第四十一話
「シズクさんの容態は安定しています。ですが、人の体はそう簡単にはいきません。いくら体が健康になっても、脳がそれに気づかないことだってある」
「どうしたら目覚めるんだ」
必要なものがあるなら、島中探しまわったってかまわない。この島にないのなら、また地上にだって。
「こればかりはなんとも。ただ、脳に関する障害は深層意識に働き掛けることによって回復することがあります。例えば、戦いで意識を失った戦士が、剣を渡されることによって数十年越しに目を覚ました例もあります」
「昔の記憶を蘇らせる必要があるってことか」
シズクの枕元に置いてある分厚い本が目に入る。
「……そういえば、昔よく本を読み聞かせてたっけ」
小さい頃は壮大過ぎてよくわからなかったけど、島の外を知った今なら、どんな物語なのかが薄らとわかる。かつて、天空の竜騎士が七つの国の七つの人種と出会い、冒険し、七つの宝玉を集め、瘴気に満ちた世界を救う話。世界を救った少年は、最後は七つの光に抱えられて天へと昇っていく。その先の話は、まだ誰も知らない。
本を閉じると、少しだけ穏やかになった寝息が響くだけだった。
「やっぱり、ダメか」
頭をなでる。安らかな寝顔で、この間まで重い病気だったとは思えない。
「……兄さん?」
「シズク。どうして」
「さっきまで、とても暗い場所にいたんです。ですが、兄さんの声がするほうに歩いていくと絵本の表紙のような扉が現れて……。それが開いた瞬間、隙間から差し込む暖かな光が私を暗く冷たい場所から連れ出したんです」
「おかえりなさい、兄さん。十年前の夜も、嵐が怖くて震えていた私の頭をなでてくれましたね。あの時よりもずっと頼もしくて、びっくりしてしまいました」
「ただいま、シズク。つらい思いをさせてごめん」
「つらくなんてなかったですよ。だって、きっと兄さんが助けてくれると信じていましたから」
「後ろの方たちは?」
「地上で会った仲間だよ。こっちの強そうなのが戦士のアカネで、怪しいのが医者のユリだ」
「まるで女子に対する言葉とは思えんな」
「あなた達が兄さんを、私を救ってくれたんですね。凛々しい戦士様に、かわいらしいお医者様」
「兄と妹で言葉選びがえらく違うな」
「一応、兄さんは褒めてると思いますよ?」
「まだ完治はしていませんよ。意識が戻ったのなら、治療も次の段階に移れますね」
「次の段階?」
「少しずつ日差しに慣れていきましょう。命の花の薬効と免疫力で、雨雲病を根元から断つために」
シズクの雨雲病は日を追うごとに良くなっていった。すぐに熱は引き、次第に咳も少なくなり、体の痣もすっかり消える頃になると流動食を食べられるようになった。
そして。
「……本当に、外に出ても大丈夫ですか? 日傘を差していませんよ?」
白いワンピースに麦わら帽子。本来、日差しの下で着る服だ。
「大丈夫。ほら、手を握ってるから」
「さあ、行こう」
家の中に陽の光が差し込んだ瞬間、条件反射からか、シズクはびくっと肩を震わせた。今まで、シズクにとって陽の光は痛みそのものだったんだ。だけど今は違う。
「どうした? まだ、日に当たると痛むのか?」
「世界はこんなにも眩しく、暖かかったのですね」
陽の光ってやつは、眩しくて明るいものなんだ。それを奪う雨雲病が消えれば、
指笛を吹くと、シズクは不思議そうな顔を浮かべる。
「兄さん?」
空に浮かぶ影に気づいた瞬間、シズクは目を見開いた」
「約束しただろ。病気が治ったら、ジェシーに乗せるって」
「夢でも見ているみたいです。兄さんと一緒に、空を飛べるなんて」
「見てるじゃないか、夢を」
「ええ。まさか、こんな近くに広がっているとは思いませんでした」
「アカネさん、ユリさん! お昼ご飯を持ってきました!」
パンに鳥肉の香草焼が挟んである。よく見ると、ユリのパンには野菜が挟まってなかった。
「おい、ユリを甘やかすなよ。アカネに怒られるだろ」
「兄さんだってジェシーに甘いものしか与えないじゃないですか」
そう言われるとぐうの音も出なかった。アカネにきつく言われてたけど、これからもジェシーを甘やかすために仕方がない。
「そこにおいててください」
「どうしたんだ? ユリらしくない」
