第169話 メタ認知
殴り合いは終わらない。ここから話が始まるんだから。
「俺らの参戦理由は、そもそもゴブリンが地上に迫ったからだ。なんで地上にゴブリンを寄越す」
『上の階層の情報がありませんからね。知っていますか、人間。あなた方が暮らす階層がどのように思われているのか』
「ああん?」
首を振って肘打ちを避ける。ほんの僅かに掠っただけで、目の下がぱっくり切れて血が飛んだ。傷はすぐに治るが、それはグレンデルも一緒だ。既に額の傷は見えなくなっている。
『楽園。そう呼ばれています』
「楽園?」
『あれほど弱い生き物が、こんなにも多くの資源を持ち、豊かさを誇示するかのように攻め込んでくる。本気さなど感じない散発的な襲撃をし、ゴミだけ拾って楽しげに帰って行く』
下段の回し蹴りを喰らってしまった。体を掬われて転倒する。咄嗟に体を捻った。頭の横を通り過ぎ、地面を抉るパウンド。石の欠片が耳を打った。
『貧弱な種族のくせに、道楽で命を捨てられるほどに数を増やし、使い捨てに出来るほど資源を持つ。そんな豊かな世界は、楽園に決まっている。古い妖精たちから、そう言われているのですよ』
体を丸め、全身のバネを使ってグレンデルの体を蹴り上げる。頭を振って耳に入った砂を落とした。
「納得がいくぜ。そうだな。そっち側の目線が足りてなかった」
俺たちがダンジョンを攻めるとき、ダンジョンの内側から俺たちを見ている存在がいる。侵略者の姿を見て、どんな世界から来た何者なのか想像を膨らませる者達がいる。
当たり前のことだった。
仮に俺たちの地球の上に別世界が繋がり、異世界の「探索者」たちが降りてきたとしたら、俺たちはそいつらをつぶさに観察して、正体を想像することだろう。
「ダンジョン世界」として遙か昔に成立し、層をまたいで多くの生物が行き来するようになった現在のダンジョン。そこに新しく繋がった未開のエリア地球を、ダンジョンにいる全ての知的生物が注視していたってことだな。
「ちなみに、残念なお知らせがある」
『なんですか? 実は資源が枯れているとでも言うつもりですか?』
「俺らは、戦士階級じゃねえ。非戦闘員だ」
『…………は?』
グレンデルはオークの皮を脱いだとき以上の驚きを浮かべた。
俺らは軍人じゃねえ。
もちろん個人の戦闘力という意味では、とっくに民間人を超えている。世界樹の苗や王権の力も加味すれば、個人装備の軍人に勝てる自信もある。
だが、「軍」としての力を振るう軍人達には勝てない。
市街地に潜むとかやりようはあるだろうが、なりふり構わずに殺しに来られたら無理だ。空爆で地ならしされて自走砲にボコスカ掘り返されて、対戦車ミサイル打ち込まれたら焦げミンチ確定である。
つーか巡航ミサイル1本でも生き延びられるか怪しい。
「見たことねえか? 人類の軍を」
『まさか、見えざる喧噪……』
「見えざる喧噪?」
『姿は視認出来ないのに、轟音とともに地形ごと全てを薙ぎ払う、正体不明の破壊者です。亜神の類いかと思っていましたが……』
十中八九、迷彩と機関砲でダンジョンに防衛線を敷いた自衛隊のことだろうな。立地的に、中国・韓国・台湾あたりの国の軍の話かもしれないが。
とにかく、世界的に見ても異常に強い軍事国家が集まった、東アジアという人類の火薬庫。その地下はダンジョン生物から見ても、厳しい状況なのは間違いない。
動揺が出たのか、甘くなったグレンデルの左フック。二の腕に手を当て、動きの初動を潰した。状況に均衡が生まれ、お互いの動きが止まる。
「人間ナメんな。良かったな、俺とお喋り出来たから知れたことだぞ」
『ええ、僥倖でした。よほど発達した文明を持っているようです。高度に研ぎ澄まされた技術は、神の頂に近づきますから』
急にグレンデルの体勢が深く沈んだ。
同じように俺も低い姿勢をとって、がっつり肩を組み合わせる。お互いにタックルの姿勢になり、全力で押し合った。肩から首にかけて骨が軋む。
互いの足の指が地面をゆっくりと抉る。圧力で土が潰れ、固まってひび割れ、地滑りのようにズレた。つま先が滑れば膝で支え、何度も地面を掻くように馬力を上げていく。
『であるならば、尚更。こちらにも手札として亜神が必要になりますね……!』
「亜神? あぁ……。世界樹って亜神なのか」
『知らずに身に宿しているのですか?』
「うるせえ」
グレンデルの突進の圧が重すぎる。少しずつ押され始めていた。
流石は豚の王。猪突猛進こそが本領発揮といったところか?
なんとか踏みとどまりながら、腰にある隼人のお弁当に意識を向けた。そろそろこいつの出番だ。
オークの目的は分かった。地上侵攻の為の手段として、ドワーフ王の世界樹を欲している。
どう扱うのかは定かでは無いが、グレンデルは世界樹で「見えざる喧噪」に対抗できるとすら考えている。つーか、なんかしらあるんだろう。要するに、世界樹のところにグレンデルを辿り着かせたらゲームセットってことだ。
ふっと体の力を抜いて、グレンデルの力を受け流す。ついでに横に逃げながら足を引っかけ、思い切り転倒させた。
「まぁ、ただお喋りに付き合ってくれてる訳じゃねえもんな」
いつの間にか周囲に集まってきている、オークとアラクネの混成部隊。グレンデルが時間を稼いでいる間に、次々と目を覚まして集合していたらしい。
『気づいても遅いですよ』
「どっこい、まだ舞えるさ」
俺は隼人のお弁当をグレンデルに思い切り投げつけた。直接触るのは危険と判断したか、鎖を伸ばして打ち払う。バキリと音を立て割れたモバイルバッテリーが火を噴いた。
刹那。
まぶた越しでも目を灼くような閃光が迸る。
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