第188話 敗軍の将

 ――総長の刀と酷似したデザインだ。

 ゴブリンマザーの胎内で錬成されたと思しき、怪しげな刀を前に数秒間口を噤む。


 散々殺し合いをした末に、洗練されたゴブリンが学んだ「最強」の形が目の前に差し出されている。それは命を差し出すことであり、なにより、経験を重ねて進化するゴブリンのアイデンティティを委ねる行為であった。


 だがなぁ。

 正直こちとら、オドアを撃退してゴブリンマザーを連れてきただけだ。それ以前の殺し合いを考えりゃ、全面降伏するには色々と満たしていない感じがするんだよな。


 計画通りではある。あるんだが、妙に腑に落ちない気分もあった。

 不審な点は多々あるが、武器を取り上げられるんだから貰っておく。片手で受け取ったオドアの刀は、想像よりもずっと物理的に重たかった。


「降伏して傘下に入りゃ、やることは奴隷戦士だ。現状と大差ねえどころか、もっと悪い。さっきまで殺し合いをして、恨み骨髄の奴らが主人になるんだからな。そこんとこ、どう考えてんだよ」


 刃をオドアの首筋にあてがった。触れただけで僅かに切れた皮膚から、細く血の筋が流れ落ちる。

 曇りなき眼が真っ直ぐに俺を見据えた。


『扱いは覚悟の上』

「それじゃあ、受けられねえよ。このまま首を飛ばすしかねえ」

『何故』

「死んでも良いって奴らの降伏に意味はねえんだよ。お前が、お前らが生きていることに意味がねえなら、俺が総長を止めた理由がなくなるだろうが」


 どうせ増えるから在っても無くても変わらねえ命だっていうなら、気に掛ける理由が消し飛んじまう。

 それならいっそ、総長が切り飛ばして幾分かスッキリした方が有意義ってもんだろうが。


 オドアの目に戸惑いが浮かぶ。そこに映る俺は、どんな表情をしているのか。


「生きる理由を示せ。俺たちと共に駆ける意味を語れ。俺たちと利害を一致させろ」


 共に戦い、この戦場を生きて突破する。それだけじゃあ、あの老人達が浮かばれねえんだからな。

 ゴブリンを助けて戦力化しようと思っていたが、それは必要条件であって十分条件じゃなかったってことだ。


『生きる理由。マザーの為……群れの為……』


 口籠もり、しきりに目を彷徨わせる。これまで考えたこともなかったって感じだな。無条件降伏っつーのも、おおかたゴブリンマザーが俺らの手に落ちたからってことなのだろう。

 そういう生態のモンスターなんだから仕方ないんだろうけどよ。


「そのマザーは何を望んでんだ?」

『オベロン討伐』


 今度ははっきりと返事がきた。


「そのオベロンってなんなんだよ」

『妖精達の主。亜神世界樹を以て、全ての世界に覇を唱えようとする者』


 世界樹。世界樹な。世界樹か。

 ついに捕まえた。世界樹の尻尾を。

 ぐわっと全身に血液が巡り始めるような感覚。血肉に活力が戻り、研ぎ澄まされていくようだ。


 思えばずいぶんと長い付き合いになった世界樹の苗。体の中に住み着いて、散々悩ませてくれやがった世界樹の苗。ついに、頭から間抜けな双葉を生やすこのクソ邪魔邪悪植物へと、はっきり繋がる情報が出てきた。


