第三十九話

「見えてきたぞ。あれが俺の家だ」

 ログハウスの前でこっちを見上げる人影があった。明るい金髪を後ろで束ね、力仕事で鍛えたがっしりとした体格。

「レイン!」

「ごめん、父さん」

「よく帰ってきてくれた!」

「怒らないのか?」

「怒るもんか! レインまで失うことにならなくてよかった」

「シズクは!」

「命に別状はない。少なくともまだ。だが、容体は悪化する一方だ」

「それで、何日もどこで何していたんだ」

 どこから話していいか分からないでいると、父さんはジェシーを見上げてため息を吐いた。

「遊びに行っていたわけじゃないことは分かってる。ジェシーが成体になっているからな。ドラゴンは、過酷な旅を経て成長する。見たところ服もボロボロだし、呼吸もかすれている。肋骨でも痛めたんじゃないか」

「命の花を取りに行ってたんだ」

「まさかレイン、島の地下……クジラの体内(グランドアビス)に行ったのか!」

「命の花を知ってるのか?」

 父さんは神妙な顔でうなずいた。

「ああ。その花弁には人の身体を生き返らせる特別な薬効成分があり、


「わかった。詳しい話は、中で聞こう」


「生憎今は余裕がなくてね。お茶の一杯も出せないが」

「お構いなく。詳しい話はレインさんから聞いていますから」

「それで、君たちは一体?」

「私は地上の集落で魔術師をしているユリと申します。そちらは戦士のアカネ。レインさんが地上に降りるとき、魔物から助けたと聞いています」

「事情は理解した。レインを助けてくれて感謝する。客人としてもてなすことはできないが、何か必要なものがあったら用意しよう」

「お気遣いは不要です。私は、シズクさんを診るためにここに来たのですから」


「シズクは俺の子供だ。どこの誰かもわからない人間に預けるわけにはいかない」

「今更になって何言ってんだよ、父さん!」

「お父上の言っていることはもっともです。ここでは私たちがよそ者ですから。自分の家族を自分で守ろうとするのは至極当然でしょう」

「この場は私に預けてください」

「さて、私も遠い地上からここにきて何もせず帰るわけには行かないのです。少しばかり、お話を聞いてはいただけませんか、スコールさん」

 驚いた。父さんの名前をユリに教えた覚えはない。父さんも驚いているみたいだった。

「師匠の事はご存じですね」

「大魔導士アイラン。忘れるはずがない。かつての、俺の仲間だ」

 父さんが世界中を旅してたことは警備隊のおっちゃんから聞いてたけど、ユリの師匠が仲間だったのか。

「やはりそうでしたか。たまに師匠からあなたの事を聞いていました。卓越した射撃の技術。ドラゴンと心を通わせる力。聞いていた外見も、レインさんにそっくりでした」

「彼女は、元気にしてるか」

「師匠は五年前に空の彼方へと発ちました。今はどこにいるのか分かりません」

「そうか……今では君が彼女の術を受け継いでいるわけだな」

「ええ。未熟ではありますが、半人前と認めていただきました」

「アイランは各国から魔術師が集まる魔法の国で大魔導と呼ばれていただけあって、魔術に関しては人一倍厳しかった。それ以外はからっきしだったが。そんな彼女に認められているということは、腕は確かなんだろう。だが、子供に責任を負わせるようなことは……」

 父さんの言葉を、ユリは遮った。

「ですが、師匠から受け継いだものは魔術だけではありません」

「なっ!」

 ユリがローブを捲ると、父さんは驚いたような声を上げた。

 見覚えのある黒々とした斑点。今まで、目に焼き付くほど見てきた痣だ。シズクや地上の人たちと同じ模様。シズクを散々苦しめてきた雨雲病の特徴が痛々しく浮きあがっていた。

「それは、雨雲病!」

 父さんだけじゃなく、アカネも驚いていた。今まで、ユリが咳をしたり体調を悪くしている素振りなんて一度もなかったはずだ。

 この場で涼しい顔をしていたのはユリだけだった。

「私にもあざがあります。シズクさんと同様の症状です。そこまで重症ではありませんが、患部が日に当たると強く痺れます。重症化の一歩手前と言ったところでしょうか」

 厚ぼったいローブは腕の痣を隠すためだったのか。

 懐から命の花が入ったガラス瓶を取り出した。中には怪しい虹色の液体が入っている。ユリは命の花が入った水を白いハンカチに浸して痣に押し当てた。

 水が一気に蒸発するような痛々しい音が響き、ユリの右手から白い湯気が立ち上る。

「雨雲病が薄く……?」

 ハンカチを離すと、さっきよりも雨雲病が薄くなって、元の白い肌色が薄らと垣間見える。

「これは私がひそかに開発していた薬です。症状を抑えることはできますが、根本的な解決にはなりません。唯一足りない素材は、命の花。そして、その花弁は先ほど、私たちがクジラの体内から採取しました」

「……信じられない。確か、命の花は強力な守り神が守っていたはずだ」

「この薬で雨雲病の進行を遅らせ、その間に私は必ず雨雲病の特効薬を開発します。師匠を蝕んだ雨雲病をこの世から根絶するために」

 師匠は生きてなかったか? そう聞こうとすると、アカネに肘で小突かれた。

「空気を読め、レイン。師匠には死んでもらったんだ」

 そういうことか。今はいない師匠を交渉のダシにするわけだ。確かに、この話の流れなら雨雲病に師匠を殺された弟子がせめてもの弔いとして雨雲病を根絶させようとしてると言い張れなくない。痣を見せたことと合わせて、演技の説得力は十分だ。実際、俺やアカネも驚いたからな。

 どこか凄みのある説得に、父さんは見たことないくらい神妙な顔を浮かべていた。これがユリの話術ってやつか。俺だったら全部信じてしまいそうだ。とはいえ、嘘は言ってないし、父さんならそんなことしなくても事情は察してくれそうだけどな。

 ユリがまっすぐに父さんの目を見つめて口を開くと、黒い髪と瞳が儚げに揺れた。

「どうか、シズクさんを診させていただけませんか。地上の人間は、雨雲病と密接にかかわりあって生きています。地上で何人もの患者を診てきた私なら、この島ではできない治療だってできるはずです」

 何かを叩きつける音に全員の視線が父さんに引き付けられた。

「代金は言い値で払います。家族を、シズクを救って下さい」

 父さんが人に頭を下げてるところを初めて見た。いや、父さんが家の外でどんな風に振舞っているのか俺は知らなかった。父さんが昔島の外を旅していたことも。そういう部分を父さんは俺たちに見せないようにしてきたんだ。

「お金なんかいりませんよ。どうせ地上では使えませんし。それに」

「レインさんには私の夢をかなえてもらいましたから。次は私が約束を守る番です」

 肩の荷が下りたような穏やかな笑みを浮かべた。

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