第39話

 迫る敗北に一発逆転を狙う。まるで、じりじりと財布の中身が消えていく中、スロット台に最後の万札を入れる瞬間に似ている。

 怖いとか焦るとかじゃなくて、なんか吐き気がしてくるんだ。こういうときは。


 口が乾いて張り付きそうになる舌を回す。言葉は無料の弾だ。時間稼ぎでも、動揺を誘うでもいい。無駄でもいいから、撃てるだけ撃つ。


「でっけえ戦争するってのに、俺1人をシバくためだけに、王様の単独潜入か。やることねぇのか?」

「単独? 余がいつそんなことを言った?」

「うっそだろ、おい」


 マジ?

 これから街中で地獄の人狼ゲームが始まるのか?


「貴様が顔色を変えるのは愉快だな」

「笑ってんじゃねえぞ」


 最悪だ。最悪なんて状態には幾らでも下があるが、その中でもかなり底に近い方の最悪だ。

 相手が嫌がることをするのは戦いの定石だ。それは構わねえが、やり方が反則過ぎる。相手の変身待たないタイプの怪人だろ、これ。


「ダンジョンからモンスターが出てくるってのはよ、普通はゴブリンとかが群れで『わー!』って叫びながら出てきましたーって感じだろうが。お前らじゃねえんだよ、普通」

生憎あいにくと、人間の普通にはうとくてな」


 そう言ったロボは、手元の壁材を握力だけでむしり取り、振りかぶった。


「それも反則だろ!!」


 思わず叫ぶも、投擲とうてきは止まらない。白い粉を散らしながら飛んできた、石膏せっこうのような建材。

 下手にかわせば体勢を崩す。そうすれば、唯一の逆転の目を失う。なら、甘んじて受けるしかねぇ!


 飛んできたつぶてが左肩に当たる。予想を超える激痛に、目がチカチカとした。


「――っ」


 漏れそうになる声を、歯を食いしばって抑えた。頭皮からぶわっと汗が噴き出す。

 ロボがわらった。


「世界樹の苗は傷を塞ぐだけだ。痛かろう」

「そうだな。失恋の胸の痛みってこんぐらいかなって感じだ」

「減らず口を」


 再び飛んでくるつぶて。顔面に飛んできたそれを、額で受ける。白い粉が散った。

 垂れてきた血を舐めとる。


「白塗りにしてどうするつもりだよ。ちくしょーって叫べばいいか?」


 冷めた目で俺を見たロボは、また投擲とうてき


「いつまでもつか、楽しみだ」

「俺って結構、我慢強いんだよな。サウナでも最後まで座ってるしな」


 爬虫類のぎょろりとした瞳が、すっと小さくなる。

 苛立ちから、幾分と力のこもった振りかぶり。それに合わせて俺もロープを投げつけた。俺が我慢強いわけねえだろうが。そもそもサウナは行かねえよ!


 ぐように飛ぶロープの先端を、ロボは床に手をついてかわす。そうだよな。隙だらけに見えても、そのくらいの警戒はする相手だ。

 だが。

 一足で大きく跳んで、ロープの端を空中キャッチ。元から投げ縄の要領で上手くいくなんて思っちゃいねえ。投げ縄込みで隙を作り、直接縛って外に捨ててやる!


