第3話

 まずい。もう水が切れた。

 太い木をくりぬいただけの、お手製の樽の中身はもう空っぽだ。斧で樽の内側を剥がして、湿った木の繊維をしゃぶりながら裸足でぺたぺたと歩く。


 唯一の救いと言っていいのは、もう9階層も人工物のあるエリアを上がっていることだ。もう幾らか進むことが出来れば、他の冒険者やらに助けを求めることが出来るかもしれない。

 助けるメリットがないと見捨てられるかもしれないが、そこはアテがある。リュックには幾らか、金でできた装飾品が入っているのだ。これで交渉すれば、助けてくれなくとも、多少の水は分けてくれる可能性だってある。


「はぁっ、はぁっ」


 渇きに自然と息が上がる。墓場から起き上がったゾンビの頭をカチ割り蹴とばした。燃料が手に入ったら、こいつらを焼いて蒸留みたいなことをすればいいかもしれないな。可燃物くらい、どっかで手に入るだろう。


 雲に偽物の月が覆われて視界が悪い。燃料を探すのは次の階層が良いかもな。そんなことを考えていると、はるか先でぽっと小さな光が浮かんで消えた。

 魔法だ。それも、炎の魔法だ。

 アンデッドはあまり光る魔法を使わない。黒いネチャネチャを飛ばしてくるのがほとんどだ。十中八九、光った場所に人間の魔法使いがいる。


 人間が、いる!


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 視界の先には、無数のアンデッドを相手に、下がりながら戦う少女の姿が。

 どうやらトレインを引き起こしているようだが、そんなことはどうでもいい。なんでこんな所に一人でいるのか、そんなこともどうでもいい。


「水ぅぅぅぅぅぅぅぅ!」


 一刻も早くアンデッドを片付けて、水を分けてもらおう!

 俺は躊躇ためらいなく、手斧だけをたのみにアンデッドの群れに飛び込んだ。


 正面のゾンビを掴んで、左のスケルトンとの盾に。ダッキングで次のゾンビの懐に潜り、飛んできた魔法の盾に。右のスケルトンは腰椎を切り飛ばす!

 大ぶりの剣をかわしたら、反撃のラリアットで数体巻き込んでなぎ倒す!


 脳からドバドバと汁が溢れてくるのを感じる。

 水だ! 人だ! 日本社会だ!!

 昔は脅威だったアンデッドのトレインだって今となっちゃ楽勝だ。それもまた、なんだかとにかく気持ちいい!


「げ、原始人……? 亜人系?」


 背後から聞こえる声だって気にならねぇ!

 骨と腐肉を蹴散らしていると、目の前に赤い鬼火を浮かべた、ローブ姿のアンデッドが割り込んできた。互いが振った手斧がぶつかり、跳ね上がる。


「よぅ、久しぶりだなぁ」


 こいつは、俺が身に着けている唯一の衣類、ふんどしの布を提供してくれたアンデッドだ。ちなみに手斧もこいつから奪ったものだ。あのときは命懸けの激戦だった。が。


 近くにいた不運なスケルトンの肋骨を掴み、投げつける。飛んできたそれを邪魔そうに斬り払った、ローブ野郎の手首を切り飛ばした。零れ落ちた斧を空中で掴み取り、錆びた斧の二刀流でローブ越しに斬り付ける。嫌がって杖を振り上げたときに露出した膝の皿を、奪った手斧が叩き割った。深く食い込んだ手斧から手を放し、怯んだローブ野郎を蹴り飛ばす。

 吹き飛んだローブ野郎は、アンデッドの群れの足元に埋もれて、あっという間に見えなくなった。


 やっぱ楽勝じゃねぇか。

 こうなりゃ勝負は決まったようなものだ。

 長年に渡るダンジョン生活で学んだこと、その1。トレインは厄介だが、その物量そのものがモンスターのあだになる。足を潰せば他のモンスターに巻き込まれ潰されるのだ。どれだけタフなモンスターでも、絶え間ない踏みつけ攻撃には耐えられず、すべなく砕け散る。


