第十九話
その後はユリに言われた通り、アカネのところに防魔布を運びに行った。
俺はアカネのように強くないし、ユリのように賢くない。それでも、食べられる草の判別や薬草採取だったら役に立てる。ジェシーが飛べない今、できることを確実に。いち早くシズクのところに戻るためならなんだってやるつもりだ。
「……それで、出発はいつごろになりそうだ」
調査した場所の見取り図を矯めつ眇めつ検めつつ、アカネは背中越しに問いかけた。砂漠を歩く足取りは手慣れていて、意識して早く歩かないと追い付けない。
「ジェシーの傷がまだ治ってないからな。できれば、回復するまで待ちたい」
「なら、ユリに頼んで薬を作ってもらおう。この村では怪我をするドラゴンも多い。普段からドラゴンの治療をする機会が多いユリなら、ドラゴンの治療薬も作っているはずだ」
アカネの提案を断る理由もなく、俺たちはユリの作業部屋に足を運んだ。目的が定まり、今は計画段階。クジラの上に行くためには、ジェシーの力が必要だ。そして、ジェシーを治すためにはユリの知識が必要だった。
「……というわけで、ジェシーのけがを治すための薬を分けて欲しいんだけど」
「そうですか」
作業部屋に戻った俺たちが探索してきた場所の見取り図と採取した薬草を渡して事情を話しても、ユリは作業机に向かったままだった。クジラの上に連れていく約束をできなかったことを気にしてるのは分かるけど、目に見えて非協力的な態度を取られるとは思わなかった。
「私からも頼む。この村に雨を降らせるには、レインとジェシーの力が必要なんだ」
「……そうしたいのは山々ですが、見たところドラゴンの傷は深刻です。どのみち、手持ちの薬や薬草では治療に相当な時間がかかるでしょう」
「確か、重症のドラゴンを治療するのには膨大な魔力が必要になると言っていたな。何か知らないか」
アカネの問いかけにユリはどう答えたものかと考えるように顎に手を当てたかと思えば、机の引き出しから羊皮紙を取り出して羽ペンを走らせる。
「……ここからさらに南方に生る命の木の実には魔物の傷を癒す効果があります。手に入れることができれば薬くらいは作りますよ。命の花の解析に役立つかもしれませんし」
そう言って差し出したのは、村の周りの地図だった。手書きで書いたとは思えないほど精密で、周囲の地形や気候が正確に記載されていた。
よく見ると、村と同じ印がつけてある場所がある。ここにも命の木があるってことか。だとしたら、気がかりなことがあった。
「他に命の木は無いって言ってなかったか?」
「かつて命の木があった場所には、中の水分が染み出した泉ができます。泉の水は魔物の身体を活性化させ、残った命の木の実は魔物にとっての万能薬になる。人間にとっての命の花というわけです」
「……わかった。すぐにでも行ってくる」
「待て」
作業部屋を出ようとすると、入り口の近くで壁にもたれかかっていたアカネに手を掴まれた。
「命の木の実が生っている場所は魔物の領域と化している。凶悪な魔物が縄張りを張っていて、近づくことすら困難だ」
「だったら、アカネさんのドラゴンに乗ってクジラまでいけばいいじゃないですか。命の花を入手するだけならそこまで時間はかかりません。レインさんのドラゴンを治療するのはそのあとでも……」
「ユリ」
さっきまで作業机に突っ伏して作業していたユリがアカネの方を向いた。いや、たぶん向かされた。殺気とは違う、強い意志の篭った言葉。気づけば、俺もユリもアカネの挙動に釘付けになっていた。この場の全員の視線が集まったところで、アカネは口を開く。
「言っていいことと悪いことがある。教えなかったか」
明らかに、空気が重くなる。まるで、魔物に睨みつけられてるような居心地の悪さだ。
確かに俺にとってジェシーは大切な存在だ。そんなジェシーのことを後回しにするようなユリの発言に反応する気持ちもわかる。だけど、ユリの提案はただの一案だってこともわかるはずだ。
初めて会った時からアカネはドラゴンに対して一歩引いている節がある。大事に思っているというよりは、まるで腫れ物に触れるような。
