第152話 地下迷宮
確かにそうだ。
ダンジョン世界の中で、異質な部分とは何か。
観測されているダンジョン世界の限界である地下60層までの中で、最初の15層だけがおかしい。
なぜここだけ屋内なのか。世界丸ごとが1つの層になっているはずなのに、なぜ屋外に出られないのか。
「1つの世界の広大すぎる地下空間を、俺たちは複数の層だと勘違いしていた……」
トウカが頷いた。
これまでの常識がひっくり返されるような感覚。だが。
「まぁ、それでもやることは変わらねえか?」
潜る。戦う。何かを得て帰ることの繰り返し。知識がどこかで役に立つことはあっても、俺から能動的に活かせるものじゃねえな。
それこそ、政府や協会が上手く扱うべき情報だ。下手な扱いしたら殴る。それだけでいい。
「それもそうだ」
ドワーフたちの死体をまじまじと観察していたユエが頷く。
「そういや、ユエ。なんかあったのか?」
「いやな。こやつらの一部は死因が切創による失血死だ。オークやアラクネに狩られたにしては妙だと思ってな」
「確かに」
オークもアラクネも刃物を使わない。肉体に備わった機能を武器として戦う奴らだ。
俺もドワーフにつけられた傷を見る。
腕の外側に切り傷。防御創だな。胸から下腹部にかけての大きな傷を、ツヴァイハンダーの先端でぐっと開いた。くせえ。
「刃が抜ける角度が浅いな。刃物を振ったときの軌道からして、至近距離から振ってる」
「ゴブリンかな?」
俺も隼人と同じ考えだ。
ゴブリンが狩ったドワーフを、アラクネとオークが食っていた。
「本来の浅い階層の生態系からして、コボルトもどこかにいるはず。一体何種類の妖精種が動き回ってんだ――っ、静かに」
遠くから小さな金属音が聞こえた。
目を閉じて全力で聴覚に意識を集中させる。響き方の違う2種類の音が重なり合い、同じタイミングで断続的に鳴っている。
「剣戟の音だな。恐らくはタイマンだ。行くぞ」
片方は重めの武器。もう片方は細くて軽い剣だな。
音の鳴る方を目指し、移動を開始する。念のため、アラクネの探知糸にかからないよう、上下左右に視線を走らせながらの移動だ。
血の臭いがうっすら漂い始めた。角の1つを曲がったときに、思わず足を止めてしまう。
通路のそこいらに、ゴブリンの死体が転がっていた。どれも喉から血を流し、地面を掻くような姿で倒れ伏している。
剣の音は近い。近くの部屋からだ。
石のアーチに背を当て、そっと部屋の中を覗く。
2匹の亜人が、激しく剣を交わしていた。
片方の姿はゴブリン。ただし、普通のゴブリンよりも遙かにデカい。猫背で中腰なのに、俺と同じくらいの身長だ。スケルトンチャンピオンから奪ったとおぼしき鎧兜を身に纏い、左手にはバックラー、右手には大剣のような鉈を持っている。
不思議なのは、両手首と足首に短い鎖の垂れる鉄輪をつけられていることだった。
もう片方は、二足歩行の猫といった様子。真っ赤なハット、マント、長靴を身につけている。かなり派手な出で立ちだ。片手に持つ細身のサーベルで、必死にゴブリンの猛攻を防いでいる。
「ゴブリン上位種とケットシーだな」
そう呟いた瞬間、ついにゴブリンの大鉈がケットシーを捉えた。横一閃に両断されたケットシーが、煙と変わる。
ゴブリンの背後で、煙の中から再びケットシーが飛び出した。完全な不意打ちが決まったように思えたが、あっさりゴブリンの盾に殴り飛ばされる。
壁に叩き付けられたケットシーは、そのまま目を閉じてダウンしてしまった。
「介入するぞ。ケットシーは拘束のうえで介抱。ゴブリンは俺と隼人でやる」
ケットシーは言語のようなものを使う。ドワーフ、ゴブリン、アラクネ、オークとは違ってコミュニケーションをとれる可能性が高い。
「よお、ずいぶんと厳ついじゃねえか」
傷跡だらけの顔。灰褐色の肌に、無数の白い線が走っている。知性を持たないはずのゴブリンのくせに、その目はやけに冷静だ。
ゴブリンは大きな体を屈め、半身になって俺たちにバックラーを向けた。盾、肩当て、兜の3点が丸みを帯びた直線を描く。腰だめに引いて構えられた大鉈が、俺らの位置からじゃ視認できなくなった。
「こいつ、上手いな」
「手強そうだね。本当にゴブリンかな?」
身体能力と殺意にまかせて飛び掛かるのがゴブリンスタイルだろうに。どっしりと安定感のある構えで待つその姿は、まるで熟練の重装歩兵だ。
釣るか。
俺はゆっくりと盾のない左側に。隼人は正面で待ちの姿勢を崩さずに。立ち位置を変えて、強制的に隙を生み出す。
ゴブリンが動いた。火薬で撃ち出されたような瞬発力で隼人に迫る。バックラーを顔に向けて突き出し、視界を奪いにかかる。
隼人は大きくスウェーしながら、バックラーを下から蹴り上げた。
追撃に振るわれる大鉈と隼人の間に、ツヴァイハンダーを突き刺す。がきりと重たい音を立て、武器が止まった。
隼人が逆襲の斬撃を放つも、ゴブリンは風のような身のこなしでバックステップ。
「仕切り直しか。想像より速いな」
重戦士の立ち回りに、猿より身軽な動き。
久しぶりに正当に強い奴と戦うな。アーサー? あれは強すぎインチキマンだから話は別だ。
ヒルネの姿がゴブリンの背後に現れる。完全に後ろをとった瞬間、ゴブリンが駆け出した。
スイが放つ炎弾を殴るように盾で弾き、回転しながら俺の追撃の剣も受ける。大鉈の背を地面に擦りながら、深い前傾姿勢で急加速。火花を散らしながら、そのまま部屋を飛び出していった。
その背を見送り、数秒間。俺たちの間に沈黙が流れた。
背後を取られた。では対処せずに前に出る。
斬り合いになれば足が止まる。では盾で弾きながら進む。
人数不利を悟った。では逃げる。
遠距離で撃たれた。では地面スレスレまで体を低くして走る。
「――ゴブリンの判断力じゃねえぞ」
犠牲者どころか負傷者もでなかった、数秒間の攻防。だが、俺たち全員がハッキリと認識した。
あまりにも、手強い。
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