旅の途中で
三鹿ショート
旅の途中で
繰り返される日常に嫌気が差し、会社とは正反対の場所に進んでいく電車に飛び乗った。
電車に揺られているときは、仕事を放り投げてしまったことに対する罪悪感を抱きながらも、それと同時に解放感を得ていたものの、見知らぬ駅で降車すると、それらの感情は消えていた。
何故なら、どのような場所で降車したとしても、やがて元の生活に戻るからだ。
自分がこれまで旅行というものに対して関心を抱くことがなかった理由をこのような場所で知ることになるとは、想像もしていなかった。
それでも、即座に帰宅しようと考えたわけではない。
今さら会社に戻ろうが、明日会社に行こうが、どちらにしても上司から叱責されることには変わりはないのである。
それならば、今のこの時間を愉しむべきだろう。
私は改札口を抜けると、周辺を散歩することにした。
***
歩いてから五分ほどで、私は帰宅するべきかどうかを悩んだ。
何故なら、どのような土地へ向かったとしても、其処には住人が存在し、彼らが生活しているということに変わりはないからである。
景色は見たことがないものばかりだったが、たとえ自分が初めて目にするものだったとしても、その土地の住人にとっては見慣れたものであるために、一々感動することが馬鹿馬鹿しくなってしまうのだ。
やはり、私には、旅行というものは向いていないのだろう。
帰宅するべく、踵を返そうとしたところで、私は一人の女性と衝突してしまった。
慌てて謝罪すると、彼女は口元を緩めながら、首を左右に振った。
そのまま私に頭を下げて離れていく彼女から、私は目を離すことができなかった。
***
彼女が住んでいる場所を確認すると、私は近くの宿泊施設でしばらく過ごすことに決めた。
会社には体調を崩したと連絡したために、数日間は姿を見せなかったとしても、大きな問題ではないだろう。
それから私は、偶然を装って彼女に接触すると、
「実は、気儘に見知らぬ土地を旅行している途中なのですが、この辺りに来たからには観光するべきだというような場所は、存在していますか」
突然の問いにも関わらず、彼女は私のことを訝しむことなく、答えてくれた。
同時に、案内もしてくれたことを思えば、彼女が心優しい人間であることは、間違いないだろう。
彼女と親密な関係を築きたかったが、何時までもこの土地に留まるわけにもいかなかったために、連絡先を交換することにした。
私が住んでいる場所に来れば案内するということを伝えると、私は自宅が存在する土地へと向かう電車に乗り込んだ。
それからの私は、彼女から連絡は来るだろうかと胸を躍らせる日々を過ごした。
だが、彼女から連絡が来ることはなかった。
***
休暇をとり、久方ぶりに彼女に会いに行こうとしたが、彼女の姿を見ることはできなかった。
近くに住んでいる人間に彼女のことを尋ねるが、奇妙なことに、彼女のことを知っている人間は存在していなかった。
それならば、私が好意を抱いた彼女とは、一体、何者だったのだろうか。
そのような疑問を抱いたが、私が再会を諦めることはない。
何故なら、私が彼女と接したということは事実であるからだ。
それならば、この世界に何処かに、彼女は存在しているということになる。
其処で、私は己の人生の目標を決めた。
それは、彼女と再会し、自身の想いを伝えるということである。
達成することができるかどうかは不明だが、それでも、人生において目標というものが存在することは、悪いことではないだろう。
とりあえず、私は隣の駅へと向かうことにした。
***
「きみに言われた通りに、彼を追い払ったが、何故そこまで彼のことを嫌っているのか。少しばかり接触しただけだが、悪い人間のようには見えなかった」
「現在の彼がそのように見えたとしても、私が彼のことを受け入れることはありません。彼と手を繋いで恋人のように歩く姿を想像しただけで、気分が悪くなってしまいます」
「それは、何故か」
「彼は、かつて私のことを虐げていた人間の一人だったからです。入学してから二週間ほどで外に出ることを止め、それから転校したために、記憶に残っていないのでしょうが、私は憶えています。そのような人間を私が相手にするわけがないでしょう」
「事実を話せば、彼はかつての行為を謝罪するのではないか。そうすれば、きみの考え方も変わるのではないだろうか」
「私がどのような仕打ちを受けたのかを知らないために、そのようなことを言うことができるのです。とにかく、私が存在していないと分かれば、彼がこの土地を再び訪れることはないでしょう。久方ぶりに彼の姿を見たときは生きた心地もしませんでしたが、これで、私は安心して生活することができます」
旅の途中で 三鹿ショート @mijikashort
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます