第184話 正気とは

 総長が口をもにゅもにゅと動かしながら唸る。


「うんうんうん、見覚えがあるのう。なんじゃったか。えーと、そうか。そうじゃったな」


 急に表情が締まった。ぼんやりと虚ろだった目に、光が宿る。ここにきて意識が覚醒したようだった。


「ああ、そうじゃった。防衛戦初期にもちらほらと見たな。真似っこごぶりんを」


 総長も蜻蛉の構えをとった。凜とした佇まいだ。


「強かったのう、真似っこごぶりんは。何人殺されたことか。二宮、山岡、田村。討ちに行って帰らなかったのう」


 じりじりと両者の間合いが縮まる。近づくにつれて、オドアの構えが総長のそれを真似るように、少しずつ洗練されていくようだった。


「ああ、そうだ。真似っこごぶりんは、儂が斬らねばいけなかった。素人の寄せ集めでな。誰ぞ死ねばそこに行き、敵の全てを斬ったときにはまたどこぞで死んでいる。いつも足の下には仲間の屍があってのう」


 言葉が伝わらずとも、何か感じるものがあったのだろうか。オドアが唸る。


「踏み込めば肉の柔らかさに足を挫く。血で摺り足が滑る。腹を踏んでしまった味方の亡骸が糞を漏らしていたときには、詫びる言葉が見つからんかった。首のない骸の尻を拭く。おかしな話じゃろう?」


 恨みが物理的に届く距離だ。最早、達人の間合いなどない。殺意が迸る。

 一対の剣士、一対の刃がぶつかり合った。散る火花、遅れて響く鋼の音色。


 全てを圧し切る剛剣の初太刀が正面衝突した直後、すぐに連撃を放ち合う。

 腕から背骨に至るまで痺れるような衝撃があったはずだ。だが、どちらもそれを無視するように切り結ぶ。


「おーおー、やってんな。なんか嗅ぎつけたと思ったら、コレか。まぁ、こうなるわな」


 ぞろぞろと複数の気配が近づいているのは察していた。小松の率いる薩摩クランだったようだ。

 小松は俺の顔を覗き込み、右目が潰れているのを確認すると小さく頷いた。血みどろの姿で右側に立ち、俺に背を向ける。見えない方をカバーするという、無言の意思表示なんだろう。


「小松か。受け持っていたところはどうしたんだ?」

「オーク共がこっちに殺到したせいで、戦線が移ったんだわ。というか……東郷の野郎、正気に戻ったか?」

「分かんねぇが、普通に喋ってるぞ」

「そうか。そいつは残念だ」

「あ?」


 小松が素っ気なく言った意味が分からず、聞き返す。


「ボケて剣を振り回してるなら、ああボケてるなで済むだろう?」

「済まねえが? 何度も斬りかかられてるんだが?」

「済むとして。正気でアレなら、もうただの剣の鬼だわな。止めなきゃならねえが、止められるか分からん」

「済むのか。で、止める?」


 グレンデルは撃破済み。残る大駒はオドアとまだ見ぬアラクネの王だけだ。

 アラクネの方は、うちのメンバーが固まって当たっている。負けるはずがねえ。総長がオドアを斬ってしまえば、勝ちにぐっと近づけるはずだろ。


 小松は自身の後ろを漂っていたドローンを招き寄せた。表面を夥しい量のコメントが流れていく。

 一部の優先表示されているコメントに目がとまった。



:ナガ視聴者です。合流出来たら伝えてください。シャベルマンがゴブリンマザーを確保しました!



「は?」


 思わず口があんぐりと開いた。

 え、いつの間に? つーか連絡とかもねえんだが?



:あ、見た

:こっち見た

:見たわね

:おい、見たな?



 こえーよ。障子から大量に出てくるタイプの亡霊だろ。



:大怪我やんけ

:死んだ説まで流れていたけど、俺は信じてたぞ!

:心配させんなカスゥ!

:そのままタヒんでれば良かったのに



「感想とか求めてねえんだわ。とっとと詳細言え」



<優先コメント>

munou000001:地下40層をお散歩中の野生化シャベルマンとブランカ。ブランカがシャベルマンのドローン画面で、鳩経由で救援要請を知る。ブランカから話を聞いたシャベルマンが、地下を爆走して今に至る。

5000-4.9min.



 なんかどっと気が抜けるな。

 地下を暴走してきたせいで、メガネも把握していないと。ひでえ話だ。



<優先コメント>

munou000001:ゴブリンマザー確保して、割と近くまで来てる。ブランカが先導してるから、ちゃんと来るはず。

4000-4.9min.



 名前が無能の割に有能じゃねえか。課金額が1000円下がったのが少し面白いが。

 つまり、もう少し耐えればゴブリンが、オークとアラクネの支配から解かれる。オドアが敵ではなくなるっつーことか。


「じゃあ止めなきゃいけねえか」

「止められるか?」


 総長とオドアの斬り合いはなお激しさを増している。もはや俺が剣1本担いで乗り込んでもどうにも出来ねえ。


「小松が声かけても止まらねえか?」


 一縷の望みをかけて訊ねてみるが、小松は肩をすくめた。


「おい、東郷。そのゴブリンは人質を取られている奴隷戦士だってよ。討つな」


 刃の嵐と化した総長が嗤う。


「すまん、無理じゃ。殺したい」

「そうかい」

「諦めんなよ」


 殺したい、じゃねえし。そうかい、じゃねえだろ。

 もう少し人間らしいコミュニケーションをとってくれ。


「いやあ、無理だろ。目の前にゴブリンがいるのに、殺さねえのはやっぱ総長には無理だ。もしくは総長を殺して貰うしかねえ。仕方ねえわな」


 小松はまるで「残業だってよ。仕方ない」くらいの軽い調子で言った。


「殺して貰えるか。それはいいのう」


 総長とオドア、どちらの血か。赤い飛沫が老人の顔を彩る。

 人間離れした剣捌きを見せながら、総長は頬を緩ませた。

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