第64話
「ヤスもクソガキも帰ってこねェ。お前もだ、ナガ。当然死んでいると思っていたァ。俺も散々に刺されながら、どうにか逃げ延びたんだがなァ。おかげで、奥歯2本と舌の1割を持ってかれちまった」
べろりと伸ばした舌は、虫食いのように一部欠けている。
突かれ、絡みつかれ引きずり倒され、振り下ろされた刃。それを顔を横に向けて間一髪で致命傷を逃れた――そんな傷跡だ。
「元気そうで何よりだよ。で、お前みたいな半グレ崩れの四分の一グレ野郎が、なんでこんな場所にいんだよ」
「ナガァ、テメェも一緒だろうが。ああ? 世間から英雄様扱いで図に乗ってんじゃねえのか? ヒョロガキの斥候に、殺し方を教えてやったのは誰だと思ってんだァ?」
俺は舌打ちをした。
ダンジョンに無許可で潜っていた当時。冒険者と呼ばれる者たちは、全員が社会からドロップアウトした無法者たちだった。
無法者っていうのは、ただ心構えがそうあるだけではなれない。
他者を威圧する、他者を傷つける、生き物を的確に殺す。どれも我流で簡単にできるもんじゃない。
ファストフードのアルバイトにだって研修は必要だ。暴力だって、経験者から教わる必要がある。
あのとき、あの地域にいた暴力に不慣れな者たちは、みんなメガネの背中を見て暴力を覚えていった。
「で、なんだ。先輩風吹かせに来たのか? それとも喧嘩売りに来たのかよ」
コツ、コツと足音が近づいてきた。硬いレザーソールの革靴の音。金の臭いがする足音だ。
身長180くらいの、光沢あるダークスーツの男がトイレに入って来た。
きっちりスリーピースを着て、紺色のネクタイを締めている。が、フォーマルな格好に似つかわしくない、縦横無尽に剃り込みが入った坊主頭だ。
スマートウォッチを留める金のバンド。その下の腕がやけに太く、血管が浮いている。かなり鍛えこまれた肉体だな。
「オヤジ、生で見るとデカいっすね」
「ナガは昔からタッパはデケェんだよなァ」
ゴツい男が、俺とメガネの間に割り込むように立った。負けん気に満ちた目が、息がかかりそうな距離で俺を睨み上げる。
「どうも。『牡羊の会』実働部部長の
牡羊の会。こいつが。
反射的に膝が出た。
冷汗を流す
「っつーことはお前が牡羊の会の代表か? 商売やる前の挨拶でもしに来たってとこか」
「まぁ、そんなとこだな」
「じゃあ便所にクソ連れてくんなよ。クソ出すとこであって、持ち込むところじゃねぇだろうが」
「言うじゃねぇかァ。おい、お前が軟弱なせいでナガに舐められてんぞ、
メガネが関と呼ばれる男に、低い回し蹴りを入れた。脇腹につま先が突き刺さる。
転げた
「俺に! 恥を! かかせんじゃ! ねェよ!」
繰り返し下ろされる靴。
おいおい、仲間にそこまでやるか。
「まァ良い。ナガもよほどダンジョンで揉まれたみてェだからなァ」
メガネは笑いながら、懐に手を入れる。すっと自然な動作で出したのは、スライドに独特の凹みが入った拳銃。
大昔のヤクザが好んで使っていたという、ソ連の拳銃トカレフだ。
俺の腹に銃口が合わせられた。
うっそだろおい。この時代の日本で、拳銃出てくるかよ。
銃口はBB弾を撃つおもちゃと違い、しっかり太さがある。なんで実銃持ってんだ、こいつ。
「安全装置がかかってるぞ、ルーキー」
「ねぇよ、この銃には」
一応ハッタリをかましてみるが、ダメだ。そうだよな、トカレフは安全装置がないから、危ないってんで有名な銃だった。
メガネは銃を奪われないように、自身のへそに近い位置に手首を当て、銃を固定している。銃口を逸らすとかのアプローチは無駄だな。
「ここで撃てば、てめえが社会的に終わるぞ」
「代わりにムショ入る奴くらい用意してるに決まってんだろォが」
無茶苦茶だ。
こんな時代にトカレフが出てくるってことは、新規に輸入したとかじゃなくて、元から日本にあった違法なものを、どうにか手に入れたっつーことだ。