「オベロンは世界樹で何をしようとしてんだ」

『亜神は、神の理を曲げる者。張り巡らされた世界樹は階層を越えて草木を広げ、そこに無数のピクシーが宿るようになる』

「あのハエか」

『蝿だ』


 話を聞いていた小松が首を傾げた。


「ピクシーっつうのはなんだ? 一般的なイメージの妖精さんってやつか?」


 小松はまだ見たことがないか。それは幸運だ。

 ピクシーは鬱蒼と茂る、日の差さない森などの地形に出没する。必然的に、深層の限られた場所でのみ見られるモンスターだ。知らないのも無理はないな。


「いや、もっと邪悪だ。俺の手のひらくらいのサイズなんだけどな。群れで素早く飛び回りながら、貫通力の高い攻撃魔法を使ってくる。獲物をじわじわと甚振り、出来るだけ殺さずに長く苦しめることに喜びを感じる奴らだ。攫った幼体を親の前で擦り潰したり、不意打ちをしたあと、傷口に虫の卵を詰めたりする」


「邪悪過ぎるだろうよ……」


 小松が絶句した。薩摩に言葉を失わせる蝿野郎。それがピクシーである。


「世界樹の勢力圏にはピクシーが湧くって認識でいいのか?」


 俺の問いにオドアが頷いた。小松の喉仏が上下する。

 そういえば、地上はやけに植物の生気が強かったな。すぐ下に世界樹が生えているからかもしれない。ってえことは、地上には既に世界樹の影響が広がり始めているということで――。


「マズい」


 小松が呟いた。

 同意だ。もしかすると、ヴリトラ以上に出てきちゃいけないモンスターかもしれない。

 人間を見かけ次第殺しに来るスズメバチの群れだと思えばいい。ヤバすぎる。野戦なら簡単に始末できるだろうが、都市に入られたら手の打ちようがない。


『オベロンは元は蝿共の王。最終的な目的地は知れずとも、大樹の陰を好むのは明白。そして、オークもアラクネもオベロン麾下の兵だ』

「つーことはだ。オーク単体の狙いは地上への進出だとしても、その上にいるオベロンはまた別の……世界樹そのものを狙っていたってことか?」

『申し訳ない。所詮は捨て駒。多くは伝えられておらず』


 オドアはそのまま切腹でもしそうな勢いで、身を小さく丸めた。


「つーかよ。それだとしたら、グレンデルは無力化が済んでるし、アラクネの王はスイ達が戦ってる最中だ。あとは王級1枚ぶっ飛ばせば向こうの目論見は崩壊するよな?」


 俺の言葉に小松も疑問符を浮かべた表情で、ゆっくりと頷いた。

 都合は良いが……本当にそうか?

 ドワーフ王の世界樹について情報を得て攻めてきているとしたら、本当に総力を挙げてドワーフの都市を攻めるか?

 疑念が頭の中を渦巻く。


「グレンデルの半身、すぐそこにあるよな?」

「もち」


 ギャル形態に変身していたブランカがピースサインを掲げる。彼女の足下には、昆虫標本のようにシャベルが打ち込まれたグレンデルの胴体があった。


「ブランカ。尋問任せた。俺達はスイ達の援護に向かう」


 ゴブリン達の行動原理、意思はなんとなく掴めた。

 憎しみの連鎖を断ち切ることは出来ないが、小松達と肩を並べて戦うことは可能……だと思う。


 理屈での解決方法じゃねえが、同じ目的に向けて一緒に血を流せば、少しくらい融和の糸口も掴めるだろう。掴めねえかな。掴んでくれ。


 オドアに刀を返し、スマートウォッチで味方の所在地を確認する。

 向こうの戦力は相当に削っていて、こっちの頭数は増えた。スイ、トウカ、ヒルネ、隼人、柚子の位置情報は細かく震えるように動いている。全員健在だ。


 半ば勝利を確信しながら足を踏み出したとき、首筋に電流が走ったような感覚に思わず身を竦ませた。

 脳内で激しく鳴り響く警鐘。ロボと戦ったときの比じゃねえ。胸が痛むほどに早鐘を打ち、冷や汗が滝のように流れ出す。


「おい、どうした?」


 首を絞められていると錯覚するほど、強いストレス。胸の空気を押し出すようにして、どうにか2文字だけを吐き出した。



「――――来る」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る