第2話 失敗賢者は迷い込む

 気がつくと、夜になっていた。


「…………は?」


 俺はまばたきを繰り返し、右を見る。木が見えた。


「…………え?」


 さらにまばたきしながら、左を見る。木が見えた。


「……森じゃん」


 森だった。

 どうしようもなく、ここは森の中だった。


「何でェェェェェェェェェェェェェェ――――ッッ!!?」


 でぇぇぇぇー……

 でぇぇー……

 でぇー……

 ぇー……


 俺の絶叫が、夜の森にこだましていった。

 そしてこだまも薄れ、訪れたのは静寂。暗闇と無音の世界があるばかり。


 ――どうして俺は、こんな場所に?


 静寂の中で、ようやっと俺の意識はそこに至る。

 直後に思い出した。そうだ、開かずのアイテムボックスが、何故か開いて、


「そうだ、アイテムボックス!」


 俺は、ボックスを掴んでいる右手を見る。しかし、そこには何もなかった。


「……あれ?」


 一瞬きょとんとなって、すぐに我に返って俺は絶叫する。


「アイテムボックスどこだァァァァァァァ――――!!?」


 のどの奥が擦れた感じがして痛い。

 夜の森だ。辺りは暗くてロクに見えない。俺は這ってアイテムボックスを探した。


「おぉ~い、アイテムボックスよぉ~い!」


 よぉ~い……

 ぉ~い……

 ~い……

 ~……


 こだまはやっぱり虚空に消えて、物静かな森の中、俺はひたすら探し回る。

 しかし、アイテムボックスは見つからなかった。


「何でだよ……」


 やべぇわ、これ詰んだわ。途方に暮れて、俺は大の字に寝転がった。

 疲れて熱を持った体に、冷たい土の感触が心地いい。

 その冷たさがいい方向に働いたのか、一つ、思いつくものがあった。


 左腕の腕輪だ。俺は身を起こしてそれを見る。

 これは、冒険者ギルドから支給される、冒険者であることを証明する魔具だ。

 この腕輪には幾つかの便利機能があって――、


「ステータス、オープン」


 告げると、左手の甲側にはめ込まれた宝珠が輝き、スクリーンが投影される。



――――――――――――――――――――――――――


 レント・ワーヴェル(27)


 レベル:8

 ランク:G

 クラス:キャリアー(荷物持ち)


 HP 30

 MP 10


 筋力 7

 耐久 7

 敏捷 4

 知性 5

 器用 4



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――――――――――――――――――――――――――



 相変わらずひでぇステだ。

 普通は三年も経てばランクはE、レベルは10、平均ステも15は超えるのに。


 冒険者生活十年を超える俺のステがこれだ。

 これも転生魔法失敗の影響だっていうんだから、やっぱ大賢者ってクソだわ。


「……ッ、はぁぁぁぁ~」


 俺は盛大にため息をついて、ステータス画面を次に移す。

 自分の無能を嘆いても仕方がない。今は、居場所を確認するのが先。


 ステータス画面は全3ページで構成されている。

 1ページめは自分のステータス。2ページめは保有スキルが記載されている。


 そして、最後の3ページめ。

 そのページは、受注した依頼が記載されるページである。

 また同時に、時刻と居場所が表示されている。はずなのだが――、


「何だ、こりゃ……」


 そこに見える表示に、俺は軽くうめいてしまった。



――――――――――――――――――――――――――


◆現在進行中の依頼

 ――現在進行中の依頼はありません。









・現在時刻:■■:■■


・現在地点:■■■■■■■■■■■■■■


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――――――――――――――――――――――――――



 表示機能が働いていない。そんなバカな。

 二つの表示機能は、冒険者ギルドが魔法技術の粋を駆使したと豪語するものだ。


 大陸のどこにいても、必ず現在地点と時刻を表示する。

 ギルドがそう太鼓判を押す機能が狂うなんて話、俺はついぞ聞いたことがない。


 そこで、あり得ない可能性が頭に浮かぶ。

 まさかここは――、そもそも大陸のどこかではない?


「もしかして……」


 俺は立ち上がって、空を見上げた。

 そこには月も星もない。なのに、辺りが分かる程度に空が明るい。


「この不自然さ。……ここはアイテムボックスの中、なのか」


 アイテムボックスに吸い込まれた記憶を思い出して、俺はそう結論づけた。


「あー……」


 だが、それがわかったからって何だってんだ?

 入れたからって、出られるとは限らない。出口などどこを向いても見当たらない。


 つまるところ、俺は依然として途方に暮れるしかないのだった。

 と、そこで腹が鳴る。そういえば、今日は何も腹に入れていないことを思い出す。


「……えーと」


 俺は、とある方へ歩いて行く。そこには、背の低い木が生えていた。

 その木の枝には、リンゴっぽい果実がなっている。

 さっき星を探そうとしたとき、たまたま目に入ったのだ。


「よいしょっと」


 俺は、果実を一つもぎとって、意識を込めてそれを睨む。


「『可食鑑定』」


 手にしたものが食べられるかどうか、それを判別できる俺の唯一のスキルである。

 ま、普通の『鑑定』スキルに比べたら、完全な劣化版だけどな。


 ふむ、毒性はなし。

 食べても問題なさそうだ。


 俺は、果実にかじりつきながら、今後のことを考えた。

 とにかく、前に進むしかないだろう。どこかに、出口があるかもしれない。


 こんなところで野垂れ死になんて、絶対に認めてやるもんか。

 思いながら、俺は果実をかじりつつ、歩き始めた。


 ――それにしても甘くて美味いな、これ。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 輝きを増す太陽の光を受けて、草原の真ん中で寝ていた俺は目を覚ました。

