第102話

 歩いている姿勢そのままで、ぐるりと首だけが回る。

 時間が停止した世界で頭だけが動いているような、違和感のある状態で、アヌビスが俺たちを見た。


「おや、こんなところに王が2人も」


 幾重にも反響させたような不思議な声だった。老婆の声、壮年の男の声、少女の声、そして大自然の鳴動。それらが混ざり合い調和した、奇妙な音色だ。

 そして当然のように日本語を話しやがる。


 放たれるプレッシャーに、誰も身動きが取れなかった。まるで心臓を鷲掴みにされているみたいだ。

 冷汗がアゴの先端から滴り落ちた。


「うむ? そこの王は最近繋がった世界の人間ではないか」


 アヌビスの目が俺をじっと捉える。

 黒曜石を真球に削りだしたような目だ。何の感情も思考も映していない。いや、映していないのではなく、俺らでは感じ取れないだけかもしれない。

 沈黙を守る俺たちを前に、アヌビスはうんうんと頷いた。


「そうかそうか、あの人狼は死んだか。まさか地球人類にアレを倒せるのがいたとは、感心感心。よく頑張っているな」


 ロボのことも含めて、完全に俺たちを認知していやがる。

 妙に親しみやすい口調で喋っているが、出会ったその瞬間から、体は死の危険を感じ続けていた。


「敗れた世界の王もいるな。仲が良いのは美しいことだ。しかし……ふむ。なんとも弱すぎる。惰弱だ。これには感心できない」

「神よ。この者の世界はまだ繋がったばかりだ」


 ユエが口を開いた。

 アヌビスの顔が目にも止まらぬ速さで動き、今度はユエを正面に捉える。


「そんな油断をするから、食い物にされてしまったんだよ。その点は本当に感心できない。折角、王にまで成っておいて、その有様ではね。期待外れもいいところだ」

「あんたは……本物の神なのか?」


 面識があったのだろうか。アヌビスに好き放題言われたユエは、悔しそうに俯くだけ。俺は思わずアヌビスに訊いてしまった。


「神を名乗ることはできる。けれど、神を神と呼ぶかは、知的生物がそれぞれで決めること。どの神話だの、どこの誰が神だのは、君たち各々が思いたいように思えばいい」

「哲学の問答か?」

「感性の話だ」


 曖昧な表現すんじゃねえよ。とりあえず、目の前の存在が神に近しいモノってのは確かなようだ。


「神様がなんでこんなところお散歩してんだよ」

「直接見て回らなければ、またいつ異物が混ざるともしれんからな。世界樹なぞはぽこすか眷属を増やすから……いや、増えて満ちるのは感心できる。感心感心」


 こいつは――ダンジョンの創造者なのか? あるいは、ダンジョンの管理者?

 少なくとも、ダンジョンという謎多き存在の根幹に関わる者なのだろう。


「いやはや、惰弱な人類の王よ。こんなところでのんびりしていては感心できんぞ。世俗を捨て、もっと力を求めよ。これは神託だ」

「惰弱、惰弱と……」


 舐めんじゃねえよ。そう言いたかったが、どうしても言葉が出なかった。

 目の前の相手に意地を張ることのバカバカしさが、戦わずとも分からされてしまっている。


「いつまで、自分たちの世界が地上でいられるか、よくよく考えると良い。でなければ、興味を失ってしまいそうだ。感心させておくれ。ではまた、いずれそのうち」


 アヌビスの姿が消えた。

 いや、違う。もっと大きな違和感の残る感触がした。


 俺たちのいる場所からアヌビスが消えたのではなく、アヌビスのいる場所から世界そのものが剥がされたような――。

 まるで画像編集をしているときに、背景のレイヤーだけ引っ張ってバラバラに配置したような。俺たちが感覚がはっきりと体に残っている。


 アヌビスの気配が消えた途端、全員が大きく息を吐いた。

 極度の緊張に晒されていたせいか、数人が地面にへたりこんでいる。


「なにあれ……やばすぎ」


 スイが血の気の引いた顔で言った。

 いや、マジでやばかったな。


 銃を向けられるとか、危険なモンスターに相対するとかと、ちょっと感覚の次元が違う。無理に身近な例を挙げるとするなら、スズメバチの羽音が近いだろうか。

 危険だなとか認識する前に、つい身が竦んでしまう。虫について全くの無知であっても、本能的に恐怖を感じる。あの感覚を極めて大きくしたものだ。


「それが神々だ」


 ユエがぽつりと言った。


「ユエちゃん神々と会ったことがあるのですか?」


 まだ震えの残る声でトウカが訊く。

 ユエは小さく頷いた。


「さっきのアヌビス、そして猿神ハヌマーンの2柱には会ったことがある。人知を超えた力を持ち、それを振るうでもなく、なんとなく我々を眺めながら散歩しているだけの存在だ。もっとも、何かをしたときには我々など跡形もなく消し飛んで、認識することも出来ないだろう」


 勇者だとか現代兵器だとか、そういう次元じゃねえな。どうしようもないモンが出てきてしまった。

 挑みさえしなければ無害っぽいのがせめてもの救いか?

 何かしらの条件を満たした途端に敵対してくる、とかじゃなければ良いんだが。


 それに、気がかりなことも言っていたな。


「俺たちの世界が地上ではなくなる、か」

「当たり前であろう。いずれは積層のうちの1つになるのだ。上の階から『探索者』がやってくる日も、そう遠くない」


 当然のことのように言いやがる。

 ダンジョン世界の先輩にとっては、常識みてえだな。


「そういう大事なことはもっと早くに言え」

「普通に考えれば想像できることではないか」

「俺らにとってはダンジョン自体が普通じゃねえんだよ」

「なら、なおさら想像せねばなるまい」


 俺は口をへの字にして黙り込んだ。

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