「レインさんって、さらっと失礼なこと言いますよね。この作業が終わったら食べるので残しておいてください」
「すごく集中してるもんな」
水や油に浸したり、熱したり冷ましたり、乾かしたりふやかしたり。それぞれの工程で違う成分が抽出できるらしい。触っただけで朽ち果てるほど繊細な花だからか、ユリは今までにないくらい集中してるように見えた。
「もうすぐ最後の薬ができるところですから。これが完成すれば、シズクさんの病気も完治するはずです」
「ありがとうございます、ユリさん!」
「ぐ、陽の力に押しつぶされる……」
まあ、俺もシズクの笑顔がたまにまぶしく見えることがあるけど、俺だけじゃなかったのか。と言っても、少し大仰な反応だった。
「どうかしました?」
「い、いえ。治療した患者に感謝されるのは初めてだったので」
「今までたくさん頑張って来たんですね」
「ここでは、ほどほどでいいんですよ
「お気遣いありがとうございます。ですが、好きでやっているだけですので」
「ユリからそんな台詞が聞けるとはな。純粋な好意を向けられて突っぱねられる人間などいないということか」
「……気配を消していましたね? 意地が悪いですよ、アカネさん」
「そういえば、傭兵の国ってどこにあるんだろうな」
「まさか、あの女に会いに行くつもりですか?」
「いや。ジェシーも竜の国から来たって言っててさ。地上にはだれもいないはずなのに、どこに国があるんだろうと思ってな」
「クジラの上ですよ」
「この島にそんな国があるなんて聞いたことないぞ」
「別の、クジラの上ですよ。空には、他にも国があるというだけです」
「おう、帰ったか坊主。邪魔してるぜ」
「どうしてここに」
「スコールとは古い付き合いでな。久しぶりに会いに来たってわけだ」
「にしても驚いたぜ。お前がちゃんと父親やってるなんてな。前会った時はただの金髪坊主だったくせに」
「俺も変わったのさ。今は守るものができた。年がら年中旅しているわけにもいかないさ」
「明日、ここに地上組を呼べ。俺たちから大事な話がある」
「大事な話」
「事は坊主が思ってるより複雑だ。自覚してるかわからねえが、今の坊主は少々危うい立場でな。場合によっては、この国の代表として戦ってもらうことになる」
「誰のものでもない雲上の楽園――通称、平和の国。そこには竜と心を通わす民が暮らし、温暖な気候の中で豊富な資源が眠っている。この島に関する言い伝えだ」
「てめえのオヤジがうだうだしてっからこっちも強引な手段に出るしかなかったってわけだ。噴気孔をセメントで固めて一種の兵糧攻めとしゃれこんだんだが、かえって逆効果だったみてえだな。雨を降らせなくしたせいで、守り神を怒らせちまった」
「坊主の妹が患ってた雨雲病だが、こいつは地上にいないと発症しない病気だ。その上、定期的に雨が降っていれば重症化することもない」
「お前の母親から伝染した。俺たちは坊主の妹……シズクの病気を利用して、スコールに決断を迫ったってわけだ」
「非人道的すぎるだろ」
「人道で世界が救えりゃ話が早えんだがな……スコールも娘のためにすんなりこの条件を飲むと当主の野郎は思ったんだろうが、それが誤算だった」
いつものように指先で煙草に火をつけた。きっと、俺が焚火をするときと同じ気持ちなんだ。
「レインもシズクも俺に残された大切な家族だ。俺はシズクの雨雲病の進行を抑えるための薬代を稼ぎつつ、決断を先延ばしにすることを選んだ。それこそ、いつか天空の竜騎士が現れて、この島を救ってくれることを願ってな」
「詳しい話はまた明日にしようや。久しぶりにダチと会ったんだ。楽しい日のまま終わりてえ」
「俺のことを友達だと言ってくれるんだな」
「ああ。てめえが馬鹿なことしねえ限り、俺はお前のダチだ。だから、お前も俺のダチでいてくれよ」
「わかっているさ」
「坊主にも伝えたことだし、俺は戻る。俺がいない間にガキ共が揉め事でも起こしたら面倒だ」
「あいつも、悪い奴じゃないんだ。どちらかと言えば悪いのは俺さ」
「なんで父さんだけが
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