第167話 ぬちゃ

 剥がした皮はざっと水洗いし、表面についた血だけ洗い落とした。

 なめし皮をつくるときのように、皮下脂肪を削ったりはしない。皮自体の厚みが変わってしまって、へろへろの老人みたいな質感になっちまうからだ。


 オークはその出自からか、老けた個体っつーのが存在しないんだよな。エルフやドワーフと同じように、妖精っていうのはめちゃくちゃ長命なのかもしれない。

 ともかく、張りの無い皮なんて被った日には、そこらの平凡なオークにすらバレちまう可能性がある。


「太さがだいぶ違うけどどうするの?」

「なんか詰めるしかねえな」


 綿でもありゃいいんだが。

 隼人が皮を剥がされたオークを指さす。


「ちょうどいいところに、オークの肉に似た質感のものがあるね」

「似てるんじゃねえよ。そのものなんだよ」

「なんだってー。使い勝手良さそうだね」


 自分の額に青筋が浮かぶのを感じる。楽しんでんじゃねえよ。

 好きで汚いことしているわけじゃないんだ、こっちは。ニコニコすんな。


「時間掛けても仕方ないし、やるしかないんじゃない?」

「どのみち気持ち悪いですもんねー」

「発覚を避けることが最優先ですから、我慢しましょう」


 無情にも3人娘も賛成したことで、詰め物が決定。さっそくとばかりに、オークの皮を着させられていく。隙間には容赦なくオークの肉や脂身が詰め込まれた。


 まず非常に臭い。

 開放的な状態でも臭かったのに、密封されるとあり得ないくらい臭気が籠もる。

 生臭さというか、大きな獣の腹を裂いたとき特有の、変な臭さっていうのがあるんだよ。それに加えて牧場みたいな獣臭さもある。


 ついで、ぬめりと強い湿度。水分の逃げ場がなく、濡れた肉からの湿気を全身に感じる。吸い込んでいる空気中の湿気、全部オークの肉由来だ。


 圧迫感と視界の悪さも感じる。何もかも最悪な状態で、一歩踏み出してみる。なんか重心がおかしいな。


「オークっぽくないにゃ」

「たしかにオーク歩きじゃないですねー」

「そう? 見た目はオークじゃない?」

「オークと戦うときにこの動きの個体がいたら警戒するね」


 俺の仕草を見て口々に好き勝手なことを言う仲間達。


「オーク歩きってなんだよ」

「オーク歩きはわからないけれど、永野さんの歩き方は隙がなさ過ぎるね」

「こうです、こう」


 ヒルネががに股ですり足のような歩き方をする。年頃の女の子がするにはちょっと厳しい動きだが、妙にオーク感のある動きだった。せっかくだから観察させてもらう。

 足の裏はベタ足気味。あまり浮かせず、腰はややそり気味で腹を突き出す感じ。肩はあまり動かさない。

 なるほど勉強になるな。つーか、すげえ観察眼だな。


「こうか?」

「あー、上手いですねー」

「確かにオークはこんな感じだったな」


 ヒルネとユエのお墨付きを得た。よし、これでオークの群れに紛れ込むか。

 隼人が俺の腰に弁当箱みたいなものを括り付ける。リチウムイオンバッテリーに油を塗ったマグネシウムリボンを巻き付け、アルミホイルで覆ったものだ。


 流れを再確認する。

 まずは俺が潜入。可能であればグレンデルと会話をする。

 規模の大きな戦闘になったら隼人のお弁当を破壊して閃光を放つ。ヒルネが観測手。

 閃光を確認したら、スイ・トウカ・ユエ・柚子の4人がかりで儀式魔法を発動。

 それに乗じて俺は脱出。隼人が迎えに来る。

 シャルルは城壁で丸まって寝る。


 完璧なプランだな。

 偽オークになりきった俺が城壁から出ようとドワーフに声をかけた。


「ちょっと城門開けてくれないか?」

『なぜオークが城内に!? であえー! であえー!!』


 やっべ。




 懸命の説得の結果、どうにか納得してもらい城壁から出して貰えた。考えりゃ当たり前のことだったな。せめてドワーフに監督してもらいながらやるべきだった。

 城壁の辺りで傷ついていたフリをし、ときどきよろめく演技を挟みながら、オークの部隊に近づく。


 最前線のオークたちは、俺を見てもなんの感情の変化も見せなかった。ただ「ああ、いるな」って感じの対応だ。

 最前線以外は寝ているのか、陣地は静かだ。

 不寝番というか、近接戦での見張りはアラクネが対応しているのだろう。味方側陣地だというのに、そこら中に感知糸が張られていた。


 蜘蛛っていうのは、糸の振動パターンだけで相手の姿を把握できるからな。

 風に揺れる糸。木の葉がかかったとき。虫がかかったとき。大型動物が揺らしたとき。その全てに違う反応を返す。


 幸か不幸か、オークの生皮にオークの生肉を詰めて、オークっぽく歩いている今の俺は、アラクネの糸をもってしても見破れないオークっぷりを発揮していた。


 薄暗がりに目を凝らす。

 ほほう、こうやって野営してんのか。


 オークたちはそこら中に細い棒を立て、その間でうつ伏せになり、頭を抱えるような姿勢で寝息を立てていた。

 ドワーフが飛ばしてくる魔法弾――ほぼ榴弾だな。それを棒で受けて空中で炸裂させ、対ショック姿勢と頑丈な肉体で受け止める作戦か。

 ところどころに立っている真っ白なテントは、アラクネたちの野営地かもしれないな。


 さて、グレンデルはどこにいるのか。

 眠りにつくオークたちの間をしばらく歩いていると、暗がりから圧迫感のある声をかけられた。


『どうしました。寝られませんか』


 声の主と目が合う。

 脳内に鳴り響く警鐘と、首筋にチリチリとした感覚。

 思わず唇の端が釣り上がった。


 なんだ、簡単に会えたじゃねえか。


『む、血の臭いが強いですね。傷が痛むのですか?』

「そうだなぁ。痛むとしたら、ヤリ逃げされた胸の傷かもしれねえなぁ?」


 グレンデルが俺の下品な言葉に眉をひそめる。


『まさか……?』

「ばぁ」


 俺はオークの皮を脱ぎ捨てた。

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