 チチチ、という音が耳をかすめる。

 どうやら、大の字になっていた俺の体の上に何羽かの小鳥がとまっているようだ。


「……んがッ」


 まだまどろみの中にあった俺が身を震わせると、小鳥達が一斉に飛び立った。


「あー……」


 まだはっきりしない頭を振って、俺は身を起こした。

 ベッド代わりを果たしていた背の低い草が、カサと軽い音を立てる。


 ここはだだっ広い草原のド真ん中。

 本来であれば、火を起こして始終辺りを警戒しなければならない環境だ。

 しかし、ここが安全であることを知っている俺は、大口を開けて寝ていた。


「さて……」


 やっと意識もはっきりしてきたので、左腕の腕輪を起動する。

 この腕輪の機能の一つに、メモを残せる画面がある。

 一日の始まりにそれを表示するのが、今の俺の日課になっていた。



――――――――――――――――――――――――――


・備考欄

 ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆

 ★★★ ★★★ ★★★












――――――――――――――――――――――――――



 現状はこう。

 そして、今、新たにそこに★を加える。


 これで★が十個。

 次に俺は★を全て消して、新たに☆を一つプラスする。

 こんな感じだ。



――――――――――――――――――――――――――


・備考欄

 ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆












――――――――――――――――――――――――――



 この☆と★は、俺がここに来てからの日数を表す。

 ★は一日。☆は十日。つまり、俺がバッグに吸い込まれて、今日で九十日。


「……三か月、か」


 近くを流れる小川で顔を洗いつつ、俺は小さく呟く。

 小川の水面には、随分と髪が伸びた三か月目の俺の顔が映っている。

 どうということはない、見慣れた黒目黒髪のレント・ワーヴェルの顔だ。


 しかし、ここに来てもう三か月が経ったのか。

 その事実を振り返り、何というか、自分は何をやってるのかと思ってしまう。

 とにかく、今日も出口探しを始めようと――、ああ、いや、腹減ったな。


「確か、あっちに……」


 少し歩くと、葡萄っぽい果物がなった木がある。

 俺は果物を枝から千切ると、そのままガブっと丸ごとかぶりついた。


 瑞々しい果肉をかじると、口内に濃厚な甘みと爽やかな酸味が同時に広がる。

 幾度か咀嚼し呑み込み、一瞬遅れてやってくるのど越しがまた心地いい。


「食べ飽きないな、相変わらず」


 皮も薄く、のどに張り付くこともなく、果肉と一緒に飲み込めてしまえる。

 とにかく食べやすく、甘く美味しく、そして何よりどこにでもある。

 ここに来てからというもの、食事はもっぱらこうした果実がメインになっていた。


 その辺を探せば、大体どこかに果物がなる木が生えているのだ。

 最初に食べたリンゴに似た実をつける木も、実はすぐ近くに何本もあったりする。


 腹を満たし、俺はいよいよ歩き出す。

 気温は程よく、歩いている間も汗ばむようなこともなく、まるで気にならない。


「ホント、何なんだろうなぁ、ここ」


 歩きながら、俺はこの場所について思いを馳せる。

 草原の真ん中で寝てもまるで危険がない。それは、普通に考えれば異常なことだ。

 しかし事実、ロクに装備も持っていない俺が、こうして九十日も生きている。


 ここは、生きるのにまるで苦労しない場所なのだ。

 果実の他にも、川には食べるのにちょうどいい大きさの魚がいるし、野兎もいる。

 いずれも近づいても逃げることなく、簡単に捕まえることができる。


 山に近づけば山菜も豊富で、しかも、煮る必要もなく生で食える。

 川の水は透き通っていて、飲み水にもできる。

 大型の獣なんて見たこともないし、気温だって常に一定で過ごしやすい。


「……まるで楽園だな、ここは」


 どこに行っても危険はなく、食料にも困らず、無防備なまま生きていける。

 人が楽に生きるための要素が、全て揃っている環境。

 そんなもの、楽園と呼ぶ以外にどう呼称すればいいというのか。


 それを思うと、次は決まって、ある自問が浮かぶ。

 もう、外に戻る必要なんてないんじゃないか。という自問である。


「――――」


 ただ生きていくだけなら、ここは最高の環境だ。

 外に出たって、待っているのは失敗賢者と笑われる日々だろう。だったら……。


「行くか」


 俺は幾度か頭を振り、再び進み始める。

 楽園の誘惑は、常に俺の隣にある。しかし、何故か俺は決断できずにいた。


 ここに来た最初の日以来、俺は、自分のステータス画面を見ていない。

 あの、悲惨な数字を見ると、追放された日のことを思い出すからだ。


 三か月も経ちながら、俺は未だに、あのときの無念を引きずっていた。

 もしかしたら、それこそが俺の足を進めさせている原動力なのかもしれない。


 そんなことを考えながら、高い丘を越えると――、


「……こいつは」


 一面の、花畑。

 視界一杯に、赤、蒼、黄、緑、紫、桃色、さらに数えきれない程の色の花。

 香る花の匂いはむせ返るほどに甘ったるい。


 そして、その花畑の真ん中に、家があった。

 簡素で小さな、木造の掘っ立て小屋だ。


「人が、いるのか……!」


 ここに来て初めて見る、俺以外の誰かの痕跡。俺は全力で走り出す。

 自分でも気づかない間に、俺の心は孤独に蝕まれていたらしい。

 だから小屋の誰かと話したくて、走って、走って、小屋の戸を勢い良く開けて、



 ――積まれた藁をベッドにして、裸の少女が眠っていた。



「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッッ!!?」


 楽園の花畑に、俺の絶叫が響き渡った。

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