閑話6 楽園の管理者は決死の二分を生き残る(アルカ視点)
積み上がった瓦礫の隙間に身を潜めて、アルカはジッと待ち続けました。
アルカの両腕には、旦那様からお預かりした古びたアイテムボックスがあります。
エルシオンの時間の流れは、最大でどれだけ速くできるのか。
それが、旦那様がアルカに尋ねてきた一つ目の問いでした。
アルカは答えました。
時間は最大で26280000倍まで加速できます。と。
これは、1分=50年という等式が成り立つ加速倍率です。
アルカが命じられた2分という時間は、つまりエルシオンでの100年です。
その長い時間を、旦那様は自らを鍛え上げるために使うことにしたのです。
大賢者の生まれ変わりで、神果を食べ続けた旦那様なら寿命も問題になりません。
今の旦那様にとっての100年は、肉体的にはそう長い時間ではないでしょう。
だから、旦那様は必ず戻ってこられます。
アルカがお預かりした、このアイテムボックスを2分間守り切れば、必ず。
旦那様からの二つ目の問いは、これに関するものでした。
アイテムボックスが破壊された場合、エルシオンとの繋がりはどうなるか。
その問いに、アルカは答えました。
万が一にでも破壊されれば、エルシオンは消滅するでしょう。と。
エルシオンはボックス内の無限領域に創造された箱庭世界です。
ボックスが破壊されれば、その無限領域そのものが失われてしまいます。
そして、エルシオンにボックスそのものを持ち込むことはできません。
だからこの状況では、誰かがアイテムボックスを守り続ける必要があるのです。
アルカはそれを任されました。
この2分を生き延びて、大魔王の手からアイテムボックスを守り切る。
まさに大任。絶対に失敗できません。
アルカは非常に誇らしい気分になっています。
やっと、やっと旦那様のお役に立てるときが来たのです。やっと、このときが。
「――魔力反応の接近を感知。広域探査で、確実にこちらを探し出そうとしていますね」
残り、1分40秒。
アルカは呼吸を殺しながら、自分の魔力反応も消失させています。
このまま隠れ続ければとも思いますが、相手は大魔王。絶対に油断できません。
残り、1分30秒。
30秒が過ぎました。
やっと30秒。でも、たった30秒でしかありません。
アルカの頬を、汗が伝います。
この体は大賢者に創造されたものですが、人類とほぼ同様の構造をしています。
だからこそ『隠れる』という行動に対して、著しい緊張を覚えています。
生理的反応はできる限り抑制しているものの、それでも発汗を抑えきれません。
そして、それらを抑えきれないということは――、
「……そこか」
アルカの直上から、はっきりと声が聞こえました。
その瞬間、アルカは全力で物理防護フィールドを展開しました。
うず高く積み上げられた瓦礫が一瞬で砕け散り、アルカも吹き飛ばされました。
フィールドによってダメージはありませんが、大魔王に見つかってしまいました。
残り、1分15秒。
「大賢者の姿が見えぬな」
瓦礫がなくなり、大魔王の声がよりクリアに聞こえてきます。
アルカは構うことなく、立ち上がりざま真っすぐ伸びる通路を駆け出しました。
地下階は備蓄用の倉庫区画らしく、それなりに入り組んでいるようです。
「大賢者はどこへ逃げた、人あらざる者よ」
「旦那様は大賢者ではありませんし、逃げてもいません!」
アルカが言い返すと、後方に多数の魔力反応が出現しました。
おそらくは先程も使っていた『暗輝の指輪』による暗黒武器でしょう。
しかし、対策はすでに構築済みです。
「――術式構造解析、接続、掌握。……
暗黒武器の反応が一斉に消失しました。
アルカの術式干渉が成功したようです。先んじて分析していたのが功を奏しました。
「ほぉ。術を内側から崩すか」
大魔王の興味深げな声が聞こえます。
アルカは通路の角を曲がって、相手の死角に入りました。
残り、55秒。
時間の流れがノロノロとしているように感じられます。
1秒が遠く、1分など遥か彼方。
本当に自分はあと55秒を生き延びられるのか、恐怖と不安が胸を衝きました。
「面白いな、人あらざるもの。次は何を見せてくれる」
「はっ、はぁ……、はぁっ、はぁッ!」
迫る暗黒武器を立て続けに自壊させながら、アルカは必死に逃げ続けます。
アルカには、攻撃能力はほとんど備わっていません。
防御と自己補助に特化しており、戦闘力自体はそう高くないのです。
残り、40秒。
「なるほど。大体理解したぞ」
大魔王の声と共に、再び後方に暗黒武器が出現します。
代わり映えしない追撃に若干の疑問を覚えながらも、アルカは干渉を……!?
