第20話 一家に一台泡風呂落とし
イルミを確保するため、そして、亜人たちを始末するために、殺意の赴くがままシェリーは高圧水流を源にぶつける。
シェリーも、亜人たちに行使して無効化されたこの攻撃が通るとは思っていない。兎にも角にも、源の魔法の特定が先決と考えていた。信仰を否定されて頭に血が上っているとはいえ、シェリーの理性が完全になくなったわけでは無かった。
高圧水流は、速度を減衰し、威力を落として源に当たるだろう。そんなシェリーの予測に反し、水流は威力そのままに源に命中。その衝撃で辺りに水しぶきが飛び散る。そのしぶきでシェリーの視界が遮られる。
これで終わることは無いだろう。
そうシェリーは身構えていたが、想定外のものを目にし、驚く。
水しぶきの中に浮かんだ人影は二つ。源以外に何かがいるのだ。
シェリーが警戒を高める中、しぶきが晴れて現れたのは、ブロンドの髪の女。どことなく困った顔をした女が口を開く。
「うーん」
「どうしたんだい、ジェシー」
やけに大げさな身振りで、源は彼がジェシーと呼んだブロンド髪の女に声を掛ける。
「ハーイ、ゲン。ねえ、見てよ」
ジェシーがその手に持っていたのはレンジフード。ギトギトの油汚れで、素手で触るのが
「わぁお! どうしたんだい、このレンジフード。こびりついた油でギトギトじゃないか」
「そうなの。こんなとこ洗う必要ないと思って、五年放置してたらこうなっちゃった」
「うんうん。普段目につかないところだから仕方ないよね。でも、大丈夫。こんな頑固な汚れも、一瞬でするっと落ちちゃうんだ。そう、泡風呂落としならね」
「泡風呂落とし?」
源が大げさにシェリーを指さし、ジェシーもそちらを向く。
相手の意識がこちらに向いたのを感じとって、シェリーは様子見から攻撃に移る。
「ふざけるなあ!」
源とジェシーに向けて放たれる高圧水流。今度こそ二人を木っ端みじんにするかと思われたが、水流は全てレンジフードに吸い込まれていく。
「わぁお! すごい! あんなに頑固にこびりついていた汚れがピカピカ!」
「レンジフードだけじゃないんだ。ほら、この鏡を見てごらん」
「うーん。白く濁って、なんにも見えない」
「頑固なウロコ汚れも、泡風呂落としならこの通り」
「クソ! クソ!」
シェリーは闇雲に水流を放射するが、今度は源の掲げる
「わぁお! 泡風呂落としを使ったら、絶世の美女が鏡の中に!」
「ハッハー! ジェシー、君の美しさに嫉妬して曇った鏡も、この通りさ。そう、泡風呂落としならね!」
「もう、ゲンったら! でもお高いんでしょう?」
「ジェシー、君は運が良い。どんな汚れも圧力の力でピカピカにする高圧洗浄機泡風呂落とし。メーカー希望小売価格29990円のところを、視聴者の皆様だけに大特価! 3000円オフの26990円!」
「まあ、お得!」
「今回は更に大サービス! 使用後に水滴を落とす水切りワイパーも付けて、お値段据え置き26990円!」
「わぁお! 今すぐ電話しなきゃ!」
「黙れ! そのうるさい口をふさいでやる!」
妙にテンションの高い二人に辛抱堪らなくなったシェリーは攻め手を変える。
彼女の代名詞である泡風呂。
大量の泡を発生させ、その泡で窒息させようとしたのだ。
「ギャー!」
迫りくる泡から逃れようとする源とジェシー。しかし、二人の足より、泡の方が速い。ややもせず、二人の元へ泡が到達する。
必死に泡を振り払おうとする源とジェシー。しかし、シェリーはそんな二人をあざ笑う。
「無駄だ! その泡は一回ついたら表面張力で離れない! 体についたが最後、お前らが死ぬまで増殖し続ける! 泡の中で空気を求め、じっくりと窒息しろ!」
シェリーの言葉が終わると共に、源とジェシーについた泡が爆発的に増殖する。瞬く間に、二人の姿が泡の中に消えてしまう。直後、気だるげに講義をする源の声があたりに響く。
