第175話 原初の意思
ウェンカムイ。アイヌの神話に登場する、人を食った熊の神だったか?
そういうのもダンジョン世界に存在しているのか。神格とか関係なく最強種の一角である熊が、さらに亜神になるなんてな。
どう考えても人間や妖精種のような小さい命が対抗しうる相手じゃない。だが、ドワーフ王はそれの撃退を成したという。
俺の目を見て、ドルメンが笑う。
「欲しいか?」
「そのハンマーをか?」
「ああ」
要らないと言えば嘘になる。だが、めっちゃ欲しいかと言われるとそうでもねえな。
「まだ、って感じだな」
肩をすくめながらそう言った。
たぶん、今の俺にはまだ重すぎる。ドワーフの歴史そのものの重みを振り回すようなもんだろ。
「まだ、か。そうかそうか」
ドルメンは破顔した。
なんとなく同じ価値観を共有できた気がする。俺は手を差し出し、ドルメンと握手した。
「土産があるんだ。小刀なんだが、受け取ってくれねえか?」
「もちろんだとも」
俺はなるべくゆっくりとした動きで、鞘ごと小刀を手渡す。
皮肉にも、アーサーとの出会いで相手の文化に敬意を払うことの大切さが身に染みて理解できたからな。言語で確認できることは確認しておいた方がいい。
「失礼する」
ドルメンの体格の割には分厚くて大きな手が、ゆっくりと漆塗りの鞘を撫でる。それから小さく刃を出した。
「ほぅ……」
感嘆の溜息が漏れた。するりと残りの刃を抜き放ち、薄暗がりでもなお光を弾く金属の色に熱っぽい視線を送る。
指先の皮に切っ先を当て、感触を確かめるように横に擦った。
「――良い金属だ。精霊が宿らずして、これほどのものとは」
「俺の国が誇る、自慢の鋼だ」
知らねえけど。たぶん自慢の鋼である。
「これは良い物を貰った。意思が残っていれば、王も喜んだはずだ。何かあれば手を貸そう」
ドワーフの戦士長は、丁寧な所作で戦槌の隣に小刀を収めた。
「では礼に欠けますが、早速の質問をしてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
鷹揚に頷くドルメンに、トウカが訊ねる。
「金属に精霊が宿る、というのはどのようなものでしょうか。恥ずかしながら、精霊とは空間に存在する原初の意思というように理解しておりました」
「若いな」
トウカの問いに、ドルメンはなぜか嬉しそうにした。
ドワーフ王の一三式対熊戦槌をトウカに差し出す。
「手を当ててみなさい」
トウカは言われたとおりに、手のひらを戦槌の頭に当てた。細い指がぴくりと跳ねる。
「あれっ。なにか、気配のようなものを感じます」
「それが精霊だ。精霊は力の流れ、方向性そのものでありながら、それぞれが感情を持つ。好みの場所にとどまり、多くの仲間が集まる場所にどんどん群がる」
その好みが賑やかで楽しい場所っていうんで、火を焚いて踊ったりするんだよな。リザードマンの場合は殴り合いのオプションもついてくるが。
「精霊によって好みは違う。場所によって集まりやすい要素も変わってくる。こうして金属の武器を好む精霊もいれば、舞踊を楽しむ精霊もいる。爪牙を好むものもいれば、雷雲を愛する精霊もいるだろう。ときには、殴打する瞬間の拳を好む精霊だっている」
「俺たちの世界ではアニミズムって呼ばれる考え方に近いな」
それにしても、一般的に人間がイメージする精霊像に比べると、幾分か荒々しいな。拳に宿る精霊なんているのかよ。絶対カルカに宿ってるだろ。
ドルメンは俺の目をじっと見つめた。
「お主は精霊を感じないのか」
「全然わかんねえんだよな」
「それだけ愛されていてか」
「俺が精霊に愛されている? 魔法なんて一切使えねえよ」
「神話科学を喪った世界の者か」
大きな溜息をつく。別に俺が悪いわけじゃねえだろ。生まれた時代の問題だ。
「王権を得て、その力を振るい、魔法ではないと?」
「あ」
ドルメンの言葉に思わず息が漏れた。
そうだったわ。赤竜に変身するとか、魔法以外のなんでもない。なんかこう、別カテゴリーの「そういう力」なんだと思っていた。
普通に考えて、王権絡みも魔法の一種だよな。つーことは、精霊が絡んでいる。
「魔法も、王も、亜神も、神も、全ての根源に精霊が宿る。感じられないだけで、その身には『打ち破る』方向性の精霊が宿っているはずだ」
「打ち破る……」
ドルメンは拳を強く握りしめた。彼の王を探すように顔を上げ、闇にどんよりと沈む岩盤の空を見上げる。
「王とは望まれる者なのだ。膿のように溜まった絶望を、先の見えぬ閉塞感を、いがみ合う疲労感を――――全てを打ち破り、何かを変えてくれる予感を託された者」
岩に覆われた地下世界を突き崩すかのように、拳を突き上げた。
「原初の意思だ。打ち破ろうとする最も古い意思。それを精霊は愛し、そこに民は集い、やがて力が生まれるのだ」
小さなドワーフから放たれる大きな覇気。それとは裏腹に、目には深く複雑な感情が窺えた。悲しみ、切望、憧れ。
「お主も王たらんとするなら、穏やかで賢くあろうとするでない。そんなもの、誰も望んでいないのだ。あまねく生物にとっての望みとは、勝つことだ」
拳を下ろし、それを俺に向ける。
「類い希なる暴力性。それこそが、万民が王に切望する意思だ。我らが王にはそれがあった。自己犠牲と慈愛の心を持ち、そして酷く暴力的だった。お主にそれがあるのか?」
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