閑話4 次代の賢者は取り残される(ルミナ視点)

 一昨日から記憶があいまいで、気がつけばこの部屋にいた。

 アルカ、というあの女の人から、レントさんが利用している宿だと聞かされた。


 ゴルデンさんは、彼をワーヴェル家の腐敗の象徴と断言していた。

 でも、それは違った。あの人は、苦しむ私のために本気で怒ってくれる人だった。


 私はワーヴェル家の有様を小さい頃からずっと見続けてきた。

 みんながみんな、自分のことしか考えていなかった。

 自分が得するために、自分がいい目を見るために、そんなことばっかり考えていた。


 だけど、レントさんだけは違っていた。

 あの人だけは、人のために行動できる人。ワーヴェル家の中での異端だった。

 そんな人を私はどう扱い、何と罵ったのか。思い返すと死にたくなる。


 拭っても拭っても、後悔は次から次に湧いてくる。

 いや、後悔すること自体、許されたいという甘えの表れなのかもしれない。

 焔帝竜ラズブラスタが呆れるのも当然だ。私は、くだらない人間だ。


 キシ、と、薄い壁の向こうで廊下が鳴るのが聞こえた。

 私はベッドに潜って、震えながら身を丸める。


 ここ二日間、私はこの部屋から出ていない。

 簡素なベッドとテーブルしかない狭い部屋が、今の私にとっての安らぎの場だ。


 いずれは謝らなきゃいけない。レントさんにも、ワーレンさん達にも。

 でも、まだ決心がつかない。自分の愚かさを今さら自覚して、合わせる顔がない。

 それに、体が鉛のように重くて、私はベッドに横たわっている。


「ルミナさん、今、よろしいですか?」


 ノックと共に扉の向こうからアルカさんの声がした。


「……大丈夫です」


 ぐったりとしたまま、私は何とか言葉を紡ぐ。

 そして布団の隙間からドアの方を覗いていると――、アルカさんだけじゃ、ない?

 アルカさんの肩越しにチラリと見えたのは、見覚えのある黒い髪。


「邪魔するぜ」

「レントさん!?」


 突然現れた彼に、私は混乱する。

 そんな私を申し訳なさげに見つめながら、レントさんは一言謝ってきた。


「悪いな、ルミナ。問答無用だ」

「え?」


「やってくれ、アルカ」

「はい。管理者権限により、アルカを含む三名をエルシオンに転送します」


 そんな、アルカさんの凛とした声が響いたかと思うと、奇妙な浮遊感がした。

 気がつけばベッドも布団も消えていて、私は何故か、外にいた。


「え? え?」


 果てなく広がる青い空と、風に草を揺らしている大平原。

 どこを見ても景色は変わらず、ただただ見渡す限り空は青、地面は緑だった。


 ベッドから投げ出され、その場に座り込んでいる私は、目を白黒させる。

 事情も状況も飲み込めない私は、レントさんを見上げて救いを求めた。


「とにかく、行くぞ」

「い、行くぞって……?」


 何とかのどの奥から言葉を絞り出しても、彼は軽くかぶりを振るだけ。


「問答無用って言っただろ。だから問答無用だ」


 そんな、ひどい!?


「アルカ、こっからは近いのか?」

「はい、旦那様。ルミナさんに説明する時間分も計算して位置を設定しました」


 アルカさんの言葉に、私は内心ほっと胸をなでおろす。

 それにしても、と、思った。

 よくよく考えてみれば、アルカさんは一体、どういう人なのだろう。


 いつの間にかレントさんと一緒にいる、とても奇麗な女の人。

 いにしえの時代に流行ったとされる『カレ・シャツ』を着こなす人は初めて見る。

 生足はほとんど露出してて、恥ずかしくないのかな、とも思うけど。


 私は、彼女の腕の中で大泣きしてしまった。

 抱きしめられた瞬間に、楽になってもいいんだと安心してしまった。


 と、ここで気づく。

 そうだった。私のあの大泣きは、レントさんにも見られていたんだった。


「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~……」


 それを自覚した私は、強烈な羞恥に襲われて頭を抱えた。

 死にたくなるほど恥ずかしい。っていうか、死にたい。誰か私を殺して……!


