第107話

『古ニュート言語は話せるか?』


 地面から完全に頭を出したリザードマンにユエが話しかける。

 リザードマンは目の表面を覆う半透明の膜――瞬膜をしばたたかせた。


『おお、古き氏族か。歓迎しよう』


 ぼこりぼこりと地面を押し上げ、リザードマンが地面から這い出す。全身からばらばらと土や草の根が落ちた。

 立ち上がったリザードマンは、身長2メートル程度。尾や腰回りが人間と比べて遥かに頑強な作りをしているためか、身長以上に重厚で大きな印象を与える。

 リザードマンとしては平均的なサイズってところだな。武器も持っていないし、戦士階級じゃねえな。


「意思疎通できたか」

「話せば中々に気のいい奴らだ。だが文化が独特だ。説明するから驚くなよ?」

「独特な文化?」


 リザードマンはじろりと視線を動かした後、俺を指さして問う。


『この者が指導者か?』

『そうだ』


 リザードマンは頷いた。

 答えたユエは俺に申し訳なさそうな表情をして言う。


「王よ、どうか1発耐えて欲しい」

「は?」


 リザードマンは俺に歩み寄ると、拳を引いた。今から全力でぶん殴りますの構えだ。

 マジかよ。耐えろってそういうことか。


『親愛なる隣人よ、出会いに感謝!!』


 歯を食いしばり、全身に力を込めた。拳が顔面に突き刺さる。

 砲弾のような威力。痛みどうこうの前に、首にへし折れそうな負荷を感じた。背中が弓のようにしなる。遅れて顔面にバチバチと痛みが弾け、鼻血が噴き出した。

 なんか前歯の付け根まで痛い。


 鼻をすすり上げ、鉄さび臭い液体を吐き出した。


「で。俺もこいつ殴って良いのか?」

「もちろん。1発だけだ、王よ。出会いに感謝しながら殴るのだ」


 俺も体を大きく捻り、拳を構える。


『よお。出会いに感謝だこの野郎』


 全身の筋が軋むくらいの力を込めて、思いっきりリザードマンの顔面に右ストレートをぶち込んだ。

 リザードマンは無抵抗でその1撃を受け入れる。

 俺の骨まで痛めるような衝撃。リザードマンも大きく仰け反り、尻尾で体を支えた。


 顔面の鱗がバキバキに割れてやがる。ざまあみろ。

 それと引き換えに、俺の拳の皮もべろりと剥けていた。さらされた白い層の表面からぷつぷつとドット状に血が滲み出す。


『素晴らしい隣人だ。ぜひ集落に来てくれ。戦士長も喜ぶはずだ!』


 表情こそわからないが、確実に楽しそうな声でリザードマンが言った。足がふらふらしている。相当に効いているはずなのに、やけに嬉しそうである。


「なんだこいつ、キモくねえか?」

「フィジカルに自信のあるリザードマンにとって、1発ずつ殴り合うのは『これくらいで死なないのは分かりますよ。信頼を込めて殴りますね』『素晴らしい拳でした。あなたは立派な戦士です』と称え合う意味合いを持つのだ」

「野蛮すぎるだろ」


 河原で喧嘩をして認め合う、昭和のヤンキーみてえな生態してやがんな。

 まぁ、嫌いじゃねえ。だがここでも問題が1つあるんだよな。


「俺は昔リザードマンと戦ったこともあるし、殺したことも食ったこともある。敵対関係にならないか?」

「なんでも食いすぎだろ」

「勇者様にも食わせてやるよ」


 俺の言葉にユエは「そんなことか」とあっさり返した。俺が言ったことをリザードマンに伝えると、怒った様子もなく朗らかに笑う。


『争うも食らうも摂理だ。対話できるようになったことを喜ぼう!』


 すげえ価値観の種族だな。くっそ野蛮なモンスターかと思っていたが、人間よりもよっぽど人間ができているんじゃねえか?


『集落に案内する』


 歩きだしたリザードマンの背中を見て、それから仲間たちに視線を向ける。スイも山里も頷いた。

 ――行くか。

 俺たちはリザードマンの案内に従い、彼らの集落に向かった。



 リザードマンの集落は、広い湖のほとりにあった。地下水脈らしき場所から出てきたのも含めて、半分水棲なのかもしれない。どおりで巨大化するわけだ。

 対岸まで見えない広さの湖の周りは砂浜になっている。琵琶湖や支笏湖のような大きな湖だとよく見られる光景だな。


 建物らしきものは一切ないが、トーテムポールのような、意匠が彫り込まれた木の柱が何本も立ち並んでいる。直径30メートルほどの円形に並んで立てられているようだ。


 俺たちを案内したリザードマンが、頭を空に向けて「オッオッオッオ」と鳴いた。どこから同じような鳴き声が返って来る。だんだんとその数が増えていき、あっという間に大合唱となった。

 水面から続々とリザードマンの頭が出てくる。ぱっと見で200を超える群れだ。敵対すればこっちはひとたまりもないような、とんでもない物量だな。


 ひと際大きなリザードマンが上陸する。全身の真っ赤な鱗がぎらりと光を弾いた。

 身長はおよそ5メートル。手には何かの骨から削りだしたような、体と同じくらいの長さの槍を持っている。頭には水鳥の羽飾りが付けられ、体には木の皮で作ったような腰巻を着けていた。

 間違いなく、リザードマンとしては最大クラスの戦士階級個体だ。


『おお、久方ぶりの客人だ』


 低く唸るような声だ。それでも言葉の内容には歓迎の意思が込められている。シンプルに体がデカ過ぎて声が低いのだろう。


『この辺りのリザードマンを纏めている。戦士長のカ・カルカ・ゲラだ。カルカと呼んでくれ』

『よお、カルカ。俺のことはナガと呼んでくれ』


 挨拶の言葉を交わしながら、内心で冷汗を流す。

 まさかこいつとも、歓迎の拳を交わさなきゃいけねえのか? 普通に死ぬぞ。対格差がありすぎる。


『その気配……王か。人間の王には初めて会う。出会いに感謝を。俺も同じく王と成ったところだ』


 しかし予想に反し、カルカは非常に落ち着いた声でそう言った。

 つーか、世界樹の仔みてえなノリで、王であることもバレるんだな。特有の気配みたいなのがあるのか?


 カルカは夕焼けに染まる空を見上げて、ゆっくりと噛み締めるように言う。


『よき時だ。せっかく王同士が出会ったのだ。祭りをしようではないか』

『祭り?』

『ああ。きっと楽しんでもらえるだろう』

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