第3話 失敗賢者は事情を知る

 さして広くない掘っ立て小屋の中で、裸の少女が眠っている。

 それを目にした俺は、固まってしまった。


 理由の半分は、もちろん驚きから。

 そして残る半分は、寝ている少女に見惚れてしまったのだ。


 藁束を積んだだけの簡素なベッドの上で、少女は身を丸めて眠っている。

 腰にまで届く銀髪と、透き通るような白い肌が目にも鮮やかな少女だ。


 固まる俺の位置からは、横顔しか確認できない。

 その横顔は、幼いようにも見え、しかし大人びているようにも見える。


 しかし、すぅすぅと寝息を立てるその姿は、いかにも愛らしい。

 膝を折り曲げ、両手を枕代わりにして、あどけない姿を晒している。


 その身は小柄で、しかし胸の膨らみはばっちりその存在を主張している。

 首筋から肩、背中から尻にかけての滑らかな曲線に幼さと妖しさが同居していた。


 誰だって見惚れるに決まっている。

 こんな、この世のものとは思えない、魔性じみた美を前にすれば。


 ギィ、と音がする。

 俺の背後で、開け放たれたままのドアが揺れて軋んだようだ。


「……にゃ」


 すると、その音に反応したのか、少女がピクリと身じろぎした。

 それを見た俺は――、うろたえた。


 う、うおおおおおおおおおおおおお!

 ヤベェヤベェヤベェ、何か知らんが、とにかくヤベェ!


 俺の視線は右往左往。どころか縦横無尽。

 他に誰もいないのを知りながら、だがこの全身を焼く焦燥感は何事か。


 今、この現場を他の誰かに見つかったら、俺の人生、絶対オワル。

 根拠はなく、現実的にもあり得ないそんな考えが、だが確信となって俺を襲う。


 恐ろしいほどの取り乱しよう。

 無様なまでの慌てふためきっぷりである。慌てすぎて頭の一部が冷静だ。


 あああああ、でもこれどうすればいいんだ。

 と、俺は中身グチャグチャになった頭を両手で抱えようとして――、目が合った。


 ……って、目が合った? 誰と?


 もちろん、身を起こした銀髪の少女、その人と。


「…………」

「…………」


 俺は、キョトンとなっている少女を見る。

 少女は、またしても硬直してしまった俺を見る。


「ほにゃ?」


 藁のベッドの上で、少女が軽く小首をかしげた。

 その様は、小動物的であり、小悪魔的であり、とにかく可愛くて可愛いのだが、


「……ごめんなさい」


 俺には、謝る以外の選択肢はなかった。

 謝ってどうなるってモンでもないんだけど、いや、謝るっしょ。こういう場合。


「…………」


 おおおおおおお、見られてる……。ジ~ッと見られてるよ、俺。

 これは、一発二発ブン殴られるくらいの覚悟は固めておくべきだろうか。


「…………様」


 と、俺を見据えたまま、少女は何事かを小さく呟いて、

 ぼんやりとしていたその顔に、パッ、と明るい笑みが花開いて、


「お帰りなさい、マスター様ァ!」

「っォぐほぉ!!?」


 飛び込んできた少女の脳天が、俺のみぞおちに突き刺さった。


「ずっとずっと、お待ちしてました。マスター様、大賢者ワーヴェル様!」

「ごぶぉ! げぶぅ、ぎひぃンッ!?」


 小屋の床に倒れ込んだ俺の上で、大はしゃぎの少女が嬉しそうに跳ねる。

 そのたび、少女の全体重が腹に乗っかって、俺、悶絶。


「マスター様、どうかなさいましたか?」


 俺の上にペタンと座った少女が、俺に顔を近づけてきた。

 裸の女の子に腹に乗られて、しかも何やら大賢者絡みのことらしく――、


「あ、あー……。えーと」


 俺は一体、何から考えればいいんだ?

 悩みつつ、それでも動きの鈍い頭を働かせて、俺はやっと一つだけ尋ねる。


「ここは、一体……?」


 君は誰だ、とか、俺のことを知っているのか、とか、聞くべきことは幾つもある。

 だが、結局口を衝いて出たのは、ここに来たときに抱いた最初の疑問だった。


「ここですか? ここは――」


 と、少女が笑みを深めて答える。



「ここは、あなたの楽園エルシオン。マスター様のために用意された世界です」



 は?


