戸が、耳の奥に刺さるような音をたてて閉まった。

 嵯峨屋の裏口から、手代によって、追い払われるようにして放り出された佐平次は、抱えた彫像を地面に叩きつけようとする衝動を必死に抑えた。

 それは二尺ほどの大きさで、鷺が優雅に立ち、獲物を見つけて今にも飛びかかっていきそうな、傑作と胸を張って自慢できるほどの一木造りの彫像であった。三カ月、心血をそそいで彫りあげたものだ。

 仏師の世界で生きていけぬのなら、なんでもよい、とにかく木彫りの像を作って売り込めばなんとか糊口をしのげるだろう、と目算をたてていた。だがその思いは楽観でありすぎたようだった。

 何度も店へ足をはこび、そのたびに主人は留守だと居丈高な番頭に追い払われ、やっと嵯峨屋当人に会えたと思えば、終始木で鼻をくくったような態度で、どうしてもと食いさがる佐平次に、

 ――あんたみたいなはぐれもんと取引したら、うちの暖簾に傷がつきますさかい。

 そう言って嵯峨屋は立ち上がると、わざとけたたましく襖を閉めて去って行った。京の仏具流通の中核に座し、売り手にも買い手にも大きな顔をして生きている嵯峨屋という商売人の、本性が現れたようだった。

「ふざけんなや」

 佐平次は唾を吐くようにつぶやいた。

 腹に澱のようにたまった不快な気分が抜けないまま、歩いた。木枯らしが背中から追い立てるように吹きつけ、寒さと無念さで震える腕で、鷺の彫刻を抱きしめながら、家に帰った。

 帰ってきても、なにかやることがあるわけでもない。

 手枕をして部屋でごろごろしているうちに日が暮れ、昼の残りの冷えた飯に、出汁の風味などまるでない味噌汁をぶっかけて、流し込むようにして食い、夜具にくるまった。

 そうして何刻も眠れず、目をつぶりじっとまぶたの裏の暗闇を見つめていると、静寂とともに、なにか真っ黒で形のない、得体の知れない生き物が佐平次の全身を覆い、闇の中へとひきずりこまれていくような気がした。

 佐平次はのたうちまわった。それは文字通りのことで、夜具のなかで悶え、嘆き、かけ夜具の隙間から漏れ出るうめき声が時に高鳴った。隣の左官職人の親爺の怒鳴りつけてくる声が響いた。

 ――俺は何をやってもうまくいかない。

 佐平次は嘆いた。

 いくら頑張ったって何も実らない。それを嘆けば俺自身に問題があると他人は言うだろう。当人が懸命に打ち込んでいるのにうまくいかないのは本当に自分の努力がたりないからか。いや違う。俺は常に努力してきた。にもかかわらず仏師としての道は閉ざされた。しかし、仏師としての道が閉ざされても、彫刻という道でなら絶対やっていけるはずだという確信があった。仏像でなくても生き物の彫刻を彫り続ければ名を成せるはずだと思っていた。そのはずだった。しかしその望みも、今日踏みにじられた――。

 そして自分とは正反対の、光に満ちた世界をいく菊之介の姿が闇の中にうかんだ。それはまるで澄んだ水のなかを優麗な姿で泳ぐ、錦に彩られたこいのようであった。

 ――自分はまるで水底を這うように泳ぐ不様な泥鰌どじょうだ。

 俺は泥にまみれ陽の光を知らず、誰に気づかれることもなく惨めに生きている。いや生きているなどとも言えぬ、ただ息をしているだけの不様な生き物だ。そうだ、しょせん泥鰌がどれだけあがいたって、金魚にも鯉にも、他のどんな生き物に生まれ変われはしないんだ――。

 佐平次は寝返りをうった。拍子に、目にたまった涙がこめかみをつたい流れた。

 ――それが仏の導きか。これまで仏を尊び、仏師として仏像を彫り続けてきた人間に対する仏の導きが今の俺の姿か。

 翌朝、佐平次の鬱屈を見すましたように春幸堂が長屋の戸を叩いた。

「ほ、これはええもんですなあ。これもいただいてよろしいか?」

 入り口のところに置きっぱなしにしておいた、鷺の木彫りを手に取って春幸堂がうれしそうな顔で眺めている。

「そんなもんでいいなら、持っていけばいいさ」佐平次は夜具から這い出しながら言った。

「ほな、遠慮のう」春幸堂は紙入れを取り出すと、中から一両を部屋の隅に置いた。

「そんなもんより」

 佐平次は春幸堂の前に座って、体を乗り出すようにした。

「仏像でもなんでも持ってきてください。どんなものでもそっくりそのまま、彫ってみせますよ」

 春幸堂は何も言わず、横目で佐平次を見ながら微笑んだ。

 佐平次も薄く笑って、その目を見かえした。

 ――いいだろう、泥鰌は泥鰌らしく泥水をすすりながら生きてやる。




(了)

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どじょう 優木悠 @kasugaikomachi

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