誰にでも爪切りを貸す男【KAC2024第四回:ささくれ】

青月 巓(あおつき てん)

誰にでも爪切りを貸す男子

 私立穂高高校。東京の都会から少し離れたところに立つこの高校は、今や多くなくなった異世界からの放浪者が学ぶ学舎だ。

 もちろん通常の高校とおなじように日本人であれば誰しもが入学することもでき、異世界からこちらに訪れた人々もまた同じように入学してくる高校。

 日本にいくつか存在するそれらは、異世界との交流が始まった当初は物珍しさから入学希望者が殺到していたのだが、異世界人も多く日本に住み始めてからはもう誰も珍しいなんて感じずに、異世界学について学びたい変な奴しか入学しない学校として有名になっていた。

 で、俺はそんな変な奴の一人である。

 昼食の後中庭を覗けば人型に変身したドラゴンが空を飛び、エルフの弓道部が部室に走っている様子が見てとれる。

「高崎くん、高崎くんってば!」

 そんな俺に、話しかけてくる人物がいた。

「あ、ごめん。エムルさんだっけ。どうしたの?」

 エムルさん。人の見た目をしているがこの人もドラゴンの血を引いているらしい。

「あ、ごめんね。考え事中だったかな。ちょっとネイル直したいんだけど、ささくれが気になっちゃって。ささくれ切り貸してくれない?」

「いいよ」

 俺はカバンの中から爪切りのような見た目のものを取り出してエムルさんに渡す。

「ありがとー! 高崎くんのじゃないと綺麗に切れないから助かる!」

 エムルさんは俺のささくれ切りを受け取ると、その場でささくれを切り始めた。

「あ、そうだ。友達のドラゴンの子にもこれ貸していい? 乾燥期でみんな参っちゃってて」

「いいよ。後で返してくれれば」

「ダブルありがと! じゃあちょっと持って行くね!」

 俺の返答を聞いて、エムルさんはささくれ切りを持ったまま教室の外に飛び出して行った。

「なぁ高崎、お前よくあんな爪切り持ってんな」

 後ろの席のアノニが声をかけてくる。後藤も異世界人であり、犬の獣人だ。

「あはは、あの程度じゃ竜の爪なんか切れないよ。ささくれを切るだけの道具。趣味でよく作ってて」

「お前こっちの人間だろ? なのに竜族の子の皮膚が切れる刃物とか作れんのかよ……すげぇな技術」

「あはは、でも作れたのはあの程度だし、あれも運良くできただけだから、すごくはないよ。アノニも使う? 獣人用の爪切りを試作してみたんだけど。今度はちゃんと爪切りだよ。最近爪伸びてるでしょ?」

「う゛……まあ、伸びてはいるが、あんまり切るの好きじゃねぇんだよなぁ。あのゾワっとする感覚がどうも無理で」

 アノニは背筋をブルっと震わせながら顔を少し青ざめさせた。こっちのペットと同じように、向こうでもやはり爪を切るという行為は好まれていないらしい。

 しかし、今回のは違う。そんな獣人に対して俺も手伝ってリサーチを行なって、やっとの思いで開発したものなのだ。

「まあ、使ってみてって」

「ん、そう言うなら……」

 俺はカバンから少し変わった形状の爪切りを取り出すと、アノニに手渡した。そしてどう使うかを説明すると、パチンと一度爪を切って見せる。

「おお、確かにあんま嫌じゃねぇかも」

 パチン、パチン、と小気味の良い音と共にアノニはいつの間にか両手の爪を切り終えていた。

「それ、一応普通に爪切りだからささくれとかも俺みたいな人間の手入れと同じ感じで切れるんだけど……獣人ってそもそもささくれとか出るの?」

「いんや、出ない。出る奴も居るだろうけど、俺はあんまり。けどちょっといいか?」

 俺の返答を待たずに、アノニは手をひっくり返して肉球の近くに爪切りを持っていく。何をするかと思えば、その刃で肉球の周りの毛を器用に切っていた。

「うん、マジでいいな、これ。これ売ってないのか?」

「まだ試作段階だからねぇ。でもこれは竜相手のものと違って量産化できそうだから、できたら言うよ」

「マジかよ! 待ってるわ。ところで、お前ってなんで爪切りなんか作ってんだ? 竜の皮膚なんか切れる刃物作れんなら、こっちの世界におろす武器でも作りゃ良いのに」

「こっちの方が性に合ってるんだよ。武器なんて作るよりも、ささくれを切れるようなものを作った方がみんな幸せになるでしょ?」

 アノニも納得したようで「そっか」と言ってスマホを触り始めた。俺はまた窓の外を眺める。

 エルフ用の爪切りは、魔力が抜け出さないような加工を同時にできれば良いのだろうか。そんなことを考えながら。


ーーー


「まいど、ありがとうございます」

 学校が終わり、家の地下。ローブを纏った魔術師のような人物を前に、俺は金貨を受け取っていた。渡したのは今日エムルさんに渡したささくれ切りの中身。

 そう、世にも貴重な竜種の皮膚だ。

「助かるよ。実験のために色々と必要なんだが、公的に買うと高いからね。君みたいなところから秘密裏に買えるなんて思ってもみなかった」

「いえいえ、こちらこそいつもご贔屓にしていただいてありがとうございます。それでなんですが、サービスとして今日は獣人の爪と毛をお付けしておきますね。安価な消耗品ではございますが、あって損はないでしょう?」

「おお! それもありがたい。倫理的にどうだとか上がうるさくて量を使うものなのにこれもあまり手に入ってなかったんだ」

 ローブの男は俺の差し出したジップロックを受け取る。

「いえいえ、ありがとうございます。量産体制に入れればそちらの世界の獣人の方にも使っていただけると思いますので、そうなれば不足も解消するかと」

「ははは、ありがたいことだ。……と、そろそろ扉も閉じる時間だな。また来るよ」

 ローブの男はそう言うと、空中に浮いた青く光る輪の中に入っていった。

 見ればわかるだろうが、俺の入学した目的はこれだ。異世界学なんてどうでもいい。あそこは金のなる木が山ほど生えているというだけで、入学を決意した。それだけ。

 貴重な生物の皮膚片や爪のかけら、それらは魔法使いにとってこの上ない貴重な材料となる。

 それを集め、裏で売る。それが俺の目的だった。

「さて、じゃあ次の試作品でも作るかな」

 工房に戻ると、壁にかかったハンマーを持って俺は炉に向かった。昨日からずっと熱していた鉱石がやっと溶け出している頃だろう。魔力を封じる伝説の鉱石。これならばまた面白いものが作れるはずだ。

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