第145話 有志
「毎日食わせてやれよ」
柚子と老人の漫才じみたやり取りに思わず口を挟む。柚子は肩をすくめた。
「さっき食べたばっかり。でも本当のこと言うと『食べてない』って怒り出すから、適当に答えるようにしてるの」
「なんだ、ボケてるだけか」
「そもそも私は婆さんじゃないし。もう、誰が誰だか分かってないの」
老人が俺の顔を見る。苦労の刻まれたシワの多い顔だ。にっこりと口元をほころばせ、懐かしそうに言う。
「おお、ヒロアキじゃないか。元気だったか?」
「ヒロアキ? ナガのお父さんとか?」
「いや。全く知らん名前だな」
スイが首を傾げて俺を見るが、俺にだって心当たりは欠片もない。
もう1人の老人が溜息をつきながら歩み出た。
「気にしないでくれや。ヒロアキは昔の同級生だ。小さくてぽっちゃりしていて色白でな。真面目で頭が良くて、信金を勤め上げた男だ。この前、肺炎で死んだ」
「共通点ゼロじゃねえか」
「すまんな。本当に何も分かってねえんだわ」
なんでそんな状態のジジイを連れてきたんだよ。そんな俺らの感情を読んだかのように、しゃっきりしている老人が言う。
「紹介しよう。このボケジジイが我らが薩摩クランの総長、東郷竜司だ。何一つ分かっちゃいねえが、剣の冴えは誰よりもある」
「おいおい、これが国内最大級クランの総長だって?」
「これでもウチで最強なんだわ。何が斬って良くて、何が斬っちゃダメか理解してねえが、なんでも斬れる」
「最悪じゃねえか」
力だけ最強クラスのままボケちゃったのかよ。ただの歩く災害じゃねえか。誰も止められない徘徊剣士とかやべえぞ。
全身の毛が逆立つ感触を覚えながら、東郷を見る。当の本人は上機嫌に、穏やかな老人そのものの笑みを浮かべていた。
決してデカイ体じゃない。筋肉質なのかすら分からない。腰もすっかり曲がっている。だというのに、最強の剣士ということを隼人も柚子も否定しない。
――マジで最強なのか。
「で、儂が小松栄太。副総長だが……実質的な差配は全て儂が執っている。改めて歓迎しよう、東京の英雄」
小松が右手を差し出す。応じて手を握った瞬間、トラバサミのように瞬間的に握り潰しにきた。案の定って感じだな。
ゆっくりと力を込めて握り返していく。小指の握りが異常に強い。そこだけ縄で締められているようだ。だが世界樹の侵食が進んでいる俺からしたら、まだまだ余裕で迎え撃てる。
小松の眉がぴくりと動いた。すっと力が抜かれた瞬間、こちらも合わせて緩める。手を離した小松は、ようやく表情を柔らかいものに変えた。
「なるほど。よく出来る。永野といったか、同じ車に乗れ。宿は取ったか?」
どうやらお眼鏡にかなったようで。
「いや、まだだ。隼人にとりあえず来いって言われて来た感じだし」
「そうか。じゃあ、全員クランハウスを使うといい。ダンジョン攻略用に、佐多岬に建てた」
小松が言うには、今回の異変の兆候はだいぶ前から発生していたらしい。特に顕著になってきたのが最近という話だった。
最初は探査拠点として建てたものだったが、必要な戦力が日増しに増えてどんどんクランメンバーが集まってきた結果、増築を繰り返し、ホテルのようになっているらしい。
「世話になる」
頭を下げた。小松は構わないというように手を振って、俺たちをトラックに案内した。
キャビンには運転席、助手席と、その間に小さな座席が1つ。そこにユエを座らせて、俺は助手席だ。
窓から顔を出して左を見ながらオーライオーライ連呼する。でけえ車は助手席のやつが左の歩行者や、障害物との幅を見るのが作法ってもんだ。
キャビン内にはほんのりと煙草の臭いが残っていた。ダッシュボードの上には、すっかり日焼けしたピースライトの箱。
「吸うのか?」
「いや。昔そこに乗ってたやつが吸ってたのさ」
「……そうか」
小松は片手でハンドルを回しながら、なんでもないことのように言った。あえて深くは聞かない。
「クマは薩摩クランで狩ったのか?」
話題が重くなりそうな雰囲気を察したのか、ユエが頭上を指さしながら訊ねた。
「おう、そうだ。激戦だったな。19人死んだ」
「……そうであったか」
ユエが諦めたように目を伏せる。もうちょい頑張れよ。
せめて自慢話になるかと思ったら、また死人の話じゃねえか。
「あー、えーと。そうだ。こっちじゃ薩摩クランの権限が強いって聞いたんだが、どういうことだ?」
苦し紛れに気になっていたことを訊ねた。小松の目が笑った気がする。
「聞きたいか?」
「やっぱ止めとくわ。絶対また人死に出てるだろ」
「274人だ」
「やめてくれよ」
つーか死にすぎだろ。どう考えても歴史に残る大事件じゃねえか。何が起きたらそんなに死ぬんだよ。
あと、どの話題でも人死んでるじゃねえか。
「かいつまんで話せば、東京人狼事変のように、こっちでも地上を目指すモンスターたちがいたんだわ。20年前か。鹿児島市の地下2層に、数えるのも馬鹿らしいゴブリンの群れが湧いた。そして、当時はまだ自衛隊や警察がダンジョンに介入する法的根拠がなかった」
聞いただけで頭が痛くなるような気がした。
なるほど。これは語られることのない事件かもしれねぇ。
戦闘の訓練を受け、武器を持つ公務員は参戦できない。しかし、現実として脅威は迫っている。
「分かるな?」
想像するだけで最悪の気分だ。
「――民間人だけでの防衛戦争」
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