第10話 うれちい
翌日の月曜日、朝六時に起床。
今日も今日とて通勤です、はい。
まだ会社を退職しきってない俺は、その日初めてのことを経験していた。
最近、毎朝のように朝食を作ってくれていたコビーのお母さんが。
「リョウマくん、お弁当作ってみたから、これお仕事先で食べて」
いいんですか!? ありがとう御座います!
お母さんがお弁当を作ってくれるようになった。
彼女には昨日料理本と食材をプレゼントした手前、弁当箱の中身が気になる。
出勤し、朝礼を済ませ、先ず部長のデスクに呼びだされた。
部長のデスクで退職の件を話し合い、退職日を決める。
消化してない有給もあるため、退職日は三週間後になりそうだ。
その時点で仕事に対する熱量は失われていた。
会社のオフィスにいても、気が抜けて、早く異世界に行きたいとしか思えなくて。
惰性に過ごしているとお昼になって、お母さんから貰った弁当を開けた。
春巻きときんぴらごぼうと鶏肉の炒め物がおかずだった。
お味はいかがなものか、口内に押し寄せるよだれをおして早速頂く。
「あ、美味しい」
普通に美味しかった。
お弁当なので、冷めてはいるが、下味がしっかりとしている。
お母さんにお料理本をプレゼントして大正解だ。
◇ ◇ ◇
仕事が終わったので門をくぐって直帰しよう。
家に帰るとコビーがお菓子を頬張りながらアニメを見ている。
「リョウマも食べる?」
「俺はお菓子はたまにしか食わないよ、それよりもきっちりとした食事をとりたい派なんだ」
「ふーん、そう言えば夜会でリョウマの弟子になりたいって言ってた男の子いたじゃない?」
いたねぇ、そんな奴も。
「今日も私の家に押しかけてきたみたいだよ、そしたらお父さんが気に入ったみたいで」
とその時、コビーのお母さんが俺の部屋の玄関からやって来た。
異世界に通じる門からなら日常的な光景だが、なぜに玄関から?
彼女の帰宅にコビーは迎え入れるように駆けよっていった。
「お帰りお母さん、今日のご飯は何にするの?」
「今日はね、お父さんやお前も気に入ってたかつ丼に挑戦してみようと思うの」
なんだと? じゃあお母さんはかつ丼の食材を自分で買いに行ってたのか。
コビーにはここの滞在費を事前に渡してあったので、そこから工面したのだろう。
と言っても油料理はちょっと危険だと思ったので、俺も料理に加わろう。
お母さんはひれ肉を取り出して料理本にそって丁寧に下ごしらえする。
料理本に書いてある日本語は読めないが、図解が乗っているので真似ているみたいだ。
「ずいぶんと手際いいですねお母さん、料理の才能あるんじゃないですか?」
「お肉屋さんとかに聞いたらね、一生懸命教えてくれるんだよ。日本の人は親切だねぇ」
ああ、そういう手もあるのか。
本で見るよりも実際に教えを聞く方が断然いいもんな。
「それだったらお母さんは料理教室に通ってみたらどうですか?」
「いやいや、私には畑仕事もあるし、無理だよ」
「週一で通えるコースとか色々あるみたいですよ?」
「んー、まぁ考えておくよ。ありがとう」
そして彼女はまたポンポンと俺の腕を叩く。
俺はコビーのお母さんに気に入られているという自負がこの時点で身についた。
して、しばらくお母さんの料理する姿を眺めていると、無事にとんかつが出来た。
「できたよ、コビー、家で待ってるお父さんに持って行って」
「美味しそう、すごいじゃんお母さん」
コビーの賛辞は俺も同意だったので、思ったままを口にした。
「ええ、本当にコビーの言う通りですよ。お母さんは料理の才能あると思います」
コビーと一緒に配膳を手伝うのだが、門の先にはルウさんと一緒に弟子入りを志願していた少年がいた。少年サイ・フォードはルウさんと一緒に肩から湯気を出し、ほどよく疲れた様子でいる。
ルウさんはサイの肩をポンポンと叩き、口を開いた。
「リョウマ、こいつの名前はサイと言ってな、お前の弟子になりたいそうだ」
「ええ、知ってますが丁重にお断りしましたよ。俺は弟子を取るような玉じゃないので」
「という事で、サイは俺の弟子にすることにした訳だ」
ルウさんの台詞にサイくんは「!?」と驚きの表情を浮かべる。
お母さんお手製のかつ丼がテーブルに並べられると、ルウさんは意気揚々のまま座る。
「おお、これは俺の大好物かつ丼か?」
コビーがルウさんにそうだよと言うと、彼は大笑いし始める。
気分良さそうでなにより、そう言えばお母さんが用意したかつ丼は五人前あった。
不思議に思っていたが、サイくんの分だったのか。
五人でテーブルを囲んで、お母さんのかつ丼をそれぞれ口の中に入れる。
――サク! と、カツの衣の咀嚼音が耳に届く。
その後ひれ肉に歯が食い込むと旨味が溢れて来て。
「……美味い!! さすがは俺の大好物、どこかの娘と違って裏切らない!」
ルウさんも太鼓判を押すほどの美味だった。
貴族の少年サイくんは初めて食べるかつ丼だが、食べる手が止まらない。
お母さんがルウさん以外の感想を求めようとしていた。
「美味しい? ちゃんとできてる?」
「美味しいですよお母さん、店の味に引けをとらないくらいです」
「よかった、これでかつ丼はいつでも作れそうだね」
その話に大黒柱のルウさんは満足げに笑うばかりだった。
俺としても、料理はお母さんに任せられることが出来て、うれちい。
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