「気概だけは認めよう。だが……」


 顔面が木っ端みじんに吹っ飛ばされるような衝撃が走った。視界が真っ白に染まり、世界から音が遠くなる。鼻の奥から焦げ臭いにおいがした。


「が、ぁ……」

「足りていない」


 うっすらと見えるシルエット。そこにいたのは、尻尾を振り抜いた姿勢のロボだった。


「くっそ。何が慣れてないだ。バチバチに活用してるじゃね……かはっ」


 往復ビンタのように反対側から振られた尻尾に殴られ、壁に叩きつけられる。衝撃に、肺から全ての空気を吐き出した。こいつも相手が弱ったら追撃入れるタイプかよ。


 俺がめり込んで砕けた壁の中に、水色のコードが見えた。とっさに握り、引っこ抜く。千切れた線が剥き出しになったコードの先端をロボに見せつけた。


「はは、俺もツイてるな。てめえのお陰で、逆転の策が出来たぞ」

「……電線、だったか?」


 俺に変身していたときの、俺本体の記憶が残っているのだろうか。ロボは不快そうに言った。


「人間ってのは、道具を使って足りないモンを補えるから強いんだよ。バチバチと活用してやんよ」

「たかが100ボルト……いや、どうだ?」


 ロボは俺が持つ電線が、自分に致命傷を与えられるかを気にしているようだ。いいぞ、迷え。時間は俺の味方だ。


「……まあ良い。貴様を殺すのはあくまで副次的な目標だ。ここは引いてやろう」

「逃げんのか?」

「はははははは。構って欲しいのなら、次は貴様から来い」


 ちっ。時間稼ぎすらさせてくれねえか。

 ロボはくるりと背を向けると、堂々とした足取りで去っていった。


 手に持っているコードをよく見ると、透明なグラスファイバーがはみ出している。思わず力が抜けて座り込み、コードを放り投げた。


「通信用じゃねーか」


 あぶなかった。自覚無しの、ただのハッタリだったらしい。ロボの人間社会への知識が俺ベースで良かったよ。なにせ、俺は現代社会に一番無知な日本人とも言えるからな。


 部屋に静けさが戻った。床にこぼれた、飲みかけの缶ビールがしゅわしゅわと音を立てている。

 大きく息を吐いた。


 死ぬかと思った。完全な敗北。言い訳のしようがない。

 そうさ。世界樹の苗だなんだと言ったって、所詮は人間。生身の力なんてたかが知れている。どれだけ殺し合いの経験を積んだところで、獣相手には勝てねえ。

 今生きているのは、大きな奇跡だ。


 ――傲慢ごうまんになっていたのかもな。


 知識として強者たちのことは頭にあったんだが。

 戦いの中で生き延びてきたということは、逆説的に、俺は全ての争いに勝ってきたってこと。


 水不足やら金欠やら、昔を振り返れば就活やら、目に見えないものに負けることがあったにせよ、力で捻じ伏せられたのは、初めてかもしれない。


 てのひらをぼんやりと見た。

 大きな爪もなければ、鱗もない。柔らかな皮と肉しかない。こんなモンスターがダンジョンにいたら、初心者向けの練習台だろ。


 にわかに玄関が騒がしくなった。応援の到着か?

 拳銃を構えながら入って来たのは、懐かしの田辺巡査部長と、3人の警察官。その後ろに、細剣1本だけひっさげたスイ。あと探索者っぽい知らない男女。


 俺は片手をあげた。


「永野、無事か?」

「よお。嫌になるね、ほんと。タコ負けしたさ」

「ナガ! 大丈夫!?」

「貧乏なのにビール無駄にされて、マジ泣きそう」


 へらへらと笑うと、スイは泣きそうな顔をした。今の俺、赤と白にまみれて、ピエロみたいに笑える顔してるはずなのにな。


「田辺っち、市街地にワーウルフが紛れ込んでるらしい。人間に化けている可能性もあるし、野生動物に化けてる可能性もある」

「安心しろ、もう上に伝わっている。あと、誰が田辺っちだ」


「あとな。たぶん、拳銃程度じゃ話になんねえよ」

「承知の上だ。だが、今のお前は守るべき市民の一人だ」


 すげえ覚悟だ。警察官の覚悟は、探索者の覚悟のそれと種類が違う。無駄死にだろうが、とにかく助けには行くっつーことかよ。


 応援に来た探索者のうち、女の方が俺の前に進み出た。おかっぱの日本人形みたいな顔したガキだ。


「無様な姿」


 初手喧嘩腰かよ。


「喧嘩か? やるか?」


 おじさん、女子どもでも、フルパワーで殴れるタイプだぞ。もちろん男も殴るぞ。


「先に喧嘩を売ったのはそっち。私は鬼翔院きしょういん 柚子ゆず

「僕は鬼翔院 隼人はやと


 黒豹を思わせる、引き締まった肉体の男も出てきた。

 っていうか、鬼翔院!?

 俺が配信で地雷踏んだ相手じゃねーか!

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