ささくれを剥がす魔法
宮塚恵一
ササクレハガシャー
「痛いな」
「どうかしたんですか?」
お師匠様の部屋に入ると、何やら布の切れ端で指を押さえていた。
「怪我でもしました?」
「いや、ささくれをな」
「ささくれ?」
お師匠様は指から布をどかして、彼女の指を見せてくれた。
爪の付け根から血が流れている。皮が第一関節あたりまで剥がれていて、そこから出血しているのだとわかる。
「うわー、痛そー。どうしたんですか」
「だからささくれを剥がしたんだよ。乾燥する季節になると、指の皮がちょっと剥がせたままになるとこあるだろ。あれさ、気になってどうしても剥がしちゃうんだよ」
「そんなもん剥がさないでください。
「あれって剥がさないの無理だろ」
「剥がすな」
お師匠様に対して思わず敬語が外れてしまった。
「じゃあどうしろって言うんだよ」
「剥がすなつってるんですよ」
「むむむ」
お師匠様は納得のいかない様子で唸ったが、ふと何か思いついた様子で作業机の中からペンと紙を取り出して、何やらガリガリと書き始めた。
お師匠様はこうなるともう何も聞こえなくなる。数年間この魔女の弟子をしていても彼女の年齢は不詳だが、見た目は美人なんだから謎の奇行はやめたら良いのに、と思う。
「包帯用意しときますねー」
私はため息をついて、戸棚から包帯と止め具を用意してお師匠様の動きを一旦止め、包帯を指に巻いた。
「ありがとう」
お師匠様はそれだけ言うとまたガリガリと書き物に戻る。私はそんなお師匠様は放って、夕飯の準備を始めた。
ここは魔女の隠れ家。
魔法の力を持つ魔女の多くは一人一人工房を持ち、そこで日夜魔法の研究に明け暮れている。お師匠様もその例外ではなく、私はお師匠様のもとで修行を続ける見習い魔女として、この家の雑用やら、お師匠様のお世話などを任されている。
だから、さっきみたいにお師匠様の怪我の手当をしたり、食事を作るのも弟子である私の役目である。
そんな魔女の弟子の立場として仕事した食事の仕込みも終わり、お師匠様を呼びに行こうとしたら
「できたぞ!」
と、そんな大声がお師匠様の部屋から聞こえた。
「お疲れ様です。何ができたんです?」
「ささくれを安全に剥がす魔法だ」
「はぁ」
この人、一日中部屋に閉じこもって何やってんだ。
「我々の使用する魔法において、魔法でしたいことを新たな魔法として構築するためには何が必要か。我が弟子よ、わかるな?」
「既存魔法の基礎を理解すること、ですね。いつもお師匠様が口酸っぱく言ってる通り、火を出すような簡単に見える魔法も元々は風を起こす魔法、光を集める魔法、熱を外に逃がさない魔法などの要素の組み合わせでできる。そしてその組み合わせさえ理解すれば魔法はなんだってできるんだと」
「その通り。流石我が弟子、上出来だ。そして私は治癒魔法、切断魔法、風魔法などを組み合わせ、ささくれを剥がす魔法を考案した!」
そんな魔法誰が使うんだよ、と思ったがとりあえず今目の前に使う魔女が一人いる。考案者だから当然だが。
「ささくれを剥がす時に困るのは、あれ? ここだけ剥がそうと思ったのになんか思ったより皮膚って伸びるし、このままだと剥がれなくていいとこまで剥がれるな? という厄介さだ」
「知りませんが」
私は自分のささくれ剥がそうと思ったことないし。
「つまり剥がしたいところだけピンポイントで剥がし、剥がし過ぎてしまいそうなら、その部分で一度ささくれ部分の皮膚を切ってしまえばいい」
「そんな気になるなら素直に針とか鋏とか使ってください」
「おいおい、我々は魔女だぞ。魔女が魔法を使わずして問題を解決してどうする」
「そんなあなたの弟子は魔法を使わずして夕食を作り終えたところなのですが?」
マナがもったいないとかなんとか。魔法を唱えるのも無尽蔵というわけにはいかず、場に存在するマナを節約しないと、魔女もすぐに魔法を使えなくなるからとかなんとか。