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッッ!!?」


 楽園の花畑に、俺の二度目の絶叫が響き渡った。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 少女には俺から降りてもらって、お互いに向かい合って床に座った。

 そして、少女が改めて名乗る。


「異種混合統一による新生命創造術式を製造方式とする全環境対応完全学習能力による独自判断自律機能搭載実体成長型楽園世界エルシオン管理及び記録保持担当特務遂行用人造生体ゴーレム、アルカ・イヴと申します。よろしくお願いいたします」

「長い長い長い長い。え、いしゅこんごー、何だって?」


 そんな、恭しく頭下げられても、ワケわかんねーってばよ!


「異種混合統一による新生命創造術式を製造方式とする全環境対応完全学習能力による独自判断自律機能搭載実体成長型楽園世界エルシオン管理及び記録保持担当特務遂行用人造生体ゴーレム、アルカ・イヴです!」

「え? え~と……」


「異種混合統一による新生命創造術式を製造方式とする全環境対応完全学習能力による独自判断自律機能搭載実体成長型楽園世界エルシオン管理及び記録保持担当特務遂行用人造生体ゴーレム、アルカ・イヴ、です!」

「うん、そっか」


 俺は理解を諦めた。

 とにかく、この子の名前はアルカ・イヴ。それさえわかればいいわ、もう。


 ちなみに。

 アルカには服を着てもらった。裸のまま向かい合うとか、さすがに無理っすわ。


 アルカの服装は、何というか、見たことのないものだった。

 サイズが大きすぎてダボっとしており、手も袖から指先がチョンとはみ出る程度。

 色は白一色で、襟がついていて服の前側をボタンで留めている。そんな服装だ。


「これはカレ・シャツという、古式ゆかしい正装なのです」


 と、アルカが自慢げに語る。

 きっと、俺の知らないどこかの国のかなり古い服装なのだろう。

 だが、俺が危惧しているところは、そこではない。


 アルカは、やけに生地が薄いそれを素肌の上に直接羽織っているようなのだ。

 窓から入る陽光で、服越しに彼女の身体の線がくっきりと浮かび上がっている。


 ちょ~っと、目のやり場に困るんですけどねぇ……。

 しかし本人は一切気にしていないらしく、無邪気な微笑みを見せている。


 いかんな、こうしてただ向かい合ってると、どうしても意識しちまう。

 その、ボタンが開いてる胸元とか、惜しげもなく晒されている太ももとか。


 さっさと本題に入ろう。

 俺は視線を左右に躍らせつつ、そう判断した。


「え~、っと、アルカ?」

「はい。何でしょうか、マスター様」


 マスター様って呼ばれ方も、何かちょっとこそばゆいんだが……。


「あのさ……、俺は、大賢者ワーヴェルなのか?」


 まずは単刀直入。

 最も重要なことから確認することにした。


「はい、間違いありません」


 返答は、至極あっさりとしたものだった。


「……そうか」


 もしかしたら、俺は実は大賢者の生まれ変わりじゃないのではないか。

 ずっと、心のどこかにそんな一抹の期待を抱きながら、これまで生きてきた。


 だが、やっぱり俺は大賢者の生まれ変わり。

 いやさ、生まれ変わり損ねた失敗賢者だったらしい。


「アルカは、ずっとずっと、マスター様をお待ちしておりました」

「いや、違う。……違うんだよ、アルカ」


 嬉しそうにはにかんで言うアルカに、小さな罪悪感を得ながら、俺は首を振る。


「違う、ですか?」

「ああ。俺は大賢者の生まれ変わりじゃない。大賢者の転生は、失敗したんだ」


 話しているうちに、だんだんと顔が笑っていくのがわかる。

 生まれる前から失敗している。そんなバカげたことがありうるのだと再確認して。


「転生が失敗、ですか? ……でも」

「でも、何だい?」


 不思議そうに首をかしげるアルカに、絶望的な気分のまま、俺は促す。


「マスター様から感じ取れる御力は、そこまで低いようには思えないのですが」

「もしかして、それは慰め、かな……?」


 だとしたら、そいつは逆効果ってモンだよ、アルカ。


「ちょっと、こいつを見てくれ。ステータス、オープン」


 俺の無力が彼女にも伝わるよう、俺はステータス画面を開いた。



――――――――――――――――――――――――――


 レント・ワーヴェル(27)


 レベル:1073

 ランク:G

 クラス:キャリアー(荷物持ち)


 HP 28561

 MP 17094


 筋力 2668

 耐久 2235

 敏捷 2319

 知性 1847

 器用 2198



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――――――――――――――――――――――――――



 ……………………あれ?


