている最中の者達でさえ協力して建物の中に飛び込んだ。粉塵が波のようにうねり、建物の間を駆け抜けていく。


「逃げないの!?」


 ブランカの叫び声に、首を左右に振る。この辺に落ちてくる致命的な瓦礫はねえ。それよりは、何が降りてくるのかを見届けた方が良い。

 硬質な砂粒が混ざる突風に目を細めた。肌を小さく裂かれ、前髪を掻き上げられる。それでも、光の先を睨み続けた。


 崩れかけた天井がふわふわと揺れているように見える。まるでネットで支えられているような挙動だ。アラクネの網か?

 その中心部分が、粘度の高い油滴のように垂れ下がってきた。随分と重たいものを支えているようだ。土砂の中から、根のようなものが飛び出しているように見えた。


「世界樹……か?」


 脳内がガンガンうるせえ。片手で額を掴むように押さえる。

 世界樹の苗に寄生されている奴らとは格が違いすぎるな。本家ってワケじゃあねえようだが、それでも成木まで育った世界樹だ。全身に根を張る宿り木が、びくびくと蠕動している。


「随分と……随分だ……」


 あまりの巨大さに、小松が血迷ったセリフを抜かした。

 位置的にはドワーフの城門の先だというのに、はみ出た根っこの先端が、俺たちの頭上に影を落としていやがる。遠いのに、全貌が把握できないサイズ感に圧を感じた。


「まさかアレ、動いたりしないよね?」


 ブランカが嫌なことを言い出す。やめろよ。


「トレントみたいにってことか。まさか」


 あんなのが動いては洒落にならない。

 デカいっていうのはそれだけで脅威だ。熊が強いのも、竜が強いのも、ヴリトラが手に負えないのも、だいたいはデカいからだ。

 願望を8割くらい込めて、鼻で笑った。

 小松も頷く。


「あれだけの巨木だ。本来なら形を保つので精一杯だろうよ」

「流石にな」

「まっさかねー」

「「「ははははははは」」」


 言語が通じる人間3名の笑い声を、バツンという破裂音が遮った。

 バツン、バツン、ブチブチブチッ。断続的な音の連なりが加速していく。絡まった網を振りほどくように、枝を振り回し暴れる世界樹の姿があった。

 ついに全ての網を引きちぎり、重力に身を任せて世界樹が地に落ちる。

 凄まじい地響きと揺れのあと、網の穴に雪崩れ込むように、無数の岩石が世界樹に向かって降り注いだ。

 視線の先に、煙を立てる山が出来上がる。


 あんまりな光景に、思わず全員が口を噤んだ。


『動いたぞ』

「空気読めるんだから、そういうこと言うな」


 オドアを叩く。言わなかったんじゃなくて、言葉に出して再確認したくなかっただけなんだわ。


「大急ぎで合流しよう。小松も薩摩クランを集めておいてくれ。逃げるにせよ倒すにせよ、散ってたら話にならねえ。移動しながら丸めていって、一団にするぞ」

「了解」

「あたしらは?」

「グレンデルの運搬頼む!」


 ゆっくり情報引き出してる場合じゃなくなった。

 城壁の方から、じわじわと風景の色味が変わり始めている。緑色の範囲が迫って来ているのだ。

 これが世界樹による侵食。世界への影響ってやつか。


 リザードマンに変身したブランカが、血の気を失いぐったりとしたグレンデルの体を担ぎ上げた。

 それぞれの向かうべき場所へと一斉に走り出した。

 道中でゴブリンの群れがアラクネを袋叩きにしているのを横目に、スイ達が陣取っている建物があるはずの場所に駆け込む。


 トウカの話ではアラクネの網に包まれているとのことだったが――現場には、何一つ残されていなかった。正真正銘、更地になっている。


「一体何が……?」


 爆発とかで吹っ飛ばした感じじゃねえ。生クリームを指で掬い取ったように、綺麗かつ滑らかに、跡形もなく消えてしまっている。


「あ、ナガさんだ。やっぱりご無事でしたねー!」


 隣の建物の屋上から、ヒルネが手を振ってきた。どこで拾ってきたのか、胸に三毛猫を抱きかかえている。


「おー、そっちも無事か?」

「全員無事です! スイと兄妹が、逃げたクモ子の追撃してますねー!」

「クモ子て」


 たぶんアラクネの王級のことだろう。呼び方一つで急にチープな感じになったな。


「建物はどうした?」

「ユエちゃんの魔法でゴッソリいきましたー! あ、なんか愉快な仲間たちが増えてますね」


 オドアの存在をあっさり流したな。仲間達の適応力が日増しに上がっている気がする。

 ユエの魔法ってことは、触れたものを抉り取る黒い霧か。あらゆる魔法の中で、一番原理が理解不能で底知れない威力を持つ魔法だ。

 あまり濫用しないところを見るに、エネルギーの消費が激しいのだと思う。それを使ったということは、まぁまぁ激戦だったようだな。


「で、その使った本人とトウカは?」

「いますよ」


 ヒルネが登っている建物の扉が開いた。顔に疲労が色濃く浮かぶトウカが、3歳ほどの眠る幼児を抱きかかえていた。


「お疲れさん。ユエ、か?」

「ええ。力を使い過ぎるとここまで縮んでしまうようです。限界を超えると世界から消えてしまいそうで不安になりますね」


 そう言いながら俺の顔を見て血相を変えた。いつも細められている目が大きく見開かれる。


「傷が!?」

「ん? ああ。斬られたんじゃなくて、鉈で潰された。右目の調子が悪い」

「よく見せてください!」


 慌てた様子で駆け寄ってくる。パワードスーツがぎしぎしと鳴った。普段聞かない駆動音。機材も傷んでいるようだな。


「動かないでくださいね」


 俺のまぶたを押さえるように指を当てられる。息づかいからして、至近距離で覗き込まれているようだが、全然見えねえな。


「あー……内部で組織がぐちゃぐちゃになってしまっていますね。世界樹の苗らしき繊維が絡みつくようにして、球体の形だけ残しているようなものです。調子が悪いどころか、完全に見えていないのではありませんか?」


 見て分かるほどに状態が悪かったか。


「あー。実はそうなんだ」


 医療担当に隠しても仕方ない。あっさり白状すると、正面に戻ったトウカの目が吊り上がった。

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