「自壊、……できない!?」
「対抗術式を構築しただけだ。貴様と同じことをしたまでよ」
まさか、こんなにも早く対策されるとは。
大賢者に匹敵する魔法技術という伝承に偽りはないようです。
「手足の一本でも失えば、大賢者の居所を吐く気にもなろう」
膨れ上がる殺気が、アルカの全知覚機能を壊しにかかってきました。
そして、アルカの中に働いた状況予測が、一つの結論を導き出しました。
それはアルカの死でした。
今から5秒以内にアルカが破壊される確率――、93.42%!
残り、25秒。
というところでの計算結果でした。
その残酷な計算結果が、アルカの全身に死の冷たさを感じさせます。
けれども一方で、アルカの胸の奥にある熱いものが、それを軽く一蹴しました。
「……旦那様」
あの人の顔を思い浮かべたら、言うべきことは決まっています。
「アルカは大丈夫です!」
前を。ただ前を。
それだけを考えて、アルカは走り続けました。
アルカが駆け抜けるその場所を、暗黒武器が次々に着弾し、抉っていきます。
だけど構わず、アルカは走り続けました。走って、生きようとしました。
体力は尽きて、肉は歪み、骨は軋み、呼吸も乱れて全身は汗にまみれています。
それでも走れたのは、旦那様からもらった一握りの勇気があったからです。
残り、20秒。
アルカは生き延びました。
致死率93%超の5秒間を、何とかしのぐことができました。
――そう思ったのが、油断でした。
「あ……」
走り抜けた先に待っていたのは、冷たい石の袋小路でした。
「よくぞここまで逃げおおせた。人あらざるものよ」
足を止め、唖然となりかけていたアルカの背に、大魔王が声をかけてきます。
驚き、振り返ろうとしたアルカの右肩に、暗黒武器が直撃しました。
「ぅあ……!」
衝撃に吹き飛ばされて、アルカは壁に叩きつけられました。
そのままズルズルと床にへたり込むと、近づいてくる足音が聞こえました。
「むぅ? 腕が飛ばん。そのカレ・シャツ、随分と良い素材を使っているようだな」
大魔王が驚いているようですが、今のアルカには判別できません。
衝撃の余韻と、全身を蝕む鈍い痛みが、アルカの意識を千々に乱しています。
残り……、残りはあと――、
「さて、人あらざるもの、もはや逃げることも叶わぬぞ。大賢者はどこにいる」
「…………ぅ」
10、9――、
「何だ。今、何事かを呟いたな。聞いてやろう。申せ」
「……はち、なな、ろく」
「ただのうわごとか。余の問いに答える気はなしと断ずる。ならば、死ね」
5、4、
逃げ場をなくしたアルカの方に、闇の剣を携えた大魔王が近づいてきます。
カツンコツンという靴音が、徐々に大きくなっていきます。
3、
もう、アルカには逃げることもできません。余力が微塵も残っていません。
大魔王はアルカを見下ろし、今まさに右手の闇の剣を振り上げます。
2、
でも、もうアルカの中に恐怖はありません。だって、
1、
――あの人がアルカを守ってくれると、知っているから。
「……転送」
大魔王の前に立ちはだかるようにして彼は現れて、
「俺のアルカに、何しやがる! おまえェェェェェェェ――――ッッ!!!!」
叫びと共に振るわれた光の刃が、大魔王の右腕を斬り飛ばしました。
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