第63話

 鏡を見ながら思った。

 顔が怪しいやつは、何をどうしても怪しい。


 井の頭ダンジョン出入口という巨大複合施設には、探索者からの需要が大きいのか、サウナ付き銭湯が入っている。

 一度入浴し、買ったばかりの服に着替えた。黒のミリタリーカーゴパンツ、白のトレーナー、レザーのフライトジャケット。


 だいぶ伸びてきたひげが悪いのか、それとも少し猫背なのが悪いのか。

 それ以上に目つきが悪いのかもしれない。

 筋肉がついているのに猫背なせいで、威嚇いかくするような雰囲気になっているのがいけないのかもな。


 ぐっと背筋を伸ばしてみれば、少しはマシになった。


「よお。待たせたな」


 スイだけでなく、ヒルネとトウカもさっぱりした様子で待っていた。


「うわー、ナガさん、なんか変ですねー!」

「開口一番、失礼なガキがいるな」


 ヒルネは心底不思議そうに首を傾げる。


「こういうのって、カッコいー! みたいになるのが定番だと思ってたんですけどねー?」

「なんか違うよね」


 スイまで失礼なことを言う。

 いいんだよ。風呂入って身だしなみ整えたくらいで、そんな急に格好よくなったりはしない。


「まぁ、スキットルが似合いそうで良いではありませんか」


 トウカがなんとも言えないフォローをする。戦争映画に出てきそうっつーことかよ。

 つい力が抜けて、猫背気味に戻った。スイが笑う。


「そっちの方が似合ってる。変に緊張しなくても大丈夫だよ」


 まあ、それならそれで良い。

 自分より背が低い人と話すにしても、役所で書類を書くにしても、家事でもなんでも、高身長で良いことなんて一つも無かった。

 「一般人」の目線に合わせて生きていこうとした、大昔の自分の名残が猫背だ。


「そうだな。俺は誇りを持って背中を丸めてるからな」

「意味わかんないかな」

「わかれ」


 手土産に「キャベツ三郎」というソース味の生菓子を買って包んでもらう。

 マジで理解できないが、「懐かしい味がエモい」ということで大人気らしい。「キャベツ〇郎」を生菓子にしたって、それもうただのタコ焼きタコ抜きだからな。



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 スイの家は杉並区のタワマンだった。

 といってもこの時代、タワマンの価値がかなり下落し、23区内はよほど古い建物でなければだいたいがタワマンという有様らしい。

 地方の小規模な町村のインフラ維持が限界に達し、大都市に人口が集中した結果とのこと。世知辛い。一軒家は大富豪の象徴だそうな。


 半屋外のエスカレーターを3階層分登り、ようやくマンションの入り口へ。スマートウォッチをかざし、エントランスに入る。

 4階分の巨大吹き抜けの上に、馬鹿でかいシャンデリアが吊るしてあった。

 なんでこう、タワマンってエントランスの天井を高くしたがるのか。


 人間とAIロボットの2種類のコンシェルジュがいるエントランスを抜け、スイの生体認証で自動ドアを開く。6台並んだエレベーターが既に開いて待っており、その行先ボタンも前もって光っている。


「価値が下がったとはいえ、それでも35階はかなり高そうだな」

「そうでもないよ。ダンジョンの入り口が出来たときに、色んな建物が崩れたからね。直撃は避けられて避難もしやすい、5階~20階が高いの」

「時代が変わるってこういうことか」


 ドローンを使える探索者なら高層階からでも飛び降りられるが、誰もが持ってるわけじゃなさそうだしな。


 エレベーターを降り、スイの部屋の前へ。

 どんな親が出てくるのか。ダンジョンでの様子は配信で見ているはずだ。あれよりひどい様子を見せることもないだろう。

 緊張することはない。


 インターホンを鳴らすと、すぐにドアが開いた。


 出てきたのは、スイとよく似た顔だが、雰囲気を二回り大人っぽくさせ、伸ばした髪をカールさせた女性だった。

 女性は満面の笑みを浮かべ。

 口を開いた。



「あらあらあらあらあらナガさんね娘がお世話になってます、ようこそいらっしゃいました、すみませんねぇ無理を言って、でもね配信で見てたもんだからいつか会ってみたいなとは思っていたのに、全然スイったら連れてきてくれなくて、なんなんでしょうね年頃の子ってのは親に自分の人間関係を見せたくないものなんですかね、あらあらそういえばこんなところで立ち話なんて、どうぞどうぞ中に入ってくださいね」


 一息だった。

 マジの一息でここまで言葉を連射しやがったぞ、スイのお袋さん。


「お邪魔し」「お邪魔だなんてとんでもない、むしろこんなところまで来てもらって嬉しいわー本当に、なんならダンジョンから出たまんまの恰好でも良かったのにわざわざ着替えてもらって、剣とかドローンとか向こうに預けているんでしょう、ロボの事件があったから持って帰りたいだろうに気まで使ってもらってごめんなさいねぇ」

「お母さん、落ち着いて」


 スイの制止でようやく止まったか。

 マシンガントークどころじゃねえぞ。早撃ちの上にリロードもない。

 用意されていたスリッパに履き替えて、部屋に入る。玄関に男物の靴が無いのが気になった。が、今聞くことじゃねえな。


「ごめんね。お母さん、ナガのファンなの」

「俺にファンとかいるんだな」


 意外すぎる。女性受けの対極の存在だと自負していた。これも時代の変化か?