そんなアカネに対し、ユリはいつものように面倒くさそうな顔を浮かべていた。これじゃあ埒が開かないな。
「どのみち、普通のドラゴンじゃあの高さまで休憩なしで飛ぶのは難しいからな。ジェシーの力が必要だ。そういうことだろ、アカネ」
いくらドラゴンでも、ここから雲の上まで飛ぶとなると相当な体力を消費する。人間だって平らな道はいくらでも進めるけど山道はきつい。ドラゴンも同じだ。
それでも、ジェシーなら行ける。飛ぶことに関しては、ジェシーと他のドラゴンでは比べ物にならないほどの差がある。クジラの上に行くにはジェシーじゃないとダメなんだ。
「それに、ジェシーを置いてはいけないさ」
「……そうだな。行くぞ、レイン」
アカネがため息交じりに頷いて外に出ようとすると、アカネの外套をユリが掴んだ。驚いたけど、ユリ自身も自分の行動に驚いているような顔を浮かべていた。
さっきから俺たちを引き留めるかのような態度は見せていたけど、その理由が分からなかった。何も言わずその光景を見ていると、ユリは不安そうな顔で口を開く。
「まさか、二人で行くつもりですか? 瘴気の泉は魔物の温床になっています。いくらアカネさんと言えど、危険です」
「君が言ったのだろう。薬を作るには泉の水が必要だ」
「それはそうですが……事前準備も無しに危険地帯へ向かうなんて、アカネさんらしくない」
「村の皆や母様を助けるためなら、命だって惜しくはないさ。この村から出ていこうとしている君とは違ってな」
「アカネさ……」
ユリの言葉を遮るように、木板の扉が冷たい音を立てる。作業部屋には、締め出された子供の様に佇むユリの姿だけが取り残されていた。
こっちの視線に気づくと、ユリは居心地悪そうな咳払いして口を開いた。
「……どうして、みんな自分以外のことに必死なんでしょうね。変ですよ。あなたも、アカネさんも。誰かのために自分の命を危険に晒すなんて、瘴気に正気を奪われたとしか思えません」
そう悪態をついたかと思えば、いつも通り机に突っ伏して頬杖を突き、ため息をついた。
「多分、みんな同じだと思う。だって、ユリはアカネが心配なんだろ?」
ユリは一瞬だけこっちを見つめると、すぐにそっぽを向いた。
「そんなこと……あなたに言われるとは思いませんでした」
短い付き合いだけど、俺はユリの癖に気づいていた。それは、図星を突かれた時に肯定も否定もしないこと。
ユリは自分を虐げた村人たちより、ユリのことに気を回してるアカネのことを大切に思ってるからこそ村人よりもアカネのことを大切に思っている。だからこそ、村人のために危険を冒そうとするアカネに非協力的な態度を取ったように見えた。
俺もアカネも、大切な人と一緒に居たいという根本的な思いが一致している。そして、それは師匠を探しに行こうとしているユリにも通じる部分がある。危険な場所にあるという命の木の実。そして、命なんか惜しくないと言ってそこに向かおうとするアカネの背中は、ユリの片眼鏡にどう映っただろうか。
「心配しなくても、アカネは強い。それに、砂漠の中じゃ頼りないかもしれないけど、森の中なら俺も役に立てる。知ってるだろ?」
ユリは下を向いた。まるで、首を縦に振り切れないと暗に伝えているように。信用できないのも無理はない。俺たちは出会ってまだ二、三日で、お互いの事なんか何も知らないから。だからこそ、少なくとも俺が二人の事を知ろうとする必要がある。それが、信用の一歩目と信じて。
「アカネが待ってるし、俺は行くよ。絶対に、アカネを連れて帰ってくるから」
ユリの態度もだけど、さっきのアカネの反応もどこかおかしかった。それ以前に、出会った時からアカネはやけにドラゴンに対して慎重というか、気を遣っていたような気がする。まるで、過去にドラゴンと何かあったみたいに。
それに、今のアカネはなんだか、どこか放っておけなかった。
アカネを追うように部屋の外に出ると、扉の向こうでユリが手を伸ばしていたような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます