第17話 あたしそういうの嫌いじゃないから!

 牢の鍵を開けて回るという奇行に及んだ看守のせいで、地下牢は地獄絵図となっていた。


「止まれ! 脱獄囚は殺す! 戻るなら、懲罰ちょうばつ房行きで許してやる!」

「うるせえ! どうせ、前線に送られて使い捨てられる命。だったら、このまま脱獄して、家族を助ける!」

「ひるむな! 数はこっちが上だ! 仲間の死体を盾に武器を奪え! 囲んで、なぶり殺せ!」


 剣を必死に振るって止めようとする看守と、命をかえりみない死兵と化した囚人たち。

 数の暴力の前に看守に囚人の手が届こうとしたその時、思いがけぬ横やりが入る。


「皆さん、矛を収めるのです。彼らとて、好き好んで我らをしいたげていた訳ではない。同じく、家族を人質に取られていたのです。暴力はただ暴力を生むのみ。罪は人に押し付けるものではありません。今こそ慈悲の心を以って、罪を許すのです」


 囚人の振りかぶった手を掴んで止めたのは、同じく囚人。しかし、その顔は慈愛に満ち、余計なものをそぎ落とした頭頂部からは後光が差していた。

 源の近くの収監されていた者達である。

 自身がこれまで大切にしていたものは、単なる飾りにすぎず、何の意味も無い。

 これまでの人生を共に歩んできた己の半身を失って、争いの不毛さを悟ったのだ。


「さあ、その拳を下ろして手を取り合うのです」

「うるせえ! こいつらのせいで俺らは!」


 怒りのままに、掴まれていない方の腕で、坊主に殴りかかろうとする。


かつ!!」

「ブベッ」


 しかし、坊主がその囚人の頭頂部に食らわせた平手で、囚人の頭は床にめり込んでしまう。


「えぇ……。暴力……」


 暴力を否定する先ほどの主張と正反対ではないか。

 目の前で起こった出来事に看守は思わずつぶやいてしまう。

 その言葉が聞こえていたのか、坊主はゆっくりと看守に向き直り、全てを包み込むような慈悲深い笑みを浮かべる。


「暴力? いえ、違います。説法です。ほら、その証拠にご覧なさい」

「あれは! 髪が!」


 坊主に促されたとおりに床にめり込んだ囚人に目をやると、そこにいたのもまた坊主。

 坊主のありがたい説法に心打たれて、彼もまた坊主になったのだ。

 めり込ませた頭を引き抜いて、坊主は憑き物が落ちたような表情を浮かべながら立ち上がる。


「ああ、私はなんと愚かだったのだ。余計な誇りを捨て去ったおかげで、今ようやく分かった。争いは何も生まない。すまない、同胞よ。私はいらないプライドに固執して、大事なものを見失っていた」

「よい。よいのだ。人が生まれた時から持っている善の心を取り戻してくれた。それ以上に喜ばしいことは無い」

「おお、なんと寛容な! その大きな心! ぜひとも広めたい! そうと決まれば、やるべきことは一つ!」


 一人の坊主が囚人たちに向き直り、もう一人が看守たちに向き直る。

 二人ともすべてを受け入れるような穏やかな笑みを浮かべているが、その笑みを向けられた者達に湧き上がるのは恐怖しかない。


「ひ、ひぃぃ」

「く、来るな。こっちを見るんじゃない!」

「何をおびえているのです? 余計なものを脱ぎ捨てたこの解放感。味わわずにいるなんて、勿体無い。人生の八割損してる」

「いかにも。さあ、勇気を出して、その髪を捨てるのです」


 ずいっと一歩にじり寄る坊主たち。


「ぎぃやあああああ!!!」


 耐えきれなくなった一人の悲鳴を皮切りに、囚人も看守も我先にと逃げ惑う。

 しかし坊主たちは意にも介さず頭頂部に平手を食らわせていく。

 一人、また一人と坊主が増え、ねずみ産のように坊主の輪が広がっていく。


「よし。計算通りだ。この騒ぎに便乗して脱出するぞ」

「ゲンさん、あんた、ここまで考えていたのか……」


 源とイルミはハゲヅラを被って坊主に紛れながら、地獄絵図と化した地下牢をひたすら走る。そんな中で、源はある一団を見つけて驚く。


「すげえ。獣人だ。セラから聞いてたけど、本当に人くらいの犬が二本足で立ってる」

「ゲンさん、獣人を見たこと無いなんて、どんな田舎に住んでたの?」

「ああ、コンクリートジャングルにな」

「? 聞いたこと無いや。すごい辺境から来たんだね」


 人族至上主義を掲げる教会にとって、亜人の代表格ともいえる獣人は敵。人のまねごとをする卑劣な畜生ちくしょうであり、神敵だ。数百年前に亜人たちが集まって魔王国を建国したが、建国以来ずっと戦争状態にある。魔王国以外の国家は教会の教えを国教としているから当然だろう。

 戦利品としての亜人捕虜も珍しいものでなく、広く流通していた。そういう訳でイルミは、獣人を見たことが無いという源の世間知らずぶりに驚いたのだ。実際、この世界に来て数か月で、その間も不死の樹海で過ごしてきた源はれっきとした世間知らずではあるのだが。


「よし、イルミ。彼らと一緒に魔王国へ亡命しよう」

「え? ゲンさん、何言ってんの? あいつら亜人は僕ら人間を食べるんだよ! そんな野蛮なところ行ったら、僕なんかすぐ食べられちゃう!」


 イルミの言葉に、思いがけない人物が驚きの声をあげる。


「うわっ。こんな子供にまでそんなデマ吹き込むなんて、教会は相変わらず腐ってるね」

「セラ! 丁度いいところに!」


 地下牢の出口の前で待っていたのはセラフィナ。エルフの物珍しさから領主の館に泊まることになったセラフィナが、妙な魔力の動きを察知して、源を迎えに来たのだ。


「ほら、こっちだ。街の外に続く秘密の地下道がある」


 植物ネットワークは地表だけでなく、地下にも根を伸ばしている。軍事機密である脱出通路も、エルフ達には筒抜けだった。


「まったく。ゲン、あんたは一日も大人しくしてられないのか?」

「セラに会いたくて、居てもたってもいられなくなったんだ」

「ふん。さっきは干物扱いしたくせに、よく言うよ」


 ねるようにプイっとそっぽを向くセラフィナを見て、源はなんだか嬉しくなる。


「凝縮したうまみがあるって言いたかったんだよ。噛めば噛むほどに味が出て、新しい顔を見せてくれる」

「なるほど。ゲンは噛まれるほどに興奮を覚えるどうしようもない変態なんだな」

「どうしてそうなるんだ」

「だって…」


 セラフィナはズイッと源の耳を指さす。


「耳にそんな噛み跡つけてたらバレバレだよ」

「ち、違うんだ、セラ! 誤解だ!」


 エルフの長い耳は神経が集まっており、敏感な場所だ。そこに噛み跡をつけるということは、首筋にキスマークをつけているようなものだった。


「な、なあ、イルミ。お前からも言ってやってくれ!」

「あ、うん。ゲンさんの耳、美味しかったよ!」

「違う! 合ってるけど、そうじゃない!」


 イルミの答えを聞いて、セラフィナは足を止める。


「ゲ、ゲン。あんた、まさか……」

「ち、違う! セラ! それは絶対誤解だ!」

「ゲン。私はね、あんたが男色でも、噛むより噛まれる側で居たいっていう被虐体質でも、受け入れるよ。個人の自由だからね。それに、私、そういうの嫌いじゃないし」

「え、今最後になんか爆弾発言しなかった?」


 長く生きれば腐海に足を踏み入れるのも当然の帰結。エルフが腐ってしまうのはなんら珍しいことではない。


「けどね、ゲン。こんなに小さな子に手を出すなんて! 手を出すんだったらせめて、不死の樹海にいる合法ショタジジイにしなさい! 私が紹介してあげるから!」

「クソ! 誤解を解きたいが、その合法ショタジジイを一目だけ見てみたいという好奇心! 獣欲はこれっぽっちもわかないが、知的好奇心が抑えられない!」

「ゲンさん! よく分かんないけど、落ち着いて! 話にはちっともついて行けないけど、その選択だけは絶対にしちゃダメだ!」


 イルミの声に、源は正気を取り戻す。


「ハッ! 俺は正気にもどった! ありがとう、イルミ! おかげで俺の貞操が守られた!」

「ゲンさん……。へへっ。僕、嬉しいや。ゲンさんの役に立てたんだね」

「イルミ……」

「ゲンさん……」


 良い雰囲気を醸し出す源とイルミ。バラの花が背景に咲き誇るほどだ。

 しかし、そこにいるのは二人だけでは無かった。


「だから、本物のショタだけはやめろって言ってるだろうが! この本物志向ドぐされ野郎! 自分は真のショタコンだってか!? そんな誇り捨てちまえ!」

「ブベッ!?」


 セラフィナの平手が源に炸裂し、源とイルミの背景を飾っていたバラを散らす。


「ほら、あんた……イルミ、だっけ。行くよ。着いてきな」


 半ば強引にイルミの手を取り、肩を怒らせてズンズンと歩くセラフィナ。

 セラフィナの平手で壁に頭をめり込ませた源を一瞥いちべつして、イルミはセラフィナの背中に目を向ける。そして、固く誓うのだった。


 絶対にセラフィナだけは怒らせないようにしよう。

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