第147話 傷の館
鹿児島の冬の幸は最高だ。
ブリと車エビを肴に地酒をちびちびと舐める。残念だ。勢いよく体に入れても、とろりと舌に絡んで風味が残るような、独特な包容力が地酒の魅力だっていうのに。
俺たちが宿泊している建物の1階に食事処が入っていたのはラッキーだった。見た目は役所の食堂のように白テーブルが並ぶ簡素なものだが、メニューと酒が充実している。戦う野郎どもが飲み食いする場だ。酒は必須なんだろう。
夕食には隼人と柚子を誘ってみたが、柚子だけが来た。隼人は小松と打ち合わせがあるようだ。
久しぶりに会う柚子は、相変わらず日本人形のような美しさだが、妙に表情がやつれている。半ば放心状態でメカブをかき混ぜ続けていた。納豆じゃねえんだぞ。
「ガキンチョのくせに、中間管理職みてえなツラしてるじゃねえか。どうした?」
「リアル中間管理職の年代に言われたくない」
うるせえわ。職歴ぽっかりおじさん、たまに将来が不安になるんだから。
「でも、本当に疲れてそう。大丈夫?」
「大丈夫じゃないかも。ダンジョンよりここが疲れる。いつか死ぬ」
「えぇ……」
スイの心配には素直に応えたが、どうにも内容が物騒だ。
「東郷総長の介護疲れですか?」
トウカが箸を置いてから訊ねた。
「半分そう。総長もそうなんだけど、一般隊士も結構アレで……」
カシャン。どこかからガラスの砕ける音がした。ついで、怒声が響き渡る。
「ああ~、またこれ。これ!」
苛立ちを露わに、柚子はぐしゃぐしゃと頭を掻きむしった。
「なんの騒ぎだ?」
訊ねながらも立ち上がる。全員椅子を大きく引き、動ける足下にしていた。ヒルネの気配が薄くなる。
「ついて来て。でも、絶対に手出しはしないで」
そう言う柚子の顔には、苛立つ少女としての表情と、哀れみや苦しみを飲み下す大人としての表情が同居していた。
階段を駆け上がる。騒ぎが聞こえる階に飛び出した。
ビジネスホテルの廊下に似た雰囲気の場所で、2人の剣士が抜き身の刀で鍔迫り合いをしている。どちらも中年で、ベテランの風格が漂っていた。
窓ガラスを数枚巻き込むように、壁にざっくりと切り傷が走っている。さっきの音はこれか。
「どっち?」
柚子の問いに、片方の剣士がこちらを向く。理性的な表情をしており、地上でチャンバラするようには見えない。
「柚子さん! 俺じゃないです こいつです!」
「わかった」
もう一方の剣士は、顔面蒼白で小刻みに震え、すっかり怯えた目をしていた。
柚子が口の中で小さく詠唱を唱える。廊下にそよ風が吹き始めた。
「あ、新手だ! ころ、殺せぇ!」
弱気が滲む物騒な言葉とは裏腹に、立ち姿に隙はない。焦点の合わない目で俺たちを見た。恐怖の色が強くなる。「鬼だ、小鬼だ」と上ずった声で繰り返した。
「私は医者じゃない。これしか知らない」
突風が廊下を駆け抜ける。目にも止まらぬ速さで、柚子の膝が剣士の顔面に突き刺さった。盛大に鼻血を吹き出し、剣士は仰け反ってゆっくりと倒れる。
鍔迫り合いをしていた男が刀を放り捨て、すぐに倒れた剣士の体を抱き止めた。
「生きてるか? 生きてるな。よし!」
「殺さないって」
柚子がゆっくりと首を振る。
「PTSD……」
トウカが小さく呟いた。
PTSD。心的外傷後ストレス障害。俗に言うトラウマだ。
様々な原因、様々な症状があるために簡単に言い表すことは出来ないが……おおよそ、強すぎる精神的なダメージを負ったものが、その後も苦しみ続けるものを指す。
もっともメジャーなPTSDの原因は、生死を賭けた戦闘。
つまり、俺たち探索者の日常そのものだ。
「……強い、弱いじゃない。誰もがこうなる可能性を持ってる」
柚子が溜息をついた。
不思議なもんだ。PTSDの症状には、切っ掛けとなった出来事に関わるものを避けるようになる、というものがある。だというのに、あの剣士はフラッシュバックに苦しみながらも、まだこの地で刀を握っている。
「多いのか?」
「そもそも探索者自体に多い。そして、ここは日本で最も激戦を潜った地。みんな、多かれ少なかれ傷ついてる」
冒険者時代にもいたな。曲がり角を通れなくなったやつとか。普通はそうなったら戦士として終わりだ。というか、日常生活にも支障が出る。
「兄さんになんて誘われたのか知らないけど、薩摩クランはただのクランじゃない。私は、来て後悔してる。帰った方がいい」
抱えられていた剣士がうつろな表情で目を開いた。掠れた声で呟く。
「明日は俺が勝つ。アラクネの首級、挙げてやっ」
「そうかぁ。俺は2つ挙げるぞ。がははは!」
ついさっきまで斬りかかられていた剣士が肩を貸して立ち上がった。今のことなんて無かったように。
「彼らは大丈夫なの?」
「ダンジョン内だと、元気いっぱいに暴れてる」
「そう……」
あー、マジか。
これは隼人に騙されたな。
自然発生的な野蛮じゃねえぞ、これは。
現代人が、苦しみを乗り越えるための信仰だ。命を擦り潰す盤上に、倒れるその瞬間まで己を置くための信仰なのだ。
戦士であるための、強烈な自己暗示だ。
よく見れば、建物の至るところに傷が走っていた。
「ふん、そんな沈鬱な表情をするくらいなら帰ればいい」
柚子が煽るように言う。俺はゆっくりと首を傾け、ごきりと骨を鳴らした。
「俺は、トラウマに苦しんだことなんてねえ。ここに来たのも物見遊山みたいなもんだ」
「お気楽」
「だがな。歓迎されちまったんだよな」
「そのくらいで――」
「地元で命張ってる男が余所モンに期待を寄せるってのが、どういう意味か分からねえお前じゃねえだろ」
柚子の表情が固まる。
ここに来てから、色んな意味で予想を裏切られた。ドワーフしばいてアラクネ殴ってオーク丸焼きにして、美味い魚でキャッキャするつもりだったのによ。
俺自身、考えがまとまっている訳じゃねえ。だが。
「大変そうなんで帰ります、は男がすたるだろ。色んな事象、色んな思惑が絡んでるっていうなら、全部ぶっ壊して大団円にすんのが俺らのスタイルなんだ」
スイも大きく頷いた。柚子は呆れた様子で言う。
「本気?」
「こう見えて俺、嘘ついたことないんだよな」
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