閑話3 次代の賢者は遅きに失する(ルミナ視点)

 ゴツゴツとした黒い岩の連なりを、私達は駆け抜ける。

 ここは、ラズブラスタ火山地帯。私はそこを、仲間と共に走り続けた。


 私は、ルミナ・ワーヴェル。

 つい三週間ほど前に王都の魔法学院を卒業したばかりの、新人冒険者だ。

 今は、冒険者の都オルダーム最大のクラン『金色の冒険譚』に所属している。


 初仕事を終えたのが、およそ一週間前。

 オルダームに戻った私は、そこで肉親の愚行について、聞かされたのだ。


 ――私の父ガルト・ワーヴェルがエルダードラゴンの卵を盗もうとしている。


 初めて聞かされたときは、さすがに我が耳を疑った。

 新人である私でも知っている禁忌に、まさかBランクの父が手を出すとは……。


 信じがたいが、しかし、同時に納得もしていた。

 私の両親は、どっちも典型的なワーヴェル家の人間だ。


 ワーヴェル家は、最低の家だ。

 いや、家柄だけを見れば名家も名家。血筋を遡れば王族に行き当たることもある。

 家祖である大賢者が多くの妻を娶ったため、子孫の数が多いのだ。


 子孫の中には今も貴族として生きている者もいる。

 しかし、多くは冒険者。しかもCランク以上の、いわゆる上位層に属している。


 だがその看板とて、金で買ったものに過ぎない。

 実力のある冒険者に大金を渡して、依頼を代行させただけなのだ。


 当然、同業者からの評判は最悪だ。

 冒険者の間では、ワーヴェル家は『冒険者の恥部』と呼ばれているくらいだ。


 私の父もその例に漏れない。名ばかりのBランク冒険者だ。

 その父が犯した愚行を、娘であり、同じワーヴェル家の人間である私が止める。

 これは、私に課せられたワーヴェル家変革の第一歩だ。


「あまり逸るな、無駄に体力を使うだけだぞ!」


 仲間の戦士が私に向かって声を張り上げる。

 いつの間にか、仲間の中で私だけが突出して走っていたようだ。


「わかりました。一度、足を止めます!」


 彼の言葉に従い、私は少し拓けた場所で走るのをやめる。

 その後、次々とやってきた仲間が私と同じくそこで足を止め、一度集まる。


「かなり奥まで来てしまいましたね」


 私の次に若い女性神官が、錫杖を手にして息をつく。


「本当に、こんなところにいるのかよ、ルミナの親父さん」


 パーティー最年長の盗賊が、髪を掻きつつ周りを見る。

 彼の言わんとしていることはわかる。

 ここは、保身を第一に考える俗物が訪れるには、危険度が高すぎる場所だ。


「いるんだろうな。だから、俺達がここまで来ることになった」


 しかし、私を止めた戦士の彼が、腕を組んで嘆息する。

 残念ながら、私も彼と同じ意見だった。多分だが、父はここに来ている。

 オルダームに戻った私がゴルデンさんから聞かされた内容は三つ。


 父がエルダードラゴンの卵を狙っていること。

 そのドラゴンが、焔帝竜ラズブラスタであるらしいこと。

 そして、この一件には上位の貴族が絡んでいる可能性が高いこと。


「よりによって、エルダードラゴンの卵に手を出すかね。さすがは冒険者の恥部。やらかし具合もド派手だね。何とも。……救えねぇ」

「おい」


 皮肉って肩を竦める盗賊を、戦士が顔をしかめて注意する。

 しかし、私は「いいんです」と戦士に告げて、深く深くため息をついた。


「私も同じ気持ちです。父は本当にくだらない人間で――」


 陰が、私達を覆った。


「何だ!?」


 突如として起きた異変に私達は揃って空を見上げ、そこに雄大なる姿を目撃する。


「あれは……、ドラゴンです! 翼を広げて飛ぶ、上位種の!」


 神官の声が聞こえると同時、私は、空へと飛び出していた。


「おい、ルミナッ!」


 戦士の声が聞こえるが、聞いていられない。

 私は魔力を全開にし、飛翔の魔法によって空を舞う赤いドラゴンへと突撃する。


「待ってください、焔帝竜ラズブラスタッ!」