 そこに表示された数値を見て、俺は凍りつく。

 レベル1073?

 最高位のSSランク冒険者で、レベル80ちょっとくらいなんだけど……。


「わぁ、素晴らしい能力値です! さすがはマスター様ですね!」


 そして俺の隣で、アルカがパンと手を打って褒めてくれた。それで我に返った。


「いやいやいやいや、おかしいおかしいッッ!!!!」

「……おかしいのですか?」


「おかしいよ! 三か月前まで、能力値全部一桁だったんですけど!」

「あー、なるほど。それは――」


 と、ここでアルカ、心当たりがあるかのような口ぶり。


「……何かあるんですか、アルカ君」

「確認なのですが、マスター様はここに来るまで、何を食べてきましたか」


 何、と問われて、思いつくのはそこかしこに生えてた果物だが――、


「え、も、もしかして……」

「はい。このエルシオンに実る果実は、全て神果アムリタなのです」


 あ、あむりたぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!?


 俺は愕然となる。

 神果といえば、難度Aランク以上のダンジョンで時折発見される有名な宝物だ。


 滅多に見つからない、朽ちることのない果物で、生命の実とも呼ばれる。

 それを食べた者は生命力を増幅させ、己の限界を超える力を得るとされている。


 市場で取り扱われる場合、一つで優に豪邸十軒が買える値段がつく。

 冒険者にとっては、まさに垂涎の品である。


 そんなものを、俺は何も考えずに三か月も食ってたのか?

 そりゃあレベルも上がるよ。ステータスだって限界突破するに決まってるよ! 


「一体、何なんだよ。エルシオンって、何なんだ……!?」


 半ば自問気味た俺の疑問に、アルカが神妙にうなずき、答えてくれた。


「この世界は、人々にコキ使われるのに飽きた大賢者様が、転生して今度こそ誰とも関わらず引きこもって自分らしく生きるために創造された箱庭世界なのです」

「…………」


 創造の理由、しょっっっっっっっっっっっっっっっっっぱッッッッ!!??


「マジかよ、大賢者ァ……」


 呆れ果てて、俺はその場に崩れ落ちる。

 やってることは神の御業なのに、動機がショボすぎんだろうがよぉ……。


 しかも明らかに『やりたいことやり尽くしたヤツ』の言い分なのがクソ腹立つ。

 やっぱ大賢者は敵だ。

 前世こそが俺の人生最大の怨敵なのだと、俺は改めて実感した。


「マスター様、もうこれ以上、苦しまれる必要はないのですよ」

「アルカ……?」


 俯いていた俺は、聞こえた声に顔を上げる。

 そこには、慈母のような、優しさに溢れた笑顔を俺に向けるアルカがいた。


「これまで、随分とご苦労なされたのですね。でも、それも今日までです。マスター様は、エルシオンに御帰還なされました。ですから、もう大丈夫ですよ」

「あ……」


 その声は柔らかく、暖かく、甘ったるい、金色の蜜のようだ。

 耳から侵入して俺の意識を包み込み、ゆっくりと蕩けさせようとしてくる。


 ――そうか。もう、大丈夫なのか。


 俺はそう思わされてしまった。

 外に戻っても、ギルドから見放された俺には冒険者を続ける理由もない。


「マスター様。ここはあなただけの楽園です」


 アルカの甘い囁きが、俺の自我をゆっくりと融かしていく。

 彼女の両腕が俺の頭を抱きしめて、柔らかいものが頬に押し当てられた。


 どうしようもない安心感に、俺は泣きそうになった。

 ここは、俺の楽園エルシオン。苦しみなどどこにもない、俺だけの楽園。


 苦しみのないこの世界で生きることが、きっと何より賢い生き方だ。

 そうして安堵の想いに胸を満たして、俺ははっきりと、アルカに答えた。


「それだけは、イヤだ」

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