言ってることとやってることが一致してねえんだよな、このお師匠様。
「この魔法を、ササクレハガシャーと名付けた」
「長いし言いづらい」
「このササクレハガシャーをもってすれば、もう明日からささくれに悩まされることはない。よし、ちょうど親指にちょっと気になるささくれがある」
「ささくれを剥がす前にスキンケアとかをするのが先なんじゃないかなあ」
「それではこのささくれを魔法で剥がそう」
人の話聞けよ。
「行くぞ、それササクレハガシャー!」
お師匠様は気合いを入れて、自分の親指に向けて魔法をかけた。
すると、お師匠様の指からニュルニュルと何かが伸びてきた。
ニュルニュルニュルニュル。
お師匠様の指から伸びるそれは不規則に部屋の中を動き回る。
「何これ気持ち悪」
「ふむ、どうやら私としたことが魔法の配分を間違えたようだ。ささくれが剥がれた後の皮膚を治癒するつもりが、ささくれそのものが成長し続けている」
「いいから止めてくださいよ。部屋の中ささくれが伸びたものがうごめいてるの気持ち悪いです」
「それもそうだな。それ、ササクレハガシャー!」
お師匠様はもう一度、自分の指に向けて魔法をかけた。すると、お師匠様の指からニュルニュルと伸び続けていたささくれは動きを止める。
「で、それどうするんですか」
「そうだな」
お師匠様は少し悩んで言った。
「鋏持ってきてくれ、ささくれ切れる小さいやつ」
「最初からそうすりゃいいだけの話なのに……」
私は先刻お師匠様の指に巻いた包帯が入っていた戸棚をもう一度開けて、その中から鋏を取り出した。それをお師匠様に手渡す。
「失敗失敗。今度はまた魔法の配分変えて試してみるか」
ちょきん。
と、お師匠様が鋏でささくれの付け根部分を切ったその時である。
伸びに伸びたささくれが、またもニュルニュルと部屋を蠢き始めた。
「ひいいいい! 気持ち悪い!」
私の身体に悪寒が走った。お師匠様のとは言え、人の皮膚だったものが勝手に動き出す様子は不気味という他なかった。
ニュルニュルニュルニュル!
伸びたささくれは部屋中を蠢く。床を這い、壁を伝い、天井を覆い尽くした。
その様は、まるで大蛇かワームである。昔、お師匠様と対峙した巨大ワームのことを思い出した。ミミズが長く長く伸びたモンスターである巨大ワームを思い出す程に、伸びたささくれ──ささくれワーム──は縦横無尽にお師匠様の部屋を埋め尽くす。それも、どうやらこのささくれワーム、まだまだ伸び続けている。このまま放っておけば、部屋どころか工房の全てを覆い尽くしかねない。
「これは……どうやら魔法によって生命エネルギーがささくれに宿り、一個の命のように振る舞っている!?」
「知りませんし、早くなんとかしてください!」
「ふ、任せた。
そう唱えたお師匠様の手からから炎が放たれる。炎がささくれワームを包み込む。燃え盛るささくれワームは灰となり、ボタボタと床に残骸が落ちて行った。
流石にお師匠様である。いとも簡単にささくれワームの脅威を無力化した。
……いや、脅威も何もこれ生み出したのお師匠様だけど。
「これでよし」
「
私はすぐさま部屋の窓を全開にする。
ささくれワームが焼け焦げるにおいはどんどんと、しかし確実に外へ拡散していった。
「ああもう、床が灰だらけ。しかもお師匠様の皮膚が焼けたものって思うとほんと気持ち悪い……」
「すまんすまん。どうもピンポイントにささくれを剥がす魔法の構築は、優秀な魔女である私でもまだまだ難しいようだ。しょうがない。ささくれは普通に剥がすか」
「剥がすなッ!」
ここは魔女の隠れ家。
変わり者の魔女とその見習いとが、こうして日夜魔法の研究に明け暮れているのでした。
END.
ささくれを剥がす魔法 宮塚恵一 @miyaduka3rd
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