第183話 王よ! 豚の王よ!
グレンデルの咆哮に合わせ、戦場の熱気が高まるのを感じた。各方面からオークの濁った喚声が湧き上がる。
「呼応してやがる」
ぎりりと歯ぎしりをした。カルカの強靱な顎のせいか、とんでもない音が鳴る。ジジイが俺の方を見た。こっち見んな。
グレンデルに視線を戻す。肩と首の肉が大きく盛り上がり、巨大な猪の上半身さながらの見た目になっていた。逆立つ毛が、獅子のたてがみに見えた。
「随分と男前になったじゃねえか」
『足りないものを、補いたかったのですよ。本当は!』
二本の腕だけで、傷口を地面に擦りながら突っ込んできた。
限界まで吊り上げられた目、口角に滲む真っ赤な泡――『必死』を体現した肉体の全てが迫る。
「失った半身かぁ!?」
『オークに足りないもの、全てをです!』
カルカから借りた巨体で、真正面からグレンデルの突進を受け止めた。水面を手のひらで叩いたような音とともに、腹から脊髄まで衝撃が走り抜ける。こみ上げる嘔吐感を噛み砕いて飲み干した。
左の牙と額のコブを掴みながら、互いに力を込めて押し潰し合う。
下半身を失っているくせに、壁のような手応えだ。とんでもねえ奴だよ。
「ねえもんは、ねえだろ!!」
怒鳴りつけながら、思い切り横にぶん投げた。不格好な猪の体が重たい音を立てて跳ねる。
『知恵はドワーフに劣り、力はリザードマンに劣り、身軽さではエルフに劣る……。何か、何でもいいんです。オークには、変化し続けるこの世界で生き抜く契機が必要なのです!』
じたばたと虫のように藻掻きながら、グレンデルは体勢を起こした。はらわたが伸びて、ぼろぼろに引き千切れているというのに、動くことを諦めない。
「それで鎖を巻いて硬くして、細くなるまで鍛えて飛び跳ねて、戦術と格闘を身につけたのか」
だが、最後に頼った王権はそのどれでもない。オークが持つタフネスと闘志を実体化したような姿。
複雑だろう。その思いには共感できる。
俺だって、生きるための最善を尽くそうと、色んな手を使って色んな力に縋ってきたんだから。
『今になって同情ですか?』
グレンデルが鼻を鳴らす。
「ああ、同情する。それだけ積み上げて辿り着いたのが、この理不尽なんだからな」
俺はアゴをしゃくった。その先には、老剣士が一人。グレンデルの目が細められた。
『読み違えていました。あちらの方が大駒だったのですね』
「数年ほっときゃ死ぬだろうけどな」
『いえ。冥府への土産にここで貰っておきます』
静かな動き出しだった。荒々しさのない、清流のような滑らかさでグレンデルが駆け出す。
満身創痍の体とは思えない、さっきよりも速い突進が総長を襲った。臓腑など捨ててしまえと言わんばかりの、痛みを恐れぬ猪突猛進だった。だが。
「ごぶりん、ではないのか?」
寝ぼけたようなことをいいながら、総長の体がブレる。
銀色の残像がグレンデルの体に纏わり付き、散ったように見えた。
『がっ、あ?』
地をしっかりと掴む両腕が、その場に取り残された。勢いの乗った胴体だけが、血煙を上げながら滑っていく。為す術なく顔面から建物に突っ込み、石壁に大穴を空けた。
激しい衝突に建物が崩れ、轟音の中にグレンデルを飲み込んでいく。
巻き上がる粉塵と、僅かに残る血生臭さ。それらを振り払うように、総長が刀を横に振るった。脂と毛が飛ぶ。
背筋が凍った。
やばい。このジジイ、マジでやばい。こっち見んな。
鼓動が早くなる。視野の端が段々と黒く染まっていく気がした。
久々に味わう、極度の緊張状態。カルカの肉体をもってしても、耐えられるビジョンが浮かばない。
「ごぶりんはどこじゃ。のお、ごぶりんか?」
「どう見ても違えだろ。目ついてんのか」
「うーん、聞こえん」
理不尽過ぎるだろ!
目は節穴で、耳は遠いなんて!
救援は欲しかったが、こんなの聞いてねえよ。「援」の意味を調べ直せ、クソが。
音もなく滑り、目の前に現れるジジイ。完全に意識の隙間に潜り込まれた。
虚を突かれながらも、両脚と尾をフル活用して後ろに飛び退いた。どうにか初撃を躱した。いや、鱗がパックリ裂かれている。続けて振るわれる連撃から、跳ねて転げて這ってどうにか逃げ回った。
「話聞けジジイ!!」
「飯か?」
「どうせ食ってるだろうが!」
ドタバタ追いかけっこをしているうちに、体が小さくなっていく気がした。ここで制限時間かよ!
世界樹の苗を恃みに、無理矢理押さえ込むか!?
逡巡したそのとき。グレンデルが埋まっていた方から、瓦礫の崩れる音がした。ジジイの注意がそっちに向く。
グレンデルの大きな牙を掴み、引っ張りあげる隻腕のシルエット。
オドアの登場だ。
「懲りねえな、何度も何度も出てきやがって」
「ごぶりんか!」
「そうだよ! アレで合ってるよ! あっち行け!」
総長が口元に笑みを浮かべながら、ゆらゆらとオドアに向かっていく。
オドアは後ろに従えていたアラクネの集団にグレンデルの体を渡した。それから、妙に丁寧な所作で大鉈を抜き放つ。
左足を前に出し、右上に大鉈を構える。一見隙だらけなようで、静謐な緊張感に満ちたあの姿は――。
「ごぶりんが、蜻蛉か」
――蜻蛉の構えだった。
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