第116話 逃走

 足の甲に柔らかいものを潰す感触がした。

 アーサーは白目を剥く。その隙を逃さず、山里とカルカが刃を体に突き立てようとした。しかし、まるで感覚と動作は別だとでもいうように、アーサーの体はカクカクと回避行動をとる。


 なんか気味の悪い動きだな。

 事前にプログラミングされた動きを、入力された条件に対して応答させたような雰囲気がある。

 白目を剥いて冷汗を流しながら動いていたアーサーの様子が戻った。急に焦点が合い、憎しみの籠った視線を俺に向ける。


『群れれば噛むか』


 アリみてえに言われてもな。

 自己治癒したか、それとも痛覚を遮断したか?

 なんかさっき口元から見えた銀色の糸、見覚えがあるような気がするんだが、どうにも思い出せない。なんというか、ジャンルが違い過ぎて結びつかないって感じだ。


「そうだね。噛むよ」


 スイの言葉とともに、地面が隆起した。

 黒曜石で出来た巨大なトラバサミが地面から現れ、アーサーの膝にがぶりと食らいつく。

 それを目で確認してから、アーサーは斬り捨てた。


「今のアシスト、神懸かってるぞ!」


 一瞬だけ山里と目が合う。小さく頷いていた。

 言わずとも伝わったみてえだな。


「感覚遮断してるなぁッ!? 反応が遅ぇぞ、アーサー!」

『ちっ』


 俺と山里、それにカルカが一斉に距離を詰めた。

 痛覚っつーのは、肉体が発する危機感のシグナルだ。それを遮断するのは、警報を聞かないようにするのと同じ。どうあがいても危険に対して鈍くなる!

 俺らがすべきことは、正面からの視覚情報と聴覚情報を潰すこと。俺らが気を引いて、手札のヒルネを再度通す!


 アーサーが苦し紛れに振り回す聖剣をくぐりぬける。

 カルカの槍と山里の聖剣ががっちりと挟み込んだ。正面からアーサーの頭に腕を回し、首相撲の姿勢をとった。


「らぁっ」

『小賢しい!』


 膝をぶち込む。肋骨を割る感触がした。

 アーサーはくぐもった苛立ちの声を上げる。そのさらに下から声がした。


「1本貰いますねー!」


 膝の裏から刺し込まれたワスプナイフ。肉がぼこりと膨らむ。ずたずたに破壊されたところを横向きに一閃、ヒルネはアーサーの右足を掻っ攫ってとんずらした。


「危険です、離れてください」


 トウカの声がした。横から回り込んだトウカが、パイルバンカーの先端をアーサーの胸に押し当てる。俺らは一斉に離れた。

 必殺の予感に、全員の時間が止まったような気がした。瞬間的な静寂のあと、轟音が響き渡る。


 伸ばされた鋼の杭。

 粉砕されたアーサーの胴体。

 聖剣を握りしめたまま、アーサーの胸から上がくるくると宙を舞う。


 血煙が吹き上がった。

 なんつーか、ずいぶんと生臭いような……。


『もういいだろ、ポピー』


 アーサーが呟いた。


「一応?」


 首を傾げながらも、スイが光の壁を張る。障壁が俺たちとアーサーの間を遮った。

 カン、キン、カン。

 見えない何かが障壁を叩く音がした。


「わかんねえけど逃げるぞ!」


 理解不能な現象が起こり始めたら、とりあえず退避だ。36計逃げるに如かずだ!

 カルカがトウカを抱えてくれた。全員で背中を向けて走り始める。


 カンカンカンカンカン。

 障壁を叩く硬質な音が、どんどん数を増していく。すでに雨音のようだ。

 森の中にダッシュで飛びこみ、木の裏に伏せる。障壁が割れる音がした。


 ざぁっ、と何かが頭上を吹き抜けた。ギリギリ見える。銀色の細いワイヤーのようなものが、無数に振り抜かれたようだ。

 全てが通り過ぎるのを待ってから立ち上がる。


「まーずい! ドローンやられたか!?」


 山里の焦った声がした。

 誰のかはわからねえが、ドローンが2台炎上して墜落する。下草や低木、小枝がぱらぱらと地面に落ちた。樹皮が外側に向かってはじけ飛んでいる。


『なんという広範囲、高威力だ』


 カルカが感嘆の声を上げる。なんでちょっと嬉しそうなんだよ。

 遠目に見えたアーサーは、肉を糸で縫い合わせるように、体を継ぎ接ぎに再生していた。作りかけのフィギュアみたいで気持ち悪ぃな。


「完全に人間やめてんな」

「ナガが言う?」

「よし、逃げるか。今のを連発されるようだと、ちょっと成す術がねえ」


 階段を目指して動き始めた。

 比嘉ひががスマートウォッチを見る。


「女の方も来てる」

「厄介ですね。どんな能力を持っているのかもわかっていません」

『あの聖剣使いだけでも止められない現状ではな』


 超絶重たいはずのトウカを軽々と抱えながら、カルカが言った。

 冷静に考えて、こいつのパワーを普通に受け止めていたんだよな。


「マジであれ、人間か?」

「人間じゃないだろ。絶対変だって。そもそもアーサーって前は人格者って評判だったろ!?」


 走って逃げながら、花火のようなものに火を付けて地面に捨てていく山里。背後で濃厚な白煙が広がっている。煙玉なんて、よく持ち歩いてるな。


「あ、繋がった」


 スイがスマートウォッチから展開されているホログラムを俺たちに見せた。焦燥した顔の支部長えまちゃんが映し出されている。


「よお、支部長ちゃん。ご機嫌いかが?」

『大っっっ変……申し訳ございませんでした』


 第一声の謝罪に思わず笑ってしまった。


「ずいぶんと愉快なアトラクションじゃねえか。ええ?」

『ただいま正式なルートと、非公式なルートの両方から問い合わせをしております。これはまだ確証のとれた話ではないのですが――』


 支部長ちゃんは少しだけ言いづらそうに続ける。


『イギリスの関係者が言うには、アーサーさんは真実英雄に相応しい人格者であり、そのようなことはあり得ない、と』

「現実はこれだぜ?」

『そうです。私もプロパガンダ的に彼の人格を隠して宣伝していたのだと思っておりましたが、彼と過去に関わった人は本当に人格者だと思っているようでして。どちらかと言えば、相方のポピーさんの方が危険視されていたようです』


 ポピーの方が?

 変なやつではあるが、どっちかというとアーサーを制止していた印象だぞ。あまり表立って噛みついてくる感じでも無かったしな。


『アーサーさんとポピーさんが行動を共にしているのは、危険人物であるポピーさんの監視という意味合いが大きいそうです。だからこそ、アーサーさんが表立って襲撃をしてくるというのは、何かの間違いではないか、と』


 どうやらおかしなことが起きているようだ。

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