第31話

 流れる風景がゆっくりと流れる。無意識のうちに足が動いていた。ツヴァイハンダーから手を放し、突き出される爪牙など受けるがままに。

 加速する世界の中で、大きく手を広げ、トウカの落下地点に割り込む。


 全身の骨がきしむような重みと共に、トウカの体を両腕でしっかりと受け止めた。

 お姫様抱っこの状態でトウカの体をざっと確認する。両腕はへし折れ、曲がってはいけない方向に曲がっているが、頭部にも胴体にも目立つ外傷はない。ずいぶん重たい攻撃を盾で受けたのか?


「生きてるかい、お嬢様?」

「逆に、私は生きているのですか?」

「ひとまず今は、な」


 衝撃で意識が半分飛んでんのか、痛みに泣きも呻きもせず、ぼんやりとした眼差しで、うわごとのように呟いた。

 生きちゃいるが戦線離脱ってとこか。


 トウカが飛んできた方向に目をやった。全身の毛穴が広がり、どっと冷汗が噴き出す。全身の神経にびりびりと電撃が走ったような錯覚。


 短剣を構えながらも腰が引けているヒルネ。それと向き合っているのは、何の変哲へんてつもないライカンスロープ。だが、そいつが視界に入っただけで、脳の中で激しく警鐘が鳴る。

 目を離さないようにしつつ、トウカを地面にゆっくりと横たえた。


「……誰か、武器を」


 すかさずシャベル男がツヴァイハンダーを拾ってきてくれた。


「山里、ちょっと円陣でトウカ守っててくんねぇか?」

「おう」


 倒れたトウカを守るように陣形が動いていく。ありがてえな。


「ヒルネ、下がって円陣に加われ」


 俺はヒルネをかばうように前に出た。


「――で、お前はなんなんだ?」


 ツヴァイハンダーを片手で持ち、その切っ先を狼男に向ける。

 狼の口がにんまりと吊り上がった。まるで面白いものを見るような目つきを俺に向けている。


「人間ごときが、その無礼。同じ世界樹の仔で無ければ許されんぞ」


 低く、それでいてやけに通る声だった。オペラのバリトン歌手のような、威厳と深みを感じる声が、目の前のモンスターの口から出た。

 いや、驚くことでもねえな。ワーウルフだって人間に化けて会話する知性はあるし、アンデッドだって魔法言語を扱う。人語を解するモンスターは、別に何も不思議じゃない。


「世界樹の仔ってのは、みんな仲良し地球の命って感じのアレか?」

「何を言っているんだ?」


 違うらしい。バカにするような顔をされた。


「貴様も感じただろう、余を目にしたときに強烈なしびれを」

「ああん? それが何だってんだよ」


 偉そうな態度をしていやがる。殺してやりたいし、さっさと殺せばいいんだが、大事な情報を語ろうとしている気がする。


「喰えと。喰えば強く成れると、体に植え付けられた世界樹の苗がそう言っているのだ」


 踏み込んできた狼男が、短剣のような長さの爪を振り下ろした。ツヴァイハンダーで受ける――重いッ!?

 ぐっと沈んだ体に力を込めて、ゆっくりと押し返す。


「植え付けられた……あーね? なるほどな?」


 俺の全身の神経に絡みつく寄生虫のことかよ。どこで口にしちまったか知らないが、世界樹とやらに寄生されてんのが、世界樹の仔ってことか。


 空いたもう片手で打ち込まれる貫き手。そいつをぐるりと回した剣の柄で受け止める。突き飛ばされるように、俺はよろよろと下がらされた。


「狼連中でお前だけやたらと力が強いのも、その世界樹とやらのおかげってか?」


 ツヴァイハンダーを槍のように持ち、コンパクトに突く。狼男は涼しい顔で、首を傾げるだけでかわした。


「少量とはいえ、貴様自身も身に覚えがあるだろう?」


 あるな。

 漫画やゲームの主人公みたいな強さではないが、体の割に力が強くなっているとは思っていた。自分の身の丈よりも長いツヴァイハンダーを振り回せているのも、きっとそういうことなんだろ。


 接近からの垂直への蹴り上げが来る。横にステップ躱すが、袈裟懸けさがけのように、斜めにかかとが振り下ろされる。スウェーで避けるが、胸元に小さな裂傷を負った。狼だけあって、狼爪ろうそう――手足の付け根の爪――が生えてやがる。


 反撃に狼男の軸足に放ったローキックは、電柱でも蹴ったかのように硬く、微動だにしない。


「ワーウルフ達のコピーにお前のようなパワーがねえのは、世界樹の影響か?」

「複数の命に変身できるのであれば、単身で群れを作れるではないか」

「逆説で否定みたいな面倒くせぇ喋り方すんな、平安貴族かよ」


 いずくんぞ、なんちゃら、あらんや。じゃねぇんだわ。知らねぇしダリィわ。

 蹴り足を引き戻す勢いで、体をぐるりと回してツヴァイハンダーを叩きつけた。が、これまで圧倒的な破壊力を誇って来たこの大剣が、両手の爪でがっしりと受け止められる。


 ぎりぎりと押し合う。

 ダメだ、マジでパワー負けしてる。壁を押しているようだ。

 相手の方が屈強で、相手の方が素早く、相手の方が小回りが効き、相手の方が打たれ強い。

 体のスペックが違い過ぎる。


 再度弾き飛ばされた。ノックバックした俺に、追撃の貫き手が迫る。なんとか剣の腹で受けるが、押し倒されるように転がされた。腹にずっしりとした重み。完全にマウントポジションを取られた。


 頬を草が撫ぜる。

 ああ。これだよ。

 不快な、不利な。

 地面の感触。


 命を直接触られているような、首裏の冷たさだ。


「世界樹の苗をたくさん食ったから、そんなタフガイになったのか?」

「世界樹の苗は大いなる力をもたらしてくれる」

「そうかい」


 俺は狼男の両腕を掴む。刃物の塊のようなそれを自分の顔に近づけ――てのひらみついた。

 じゃあ、喰ってやるよ。お前の中の世界樹の苗を。

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