 視界の端で、紫の光が通り過ぎた。

 2体目のローブ野郎が、少女みずに忍び寄っている。

 なんて卑怯な。


「ゴラァ! そいつは俺の水だぁぁぁぁ!」


 ボサっとしてるゾンビの頭を踏み越えて、ローブ野郎に空中から躍りかかる。全体重を乗せた一撃は、綺麗にそいつの頭を捉えた。

 ばきっ。

 嫌な音がした。右手の内が、急に軽くなる。くるくると斧の頭が飛んでいくのが見えた。


「マジか!?」


 振り返ったローブ野郎の眼窩がんかで、紫の炎がおどる。密着する俺を払うように杖が振りぬかれた。咄嗟とっさにしゃがむ。

 視界の上で、細長いものが揺れ動いた。髑髏どくろの口から、黒い蛇がずるずると吐き出されている。


「ああああ面倒くせえええ」


 蛇の形をして動いちゃいるが、どうせこれも素材は黒いネチャネチャだろう。アンデッドが魔法で出すネチャネチャは、言うなれば呪いのようなものだ。

 油性インクみたいにベッタリとくっつき、ついた部分から体の末端にかけて、全ての感覚を奪い取る。肩に食らえば腕から指から何も感じなくなり、首につけば視覚聴覚嗅覚の全てを奪われる。

 さらに、長時間つきっぱなしにしていると、段々と体力が奪われて疲れ果てるのだ。


 近くにいたスケルトンをぶん殴って長剣を奪い、背後のゾンビ2体をまとめて斬り捨てる。

 手斧で襲い掛かって来たローブ野郎の攻撃をバックステップでかわして、口に長剣をねじ込んだ。


「よく噛んで食え、スルメ野郎!」


 背後のゾンビを使って三角跳びをし、くわえさせた剣の柄頭つかがしらに飛び蹴りを入れた。硬いものを突き破る感触。一瞬こちらに手を伸ばしたローブ野郎だったが、ふっとその力が抜け、眼窩がんかの鬼火が消えた。


 今のがボスみたいなものかな。それなら後は掃除をするだけだ。

 ローブ野郎が落とした手斧を振るい、残りの雑魚共を一気に蹴散らしにかかる。


 ――気づけば、立っているのは俺と少女みずだけだ。

 流石にトレインの大集団を倒すのは、雑魚であれ疲れる。俺は肩で息をしながら、フラフラと少女に近づいた。


「ちょ、え、なに」


 思わずといった様子で少女が身構える。


「み、みず」


「え?」


「水を、くれ」


 渇きの限界だったのだろう。足から力が抜け、俺は冷たい地面とごっつんこした。



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:マジで原始人

:モンスターじゃなかったのか

:通報しますた

:こっち見んな



 水がうめぇ~~~~。

 俺はもらったペットボトルの水をガブガブと飲みながら、ドローンののっぺりとした表面に流れる文字列を眺める。

 あの後、少女は俺をドローンにくくりつけて神殿の中に運び込み、持ち込んでいた物資の水を分けてくれた。今飲んでいるのは2リットルペットボトルの2本目だ。


「あ、あの!」


 3メートルくらい距離をとった位置から少女が声をあげた。


「うす」


「先ほどは助けていただき、ありがとうございました!」


 90°を超えて120°くらいの勢いで頭を下げる。礼儀正しい良い子だ。


「いや~、こちらこそ助かった。水がなくて、マジで死ぬかと思ったからな」


 命の危機具合で言ったら、ぶっちゃけ俺の方が上だったと思う。それはそれとして、恩義に感じてくれているなら、その方が都合がいい。


「この後は真っすぐ地上に帰るのか?」


「はい。私はそうするつもりです。えーと」


永野弘ながのひろしだ。ナガって呼んでくれ」


「あ、ありがとうございます。私のことはスイと呼んでください。ナガさんはどうされますか?」


「地上に帰りたいんだ。良ければ連れて行ってくれると助かる」


「は、はい。それくらいでしたら」


 よっしゃ。これで、これで地上に帰れる!



:危ないよ!

:やめとけ

:水もらっておいて図々しいな

:一緒に行動!?く さ そ う

:命>水 なんだよなあ



 感動に打ち震えていたら、ドローンに一気に文字が流れた。なんかボーっと見ていたが、そういえばなんだこれ。


「今さらだけど、なにこれ?」


「えっ?」


 空気が凍り付いた気がした。


「あ、いや、俺がダンジョンに入ったときには、まだこんな便利なものなかったなーというか、はは」


 慌てて誤魔化すように言う。



:おっと?

:密猟者か~?

:まだなかったって何年前の話や

:通報しますた



 目の前の少女の表情が厳しくなる。


「このドローンは全ての特定地下探索者に携行が義務付けられているものです。持っていないとは思いましたが、そもそも知らないなんて……あなた一体何者ですか?」


 その声は硬く、冷たいものだった。

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