「何やってんだ、ルミナ。行くぞ」

「ふぇぇ……」


 うずくまった私に、レントさんは上から容赦なく言ってきた。問答無用すぎる。


「とにかく歩くぞ。道中、必要な説明はしてやるから」

「……ふぁい」


 半泣きになりながら、私は何とか歩き出す。

 そして、レントさんは歩いている最中に色々と説明してくれた。


「――楽園世界、エルシオン」


 ただ、私が受けた説明は、完全に私の想像できる範疇を絶していた。

 大賢者ワーヴェルが秘密裏に用意した、自分のための楽園。

 そんなもの聞かされてもすぐに理解できるワケがない。納得なんて尚更無理だ。


「じゃあ、ここは大賢者ワーヴェルが……?」

「そうらしいな。無論、俺はそんなもの、まるで覚えちゃいないが」


 難しい顔をして語るレントさんの言葉に、嘘は感じられなかった。

 いや、実際にこうして目の当たりにしている以上は、彼の話は真実に違いない。


 そして、その事実を突きつけられて、私はまた消えたくなった。

 私は大賢者ワーヴェルを尊敬している。いや、崇拝していると言ってもいい。


 大魔王の討伐を始め、幾度も世界を救った本物の英雄。最高の勇者。

 世界のために尽力した彼の働きは伝説として語り継がれている。

 レントさんから聞いた冒険の話と共に、それは今の私を形作った原点の一つだ。


 語弊を恐れず言うならば、私は現代の大賢者になりたかった。

 腐り切ったあの家をこの手で壊し、新たな家祖として大賢者の名を継ぎたかった。


 でも、そんなことは不可能だ。

 この先、私が百年頑張っても、千年力を尽くしても、世界を作るなんて不可能。


 大賢者ワーヴェルは偉大だ。偉大過ぎる。

 世界を一つ作るだなんて、それこそ神の所業だ。人にできることじゃない。


「おまえは、大賢者を神格化し過ぎてるんだよ」


 打ちひしがれかけていたところに、レントさんが言ってきた。

 私にはその言葉の意味が分からない。彼は、何を伝えようとしているの。


「着きました、あそこです!」


 私が尋ねる前に、アルカさんの元気な声が私の耳朶を叩いた。

 彼女が指さす先に農村らしきものが見える。……人がいるの? 人造の世界に?


「どうも皆さん、管理者のアルカが来ました!」


 村の入り口でアルカさんが大声を出すと、近くの家からおじいさんが出てきた。

 顔中しわくちゃで、顔の下半分が白いひげで隠れている。


「おお、管理者様! それに大賢者様の御子孫も、ようこそお越しくださいました!」


 柔和な笑顔でおじいさんがうなずくと、他の家からも村人がわらわらと。


「管理者様だー!」

「見て、大賢者様の御子孫もいるよー!」

「え、え? あ、あの……」


 子供達が走ってきて、たちまち私を取り囲んだ。


「レントさん、あの、これは一体……!?」

「ここの村人はな、大賢者の生前の活動記録を口伝で語り継いでるんだよ」


 レントさんが、端的ながらも説明してくれる。


「大賢者の、生前の活動記録……?」


 聞きたい、と思った。

 私が崇敬する最高の勇者の生の記録。それは私にとって、千金に値する宝だ。


「おまえはここで一か月生活しろ、ルミナ」

「ええ、何でですか!?」


 だけど、レントさんがいきなり無茶なことを言ってくる。

 私は絶句してアルカさんを見るけど、ニコニコしてるだけで何も言ってくれない。


「あの、いきなり住めとか、ご迷惑、ですよね?」


 次に、村長らしきさっきのおじいさんに恐る恐る尋ねる。

 でも返ってきた反応は、大きく見開かれた瞳と、紅潮した頬。露骨な感激のそれ。


「皆の者、聞いたか! 大賢者様の御子孫が、この村に滞在なさるそうじゃ! 何と喜ばしい! 誉れじゃ! この村始まって以来の誉れじゃ! 皆の者、宴の支度じゃ!」


 何でェェェェェェェェェェ――――ッッッッ!!?


「長老、御子孫が住まわれるんだぞ、宴なんてちっぽけなものではダメだ!」

「むむむ、なるほど確かに。では祭りじゃ! 村をあげての祝祭じゃァ――――!」

「「「おおおおおおおおおおおおおおおお!」」」


 待ってェェェェェェェェェ――――ッッッッ!!?


「ご安心ください、御子孫。住居はこれから総力を挙げて建てますので!」

「なぁに、我ら村の青年団の手にかかれば、ものの数時間ですよ!」


 イヤァァァァァァァ! 展開のスピードに追いつけないよォォォォォォォ!


「じゃ、俺ら帰るんで」

「アルカと旦那様は来月また来ます。それではルミナさん。またです」


「待ってください、レントさん! 待っ……!」

「転送」


 アルカさんの一言を最後に、二人は消えた。

 そして、場には唖然としている私と、盛大に騒ぎ続ける村の人達が残された。


 ……お願い、誰かウソだと言って。

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