 風を操り、声を限界まで拡大し、ラズブラスタへと呼びかける。

 すると、巨大な火竜は空中で大きく身を翻し、私の方へその巨体を向き直らせた。


 ラズブラスタの瞳が、私を見つめる。

 その瞬間、全身から汗が噴き出す。心臓が一瞬で鼓動を限界まで速まってしまう。

 格が、いや、存在としてのステージがまるっきり違う。


 ――これが、エルダードラゴン。


『おまえは……』


 ラズブラスタが、言葉を紡ぐ。

 それだけで、私の心身は恐怖に凍えて震えた。生存本能が危機を訴える。

 自分で呼び止めながら、私は逃げ出したい衝動に駆られた。しかし、


『もしや、レントの肉親ですか?』


 ラズブラスタが告げたその名が、私に恐怖を超える驚きを与えた。


「……何で、ここでその名前が?」


 レント。レント・ワーヴェル。

 私の近い親戚で、かつて幼かった私に冒険の話を聞かせてくれたお兄さん。


 私はずっと、この人は他のワーヴェル家とは違うって思っていた。

 でも、ゴルデンさんが教えてくれた。

 彼こそは、ワーヴェル家の腐敗を体現する、何もしない無能な失敗賢者だ、って。


 真実を知らされて、私は落胆した。

 レントさんに失望して、幻滅した。なのに、なのに――、


『卵はすでにレントに取り戻してもらいました。おまえ達の助力は不要です』


 どうして神にも等しいエルダードラゴンの口から、あの人の名前が出るのよ!?


「レント・ワーヴェルって……」

「ついこないだ、ウチを追い出された、あの失敗賢者だよな?」


 地表に降りてくれたラズブラスタから話を聞いて、私も仲間も一様に戸惑った。

 聞かされた内容も、すぐには信じられない。でも……、


『レントは私の恩人です。彼の名を貶めることは、私が許しません』


 ラズブラスタに睨みつけられ、私も仲間も黙らされる。

 その視線の圧もすさまじいものがあったが、それ以上に私は混乱していた。


『もうよいですね。私は巣に戻ります』

「ま、待って、ラズブラスタ!」


 翼を広げるラズブラスタを、私は思わず呼び止めた。


「待ってください、レントさんの話を、もっと……!」

『何故私がおまえ達のために時間を使わねばならないのですか』


「お願いです、もっと話を聞かせてください!」

「おい、やめろって、ルミナ!」

「聞かせて、もっと教えてよ。わからないの、どうして、あんな人が!?」


 仲間の制止を振り切って、私はラズブラスタに訴え続けた。

 しかし、そんな私を見るエルダードラゴンの目は、ひどく冷たいものだった。


『あんな人、ですか。おまえは、レントの何を知ってそれを言っているのですか』

「だ、だって、みんながあの人は、役に立たないって……」


 内心怯えながら答えると、ラズブラスタの私を見る目がいよいよ白ける。


『なるほど。どうやらおまえは自分で確かめもせず、人からの風聞を真に受けてレントの人となりを決めつけているようですね。――何と、愚かな』


 愚かな。

 その短い言葉が、私の胸の奥深くを鋭く抉った。


『私の卵を盗んだ連中と同じく、おまえもくだらない人間ですね』

「あ……」


 私は何も言い返せず、弱々しく膝を屈した。

 そして、飛び去って行くラズブラスタを見送って、そのまま立てなくなった。


「どうする……」

「ひとまず、オルダームに戻るしかないんじゃねぇか」


 仲間達が話し合っているのが聞こえる。

 でも、それを聞きながら、私は何もできない。ただただ呆然となるしかない。


 ラズブラスタが言っていた。私は、くだらない人間だと。

 それはまさしく、私が父やレントさんに下してきた評価そのものだった。


「私は、違う……」


 違う。私は、違う。

 私はワーヴェル家の他の連中とは、違う。違う。違う。違うのに……!


 立てるようになるまでには、まだしばらくかかりそうだった。

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