第168話 流石にちょっと
グレンデルの目が大きく見開かれ、口も全部の歯が見えるくらいぽっかり開く。
ああ、涼しくなった。
『え、えええええ??』
「よお。お話しに来たぜ」
冷静沈着、熟練の戦士という印象だったグレンデルが、指を俺に向けわなわなと震わせた。全身で狼狽を表現している。
「なんでドワーフと戦ってるのか知りたくてな」
『え、えええ……? 普通に怖いですよ』
:そらそうや
:いくらなんでもね?
:ホラーでしかないだろ
:何時代のコミュニケーション?
バレないように遠くから撮影させていたドローンがいつの間にか近くに来ていた。
「こうでもしねえと、会えないだろ。すぐに逃げるしな」
『流石にちょっと信じられません。人間同士では、このような形から会話を試みるのですか……?』
「ああ、そうだ」
『そうなんですか……』
:ちげーよ!?
:こいつだけなんです、豚の王様! 信じてください!
:おい風評被害広がってるだろ
:人類の評判下げないで!?
オークって飢えると仲間の死体でも食うんだよな。
この作戦でもイケると判断したのは、オークの仲間意識の低さが考えの根底にあったからだ。共食い文化があるなら、仲間の死体程度には動じないと思ったんだが、アテが外れたな。
もちろん、それでも構わない。
「普通に茶でもしばきながら話せるとは、ハナから思ってねえんだよな。すでに、随分な数を殺しちまった。逆にお前らが嗾けたゴブリンに、人間も結構殺されちまってる」
手の脂を拭うように、髪を掻き上げた。デコを出して、煽るようにアゴをくいっと動かす。
「話そうぜ。殴り合いでもしながらよ」
『ここまでされて、お帰りくださいとは言えませんね』
グレンデルも拳を構えた。狼狽から闘志への感情のスイッチが素晴らしい。
「おらッ、こんばんは!」
『蛮族め……!』
互いの右ストレートが頬骨を抉り合う。痛みよりも先に衝撃が駆け抜け、裂けた皮と血が飛ぶ。
よろめいた体勢を利用して、左の足刀蹴りを顔面にお見舞いした。靴底がめり込んだまま、グレンデルが低い声で呟く。
『体系化された体術もある、と』
「よお、人間とドツき合うのは初めてか?」
左足を引き戻す。同時に下半身をコマのように回して、右膝を側頭部にぶち込んだ。巨体が傾いだ。
『武器頼みの種族かと思っていました』
ぐっと踏みとどまり、溜めた力で放たれるボディブロー。俺の腹に、鎖を巻き付けた固い拳が突き刺さる。内臓全部を押し上げられるような強烈な不快感。
こいつ、何人か探索者を手に掛けたうえで、その情報をもとに俺らの力を測っているな。
太い腕を握りしめる。
「知らなかっただろ、人間を」
衝撃の逃げ場をなくし、硬い腹に前蹴りをいれた。グレンデルの表情が歪む。
グレンデルは手の指を大きく広げた。前腕が太くなる。そのまま捻って腕を引き抜き、軽いステップで少しだけ距離をとった。
『少しだけ……興味が湧きました』
「俺もな。今日初めてオークに興味を持ったんだよ」
両手の親指を額につけるような、高い位置でファイティングポーズをとる。がら空きの胴体を晒して、インファイトに特化した体勢だ。
グレンデルは腰を落とし、左手を俺の顔に向けて伸ばす。右拳は引いて腰の横に。空手によく似た、攻防一体の構え。
『攻撃的ですね。これは知識と一致している……』
薩摩クランのせいだろ、それは。
「なぁ、何がしたくてここにいるんだ」
『敵に戦略を語ってどんな優位性を得られるのですか?』
「殺し合い以外に落とし所を見つけられる」
『殺し合い以外とは?』
「そうだな。オセロなんてどうだ?」
頭、胸、腹。互いの目に付く隙へと拳が飛び交う。
受けるも流すも間に合わない攻撃の波だ。
『その割に、攻撃に殺意が乗っていますよ』
「本気を出さねえと、王相手に失礼ってもんだろ!」
全力の右ストレートが、グレンデルの口に突き刺さった。
ピシリ、と硬い音が鳴る。長く伸びた牙の先端が折れ、真っ白な欠片がくるくると宙に躍った。
『礼という概念があるのですか?』
仰け反ったグレンデルが、責めるような口調で言う。けどよ。
「俺は間違ってねえよ。だってお前、だんだん楽しそうになってきてるじゃねえか」
オークというのは好戦的で野蛮な種族だ。
己の肉体で敵の攻撃を受け止め、力任せに破壊をする。そして獲物を貪るんだ。
遺伝子なのか魔石なのか知らねえが、オークとしての在り方は体に刻まれているだろ。
知的に戦術を立てて、戦場をコントロールする為だけにヒットアンドアウェイを繰り返す。それはグレンデルという駒の最良の動かし方かもしれないが、楽しいわけねえだろ。
「本来、足っていうのは前に進むためにあるんだからな」
互いに大きな一歩を踏み出して、頭突きをぶつけ合った。
頭蓋骨全てが衝撃に震えた。吐き気を呼ぶような重たい痛み。視界が一瞬暗くなるほど血が偏る。
離れたお互いの額から血が伸びて橋のように繋がり、そして地面に落ちた。
「下がらなくていい戦いは、楽しいだろ。俺なりの接待だよ、豚の王」
リザードマンが教えてくれた。
俺たち二足歩行の生き物は、みんな殴り合いが好きなんだ。
『なるほど。なるほど……』
グレンデルは目に入った血を指で拭った。
瞳孔が大きく開き、下唇がめくれる。大きな牙の付け根が剥き出しになった。凶悪な笑みだ。
『一理、ありますね』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます