第125話 過去の英雄

 アレクサンダー3世。

 アレクサンドロス3世や、アレキサンダー大王などとも呼ばれる。

 古代ギリシャのマケドニアの王であり、ギリシャ・エジプトからインド付近に至るまで、ギリシャ中東の広範な地域を征服した、紀元前の王である。

 またの名を征服王。無敗の大遠征を成し遂げた、紀元前最強の王とも言える存在だ。神話の英雄ヘラクレスとアキレスの血を引いているとも言われている。


 その名前がダンジョン内の石碑に刻まれていた。

 それが示すのは、紀元前の地球がダンジョンに繋がっていたことに他ならない。

 そして、恐らくはアレクサンダー3世の功績によって地球はダンジョンから切り離された。


 ――もしかすると、地球は何度もダンジョンに繋がっては離れたのかもしれねえな。


 アヌビスを始め、エジプト神話やオーパーツとされるギザの3大ピラミッド。ヴリトラやハヌマーンなどが記された、インド最古の聖典『リグ・ヴェーダ』。ファフニールが登場する北欧やゲルマンの神話もまたそうなのかもしれない。今まさに戦っているミノタウロスだってそうだ。



 ダンジョンはあった。そう考えるのが自然だ。

 そして、神々の引き起こした天変地異もまた、実際に起きた出来事なのかもしれない。


「……神話は実在したの?」


 スイが訊ねた。錫杖の先に黒曜石の散弾を浮かべ、油断なく照準を合わせ続けている。


『間違いなく存在したわ。地下60層。人類の到達の限界点には、多くの神々と英雄達の痕跡が残っている。数多の希望が、願いが、淘汰され磨り潰され絞られ濾過された地がそこに在る。私とアーサーとマーリンは、確かにこの目で見た』


 疲弊しきった様子でポピーは息を吐く。

 鈍い音。

 ブルちゃんに殴られたカルカが真っ赤な鱗を散らしながら殴り返す。

 軋む音。

 トウカの刃が太い牛の首の半ばまで食い込んだ。

 水の音。

 密かに触手を伸ばそうとしたアーサーの頭を踏みつける。


「で、地球はどうなるんだ?」

『次に繋がる世界の神話と接触することになるわ。そこにはヴリトラのように荒ぶる半神がいるかもしれない。セクメトのように破壊と復讐に取憑かれた神がいるかもしれない。神に抗えるだけの英雄を、王を用意して備えなければいけないのよ――!!』

「それがこの触手人形ってか? 冗談も休み休み言え」

『仕方ないじゃない!』


 ポピーが声を荒げた。おっと逆ギレかよ。

 泥を握るように動かした手を、即座にシャベルの柄が打ち据える。とにかく反応が早いな。


『うぅ……っ。アーサーは、純粋なる人類の王に成った。王に至った他のモンスター達を打ち倒し、王権を幾つも奪ったわ。神に挑むに値する存在に成る可能性があった』

「だが死んだ。そうだろ」


 ダンジョンに潜る限り、死は例外なく俺たちに付き纏う。

 どれだけ慣れていても、どれだけ用心していても、ふとした瞬間に命を刈り取りに来る。ダンジョンでぐっすり眠れるのは、理解が浅いひよっこか、それとも既に壊れた人間だけだ。死の気配はいつも、俺らの隣にいる。


『ええ。たかが有核種ごときに、不意を打たれてね』


 海の底から吐きつけるような、重たい声だった。あらゆる感情を沈めて押し潰し続けた結果、密度が高まり過ぎたような。

 ポピーの目を覆っていた闇が晴れた。露わになった目が、凄まじい憎しみを込めてアーサーの生首を睨む。下まぶたから、とめどなく鮮血が流れていた。


 人類の希望になり得た英雄は、死んだ。

 たかがスライムの上位種に不意を打たれ、一撃で首を落とされた。

 人類である以上逃れられない、生物的な弱点を突かれた。

 積み上げた力も、磨いた技術も、溢れる好奇心と集めた知識も、地位も名声も王権すらも、全てを動かぬ肉体に残してアーサーという人間は消えた。


『だから、アーサーを食らって王権を簒奪したこの有核種を殺すわけにはいかないの』

「お前が食えばいいじゃねえか」

『簡単に言わないで。肉体の強度も足りなければ……人類を背負えるだけの器を持ってない』


 足に込めた力を徐々に増していく。アーサーの穴という穴から触手が這い出て、必死に俺の足を切り落とそうと足掻いた。だが、全ては無駄だ。世界樹の再生力が、ついた傷を片っ端から癒やしている。

 みしりと、骨が歪む嫌な音がした。


「おいおいおい。人類背負う覚悟もねえのに、俺たちに喧嘩売ってきたのか?」

『喧嘩を売ったのはそこの有核種よ』

「御せていない兵器を希望と呼ぶな。持ち歩いた兵器の責任を放棄するな。銃が暴発するのは持ち主の責任ってモンだろうか」

『じゃあどうしろって言うの!? 信頼出来る人間で、アーサーの代わりになれる人なんていない! それでもこのアーサーもどきを育てるしかないでしょう!』


 アーサーもどきね。

 能力も人格も真似ることができず、さりとて捨てることも出来ず、か。


「誰も背負えない力だって言うんなら、それは失敗だったんだよ。受け入れるしかねえんだ。人類には早すぎたんだ、ってお決まりの言葉に慰められながらよ」


 ぐしゃり。水っぽい音がした。

 踏み下ろした俺の足下を見て、ポピーは息を飲んだ。

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