第29話 失敗賢者は躊躇する
暗い。
真っ暗だ。
それに、体が重い。思うように動けない。
狭い場所に無理やり押し込められたかのような圧迫感がある。
ここはどこだ。
俺は、どうなったんだ?
大魔王が作った闇の武器の雨を喰らって、俺は堪えきれず潰された。
そうだ、そこまでは覚えてる。……そこからどうなった?
もしかして俺は、死んだのか?
何も見えないのは、ここが死後の世界だからか? 動けないのは死んだからか?
「ん……」
胸の内に絶望がにじみかけたそのとき、その声がはっきりと俺の耳に届いた。
動けずにいる俺の腕の中に、彼女の小柄な体があった。落ちるときに庇ったのだ。
「……アルカ?」
俺は、彼女の名を呼ぶ。
自分の声を出すことができた。つまり俺は、死んでいない。
「そうか、思い出したぞ」
闇の武器が押し寄せてきた瞬間、俺は半ば賭けで『光魔の指輪』で足元を砕いたのだ。
ここは廃城。もしかしたら、地下にも空間があるんじゃないか、と。
どうやら、俺は賭けに勝ったらしい。
間一髪、地面を砕いて地下階に逃げ場を作ることで、生き残れたか。
そして、そうなってくると、今の状況もだんだんと見えてくる。
俺とアルカは、崩れた廃城の瓦礫の下敷きになっているのだろう。多分だが。
潰れずに済んでいるのは、マントの防護結界のおかげだと思う。
ひとまずは助かった。だが、状況は最悪だ。このままじゃ絶対に勝ち目がない。
今の俺と大魔王とでは、地力からして差が明確だ。
レベルが強さの全てではないが、強さを測る指標にはなる。そこに差がありすぎる。
勝つ手段は、実はある。
あるにはあるが、それを実行するには……、
「――旦那様」
アルカが俺を呼ぶ声がして、俺は一度思考を中断する。
「アルカ、気がついたか?」
「はい、旦那様は……?」
アルカが不安げに尋ねてくる。
俺は「大丈夫だ」と返して、アルカを抱きしめる腕に力を込めた。
「旦那様が御無事で、アルカはほっとしました」
「そりゃこっちのセリフだぜ、アルカ」
瓦礫に埋もれながらも二人、互いに無事を確認できて何よりだ。
「これから、どうなされるのですか?」
そして、アルカは俺に単刀直入にそれを訊いてきた。
一度力の差を見せつけられ、こうして逃げ場もないまま追い詰められている。
「勝つ方法は、ある」
俺は、己の窮状を理解した上で、アルカにそれを告げた。
「そのために、アルカ、ききたいことがあるんだ」
「はい、旦那様。アルカは何でもお答えします」
俺はアルカに、二つの質問をする。
「それでしたら――」
そして返ってきたアルカの答えに、俺は確信した。
いける。この方法ならば現状を覆せる。
だけどそれを選ぶことに、俺はどうしても躊躇を覚えた。何故なら――、
「旦那様」
声と共に、俺の頬を触るものがあった。
何も見えない闇の中でも、それがアルカの小さな手だとわかる。
「旦那様は、アルカのことを慮ってくれていらっしゃるのですね」
「……ああ」
俺が考えている方法を使えば、大魔王にも勝てるかもしれない。
しかしそれは、確実にアルカを危険に晒すことになる。だから俺は躊躇していた。
「旦那様。アルカは、旦那様の邪魔になりたくありません」
「アルカ、だけどな……」
開きかけた俺の口を、アルカの指が優しく押さえた。
「聞いてくださいませ、旦那様」
そして、決意が込められた声で、彼女は言う。
「アルカは、旦那様がいらっしゃるまで、何もない日々を送ってきました。アルカを創造した大賢者の命に従う。それだけがアルカの存在意義で、生きる理由でした。でも――」
アルカの指が俺の口から離れ、そして再び頬に添えられる。
「旦那様に外に連れ出してもらって、アルカの世界は一変しました。外は全てが新鮮で、驚きに満ち溢れていました。そして思ったんです。アルカはもっと、この世界のことを知りたい、って。そう思ったんです。だけど、一人じゃ意味がないんです」
徐々に熱を帯びる彼女の言葉に、俺は返す言葉を探すこともできない。
「アルカのやりたいことは、旦那様と一緒にこの世界で生きることなんです。そしてアルカがやりたくないことは、旦那様の邪魔をすることです。ですから……」
闇に目が慣れてきて、アルカの顔が薄ぼんやりと見えてくる。
その顔は、泣きそうになっていた。
「ですから、どうか、アルカに旦那様を助ける機会をお与えください。アルカにも、旦那様のためにできることがあるのだと、証明させてください」
バカヤロウ、と、思った。
これまで、俺がどれだけアルカに助けられ、支えられてきたことか。
でも、それを言ってもきっとアルカはうなずかないだろう。
どうやら俺が思っていたよりも、俺の婚約者は頑固な性格らしいからな。
「……2分だ」
俺は、奥歯を軋ませながら、そう告げた。
「何とか、2分生き残ってくれ。アルカ」
自己嫌悪が、腹の底に渦を巻く。自分の弱さが心底からイヤになる。
だが、どうしてもそれだけの時間が必要だった。
「死なないでくれ、アルカ」
そうしか言えない俺の弱さを、俺は一生忘れないだろう。
「はい、旦那様。アルカは死にません。絶対に死にません。……でも」
アルカが、かすかに声を震わせる。
「本当は、少しだけ怖いです。だからアルカに勇気をください、旦那様」
「……好きなだけ持っていけ」
そして、アルカの顔が近づいてきて、俺の唇に柔らかい感触が押し当てられる。
そのままの状態で、ほんの数秒。アルカの声が耳元にした。
「――転送」
次の瞬間、俺はエルシオンに立っていた。
見覚えのある平原。
俺を無条件に迎えてくれる、あたたかくて優しい風。
その風に乗って、近くの森からほんのりと甘い果実の匂いが漂ってくる。
「死なないでくれよ、アルカ」
空を一度だけ見上げて、俺は決意を胸にエルシオンを歩き出す。
俺はこれから、この楽園を100年間放浪する。
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