 勧められた椅子にかけ、通り一遍の挨拶をし、お土産のキャベツ三郎を渡した。


 キャベツ三郎にどのお茶が合うかは謎だが、選ばれたのは、注がれたお湯で花のように広がる中国茶だ。ふくよかな花の香りと、蜜のような奥行きのある優しい甘み。どこかに炒った豆のような香ばしさも含んでいる。

 どう考えても、キャベツ三郎の格落ち感が否めない。


「美味いな、これ」


 一気に飲み干してしまった。


「あらー、気に入ってくれて嬉しいわ。たっぷり飲んでってね」


 ちょっとマナー違反かと思ったが、すぐに淹れなおしてくれた。ありがたい。


「うちの子が本当にお世話になってますから、これくらいはねえ」

「いや、こちらこそ助けられてる。何度も生死の際を分けるシーンで繋ぎとめてもらった」


「やっぱり本当に命懸けなのね。画面越しだといまいち実感がわかなくって」


 スイの母は頬に手を当てながらそう言った。

 お互いに歳が近いであろうせいか、会話は滑らかだ。


「あら、自己紹介が遅れてすみませんね。スイの母のあかりです。魔法機械製造のマゴスダイナミクスの代表取締役兼社長をしております」


 すっと差し出された名刺を両手でぎこちなく受け取る。ビジネスマナーは通ってないから知らねえんだ。


「あー、名刺とかないんだが、探索者の永野弘だ」

「あとでサインでも貰えたら嬉しいわ」


「サインなんてないんだけどな。それにしても、よくまぁ娘が探索者になるのを反対しなかったな」


 気になっていた部分に切り込むことにした。

 可愛い我が子を切った張ったの世界に送り込むことを良しとするほど、価値観が違っているとは思えない。


「よく言われるところね~。スイは可愛いから余計にそう言われるのかしら。まあ別にスイを探索者にしたかったわけでもないし、賛成か反対かって言われたら当然反対よね。でもこの子がしたかったことでもあるし、それにね。自分から飛び込んでいくなら、危険のうちに入らないわ。本当の危険って言うのは、必ず向こうからやってくるものなのだから。あら、でもそう考えたら、本当の危険っていうのはナガさんのことなのかしらね」


「全面的に、そうなのかもしれないな」


 飛び込むうちは危険じゃない。そう言えるのは、会社の成功も失敗も一身に背負う立場だからだろうか。

 経営者の「生きるか死ぬか」とダンジョンでの「生きるか死ぬか」はまた別だが、人は自分の価値観で相手を想像する生き物だ。そういう認識でも仕方ないことではある。


 そう思いながら返事をすると、あかりさんは両手を口元に当てた。


「あらあらあらあらあら、スイ、だって! やっぱりナガさんは危険な男なのよ!」

「そうじゃないでしょ。ナガはそういうのじゃない。どちらかというと、お母さんにとってなんじゃない?」

「あらあらあら……」


 どういうことだよ。そういうことかよ。


「あー、見た目はこんなんだが、もういい年だからな。どちらかと言えば、同年代のあかりさんの方が親しみがあるな」

「あらー……」


 あかりさんの頬が赤くなった。なんでだよ。

 そもそも旦那さんいるだろうが。疑問を込めてスイの方を見ると、気まずそうに頬を搔きながら言う。


「お父さん、ネッシー探しになぜかロシアのバイカル湖に行って、現地で『真実の愛を見つけた!』って言って離婚してるから……」

「なかなか愉快な人だな」


 結論が出た。目の前で赤くなってる女性の、男の趣味がヤバい。「あらー」しか言えなくなってるしな。

 娘の前で口説いたみたいになって、俺まで気まずくなってくる。


「ほなそろそろおいとまして……」

「それがいいと思うよ」


 簡単にもてなしと聖剣のことの礼を言い、スイに見送られて下に降りた。

 なんかすげえ勢いだったな。現代人のバイタリティを侮っていた。ぜひまた会いたいと言われ連絡先を交換したが、本当にまた会うのだろうか。

 まっとうに他人から好意を向けられたのがあまりに久しぶりで、自分でもよくわかんねえな。


 武器とドローンを回収しに、井の頭入り口の建物に戻る。

 日が沈み始めているから、人気はまばらだ。先に用を足そうとトイレに入った。

 男性用の小便器が9個並ぶ真ん中で、堂々としていると、他すべてが空いているというのに隣に男が立った。


 なんだこいつ、きもいな。


「まさかと思ったがァ、やっぱりナガじゃねぇか」


 掠れた声。聞き覚えがある。競馬場にいたオッサンだ。


「誰だよ。友達みてぇな呼び方するじゃねえの」


 モノを振って水滴を飛ばし、チャックの中に仕舞う。隣の男も同じような仕草をした。向かい合う。


 太い黒ぶちのメガネの奥に、荒んだ生き方をしている奴特有の、重たく濁った瞳がある。あごを突き出すような威圧的な立ち姿。口の左右に、貫通したような刺し傷の跡。よく見れば顔中に傷が残っている。

 なんか見覚えがあるな。


「25年も経ちゃ忘れるか。それとも、舌ぶち抜かれて声が変わったせいでわかんねェかなァ?」


 背筋が冷えた。

 浮足立っていた感情が地に落とされる。


「生きてやがったか」


 思わず言葉がこぼれた。


「俺も同じ気持ちだったよ」


 こいつ、メガネだ。

 俺がダンジョンに閉じ込められたあの日、一緒にダンジョンに潜っていた仕事仲間。てっきり死んだと思っていた男が、目の前に立っていた。

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