国内によっぽど広く伝手を持っていると見える。25年間で出世したもんだな、おい。
「ナガ、お前よォ。牡羊の会に入らねェか? 俺の下につけ」
「銃口向けながらリクルートか。イギリス海軍じゃねえんだから」
「ヤクザな商売なのは変わらねェだろ?」
「それもそうだ」
俺は肩をすくめた。
「『牡羊の会』に入れ。んで、聖剣も寄越せ。余計な真似すんじゃねェ。じゃねェと、死体の1個や2個を用意しなきゃならなくなる」
ありきたりな脅し文句だ。
あくびが出た。つまんねえよ、そういうのは。
「撃ちたいなら撃てよ。撃ちたくねえってんなら、俺も丁寧に断ってやるからよ。羊羹は無理だが、キャベツ三郎くらいはつけるぜ。12個入りで1600円だ」
メガネの額に青筋が浮かんだ。
「てめェ、自分が強くなったと思ってんなァ? お前1人が強くなったところで意味はねェぞ。そうだなァ……」
メガネの口元が歪んだ。
囁くような、優しさすら感じる小声で、とある住所を言う。
「そこで2個は用意できるかァ?」
その住所には覚えがある。
ついさっきまで、俺がお茶シバいてた場所だからな!
頭の中で血が
手が、動いていた。
パン。乾いた音がする。
伸ばした右手が、メガネの首を掴んだ。肉を潰しながら、指が食い込む。
腹に熱いものを感じる。
パン。パン。
続けて2発の銃声。腹、右太もも。当たったのはわかる。血も出ている。が、それだけだ。
首を掴んだ右手だけで、メガネの体を宙に吊り上げた。足がじたばたと宙を泳ぐ。
「死体づくりはこの場で2個だ、クソ野郎」
「させるか!」
立ち上がった関が、ドスで俺の腕を刺した。右手から力が抜ける。メガネの体が床に崩れ落ちた。
即座に左手で関の頭を掴み、便器に叩きつける。派手な音と共に、白い陶器が砕けた。
赤と白のグラデーションの中で、壊れた水管から水が噴き出す。
「げほっ、おぇぇっ」
メガネが透明な液体を吐き出しながら、ゆらりと立ち上がった。
「あ~~~、撃っても止まらねェかァ、化け物め」
その顔面に拳を叩き込んだ。骨を砕く感触がした。
床に拳銃が落ちる。ごつんと重たい音を立てて、床に転がった。
仰け反ったメガネの体が、ゆっくりと元の位置まで戻って来る。左の白目を真っ赤に充血させながら、メガネは笑った。
飛んできた金的蹴りを太ももの内側で止める。続けて、曲げた指の爪が目に伸びてきたのを額で受けた。
左膝の力がかくんと抜ける。視線を落とせば、いつの間にか膝に細いナイフが刺し込まれていた。
「暗器はズルだろ」
表面に麻酔か毒でも塗ってあんのか?
ぼんやりと感覚が鈍っている。
首を狙う次のナイフを、メガネの手ごと握って止めた。捕まえたぞ、ちょろちょろしやがって。
至近距離で睨み合う。握った手に力を込めれば、鋭い痛みと、細い骨を握りつぶす感触が同時に手の中に生まれた。
「よしよし、痛み分けにしようじゃねェか」
表情を歪めながら、メガネが
その腹に前蹴りを叩き込んだ。メガネの体がくの字に曲がり、トイレの入り口横の壁まで水平に吹っ飛ぶ。
先ほどの音が大きかったせいか、どやどやと複数人の男がトイレに入って来た。
「オヤジ!?」
「関さん、生きてますか!?」
「やってくれたのぅ、ワレ!!」
殺気立つ男たちを、立ち上がったメガネが手で制す。
「いい。わかったわかったァ。今のところは手を出さないでやる。さくっと殺せそうにねェんだ。ここでダラダラやり合うのはデメリットしかねェ。続きはダンジョンでやろうじゃァねェか」
「いや、逃す理由がねえよ。ここで全員殺す」
右腕と左膝に刺さったままの刃物を引き抜いた。それをメガネに向ける。一瞬だけ血が流れ、すぐに止まった。世界樹の苗のお陰だな。
メガネの頬を、初めて冷汗が伝った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます