第32話

 歯を立てた瞬間、自分のあごにかつてないほど力がかかった。ごわごわとした毛を押しのけ、ぞぶりと肉に突き刺さる。パキパキと細い骨を砕く感触。

 首を振り、肉を引きちぎった。


 口の中に広がる、強烈な鉄と獣の臭い。

 くせえし、キモいな。病気になりそうだ。


 右手の小指付け根あたりを食いちぎられた狼男が吼える。


 口内に入った肉片から這い出た細長い何かを飲み下して、残った肉片を吐き捨てた。マジで寄生虫飲んでるみたいで、最悪な気分だわ。つーか、世界樹の苗以外に、普通の寄生虫も飲んでそう。


「おーえ。よお、食レポ聞きたいか?」

随分ずいぶんと死にたいようだ」


 俺に腕を握られたまま、力ずくで爪を押し込んでくる。不意をついて多少喰いちぎったところで、マウントをとられていることに変わりはない。

 鋭い爪の先が、俺の首の皮にぷつりぷつりと穴をあけていく。ぴたり、その動きが止まった。


 ――ドンッ。


 急に視線を逸らした狼の頭が、爆炎に包まれた。

 力が緩んだ隙に、体をじるようにして、狼男を横に転がす。急いで立ち上がり、ツヴァイハンダーを拾った。


「ナガ! 大丈夫!?」


 こちらに左手を向けたままのスイ。お前、最高だよ。ピンチのたびに何かしてくれるじゃねえか!

 型もなにもなく、力任せにツヴァイハンダーを振る。咄嗟とっさに腕で受けた狼男の、右腕の肘から先がくるくると飛んだ。

 相手が怯んだらもう1発ぶち込め。誰しもが小学校で習うことだ。


「そっちはいいのか?」

「みんな頑張ってる。たぶん大丈夫だよ」

「そうか」


 こちらに来るスイが、通り抜けざまにコボルト3匹を斬り捨てた。

 俺は斬り飛ばした腕を拾い、鮮やかな血を流す断面に口をつける。再び、世界樹の苗ってやつを飲み下す。


「ナガ、それ大丈夫なやつ?」

「たぶんだが、絶対にダメなやつだな」

「えぇ……」


 狼男は怒りに顔を歪め、犬歯を剥き出しにして唸る。


「2対1だぜ。諦めてお縄につけ、お前は包囲されている。お母ちゃんも泣いてるぞ」

「舐めた真似をしてくれる。勝った気になるのはまだ早いぞ?」


 狼男の姿がぐにゃりと歪む。変身能力あんのかよ!

 させまいと斬りかかるが、甲高い金属音とともに弾き返された。


「――うそ」


 スイが呟く。

 そこに立っていたのは、ツヴァイハンダーを構えた俺だった。俺の姿になった狼男が、興味深そうに手に持つツヴァイハンダーを眺めなが言う。


「ほう、人間の手というのは、まるで武器を扱うために生まれたような形だな」

「こちとら棒きれ握りしめて10万年だからな。入った年季がちげぇんだわ」


 変身で怪我がなかったことになるの、ズルすぎるだろ。それに俺自身の姿なんて、一番喰いづらいぞ。


「さっきから人間を見下すようなこと言ってたけど、人間の姿になるなんてプライドないの?」

「ない」


 狼男は堂々と言い切った。


「人狼の一族を束ね、地上に出る。それを成す為ならば、プライドなど要らぬ」


 狼男は頭上でゆっくりとツヴァイハンダーを回し始めた。俺も逆回転で回し始める。

 目に映る感情は、悲哀か?


「不毛の地に縛り付けられ、その日の糧を得るためにより深き地に潜る日々。深き地に潜れば潜るほど、世界樹の仔という人狼の天敵は数を増す。飢えた者が人間にバラバラと挑んでは命を落とす。以前はもっといたのが、今では1属2種しか残っていない!」


 最大の速度を得た一閃に、全く同じものをぶつける。激しく火花が散り、お互いに一歩下がった。斬りかかったスイを易々やすやすと弾き飛ばしながら、人狼が吼える。


「余が! 地上に! 人狼の未来を築く!」


 俺の顔で、ジョーファレルの歌みたいなこと言ってんじゃねえよ。

 だいたいな。


「てめえらの都合なんて知らねえんだよ!!」


 俺とスイの2人がかりで斬り込むが、木刀のようにツヴァイハンダーを軽々操る人狼に、なかなか決定打が入らない。さりとてこちらもお互いの隙をカバーし合えるため、ノックバックしても致命的な一撃を貰うことがない。


 心身をやすりにかけるような千日手せんにちてだ。


「人狼が飢えていようが苦しんでいようが、俺には関係ねえんだよ。ばーか滅びろ人狼種!」


 互いに放った突きが、互いの肩を削る。相手の方が引き戻しが早い。風のような速さで放たれる追撃を、スイの細剣が跳ね上げた。

 がら空きのスイの胴に飛んでくる蹴りを、一歩踏み込んで俺が受ける。

 喉の奥からこみ上げる血の塊を、狼男に吹きかければ、不快そうな顔でバックステップした。


 とん。


 その音は、あまりに小さかった。だが、狼男の体はびくりと大きく揺れた。

 大柄な体の陰に、小さな少女の姿。腰だめにした短剣を、体当たりの要領で、狼男の背中に刺している。

 戦いでも暗殺でもなく、まさに殺人といった絵面だった。


 狼男の目が大きく見開かれ、ゆっくりと己を刺した相手の姿を捉える。振り払うような裏拳が、ヒルネの顔面にぶち当たる。交通事故のように跳ね飛ばされた小さな体が、仰向けに倒れた。


「ヒルネ、お前は最高だな」


 完全に意識を逸らされていた狼男の腹に、ツヴァイハンダーが根本まで突き刺さった。

 狼男の口から溢れだした血が、無精髭ぶしょうひげを真っ赤に濡らす。

 串刺しにされた狼男の手から武器が落ちる。瞳孔どうこうが揺れ、それからにんまりと笑顔を浮かべる。


「そうか。貴様の血は、こんな味か」

「どうだ、美味いかよ」

「悪くない」

「そいつは期待しちまうな」


 息を吸う音すら聞こえる至近距離で、互いに武器が使えない俺たち。考えることは同じだった。

 ぞぶり。と。

 互いの歯が、肩の肉をえぐり合った。

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