「えー、皆さん、カニといえば、口から泡を出しているイメージがありますね。実はあれ、酸欠で、窒息寸前になっているんですね」
「あれは!」
シェリーが泡の中に目を凝らすと、そこにあったのは、赤く、二つのはさみを持ったシルエット。
カニだった。
「そういう訳で、こういう風に口から泡を吹いていたら、死ぬ寸前というわけです。こうなったら、もうどうしようもありません。美味しくいただくことが最大の
そう言うと、
「てい」
気の抜ける掛け声とともに、源はちゃぶ台の上に置かれた鍋の中にカニを投入する。
「ぎゃー! 熱っ! 熱っ!」
生きたまま熱湯に放り込まれたカニが断末魔の悲鳴を上げる。
源が箸で抑え込んでいると、その悲鳴はいつしか途絶える。
源が箸で引き上げると、鮮やかにゆで上がったカニが現れる。
「さあ、シェリー君、食べなさい」
「え、いや……え?」
戸惑うシェリーに、箸で掴んだカニを押し付けようとする源。
「生きるとは命を奪うということなのです。みんなで飼育していた彼女を食べることに抵抗があるのは分かります。ですが、私たちが美味しくいただくことが、最大の供養なのです!」
源の圧力に、シェリーはついに屈してしまう。
「先生……分かりました! ハグッ」
ザリッ。ほおばった直後、シェリーの口の中に広がるジャリッとした感覚。
「これ、ザリガニじゃねーか! ちゃんと砂抜きしろ!」
吐き出すシェリーに、源の鉄拳が
「こらーっ! 一年間クラスで飼ってきたザリガニのジェシーをどうするか、みんなで討論して決めたでしょ! このまま飼い続けることはできないから、鍋にして食べるって!」
「そうだぞ、シェリー! 俺らも、ジェシーを食べたくなんて無かった! けど……けど、ジェシーは俺たちに食べられるために生まれたから! いつも他の命をいただいているのに、ジェシーだけ特別扱いはできないから……ヒック」
「うわー、泣―かせたー」
「いきもの係で、一番お世話してたから……」
「ジェシーを吐き出すなんて、最低!」
「あーやまれ! あーやまれ!」
どこからか聞こえる児童たちの声。しかし、その集団圧力にシェリーは屈しない。
「命の授業するなら、ザリガニですんな! せめてミニブタにしろ!」
「グフッ!」
シェリーの激しいツッコミに、源はもんどりを打って吹き飛ぶ。
「さすがは高位審問官。一筋縄ではいかないか」
口からタラリと血を流す源。
それを見てシェリーはほくそ笑む。
源の魔法はこちらの魔法を無効化するというもの。それも、こちらの魔法だけに作用するものではなく、世界の摂理そのものに作用する魔法。捻じ曲げられた摂理の中でもがいても、ただ無為に魔力を消費するのみ。しかし、書き換えられた世界のルールに従えば、源にダメージを与えることも可能。
源の魔法を見破り、シェリーはすっかり落ち着きを取り戻していた。その口調も、涼やかなものに戻る。
「ふふふ。私を前にしてこうも長く立っていられる相手は初めてです」
「それは光栄だ」
「ええ、存分に自慢なさってください。地獄でね!」
源の魔法は恐らく後の先。こちらの攻撃に対し、カウンターを入れるというもの。
しかし、ここで攻撃の手をこまねいていては、時間をただ浪費するだけ。そうなれば、魔王国にイルミを連れ去られてしまう。
それが目的ではあるのだが、植物魔法使いのエルフがいるのは不都合だった。エルフであれば、イルミの暴走を、ひいてはパンデミックを早期に終息させることも可能。何としても、イルミを取り戻す必要があった。
シェリーは地面に手を着き、次なる魔法を発動させる。水は生命の源であり、それと同時に抗いようのない破壊者という側面もあわせもつ。シェリーの手札はまだまだ潤沢だった。
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