第十八話

「……ふう、こんなもんかな」

 ユリの手伝いをすることになって二日目。今日は、ユリと一緒に命の木の根元に薬草を採りに来ていた。村に囲まれたオアシスの真ん中にできた島に生える命の木は何本もの木が捻じれて混ざり合ったような螺旋を描いていて、当然、こんな太い木は故郷でも見たことがない。初めて見た時は空を支える柱みたいだと思ったけど、その印象は一層深まった気がする。

 そんな命の木の周りには日当たりのいい森が広がっていて、キノコや薬草、山菜なんかが良く採れる。実り豊かなこの森だけは、砂漠の中だとは思えなかった。

「……さて、そろそろ戻りましょうか」

 木の根元にかがみこんで薬草を採っていると、ふと、背後から声が掛けられる。

 落ち着いた声に振り返ると、黒いローブに三角帽が特徴的な少女――ユリがバスケットを両手に佇んでいた。風に揺れる黒髪に憂いを帯びた表情は、どこか品のある佇まいと相まって童話の一ページを連想させる。

 ユリは小走りでこっちに近づくと片眼鏡を直して俺のバスケットの中身を覗き込む。不思議そうな顔をしているのはいつもの事だけど、ユリならこの辺に生えてる植物は見慣れてるはずだ。ユリが薬草を手に取って顔を上げると、村に居る時の仏頂面とはうって変わって興味深げな瞳と目が合った。

「よくこんなに見つけましたね。しかも、全部質の良い薬草です。私一人だとこれだけの量を集めるのに半日はかかってしまいます」

 そう言ってユリは薬草を手に取ってため息を吐いた。ユリが防魔布を作るときに使っていた薬草と同じだったから集めておいたけど、正解だったみたいだな。

 よく見るとユリのバスケットにも俺が集めたのと同じ薬草が入っていた。ユリは別の場所を探してたけど、あまり取れなかったみたいだな。

「一体、どうやって集めたのですか?」

「木漏れ日が差してるところを探すんだ。明るいところは植物が良く育つから」

 この辺りは日差しが強いから、日が当たる場所とそうでない場所では生える植物や植物の育ち方に大きな差ができる。知ってるのと知らないのでは効率が段違いだ。

 植物の判別ができても、実際に探すとなると慣れがいる。特に、厚手のローブと三角帽じゃ森の中の探索は辛いはず。ユリはそれくらい分かってるだろうけど、敢えてこの格好でいるのには何か理由がありそうだ。

「……逆に、キノコなんかは木の根が露出してるところに生えてるから、何か探すときは目的をもって探すと見つかりやすいんだ」

「学校で教えてもらったのですか?」

「いや、俺は森の中で暮らしてたから、植物を探すのには慣れてるんだ」

 普段から自給自足の生活をしてるから植物や動物の事には詳しいつもりだ。それに、ドラゴンライダーとしての経験から、ある程度の天気や風を読むこともできる。アカネみたいに戦えるわけじゃないけど、自然の中を探索するのは得意だった。

 ユリは意外そうな顔を浮かべていた。

「まるで森人のようですね」

「森人?」

 聞き慣れない単語を繰り返すと、ユリは納得したように頷いた。

「そういえば、クジラの上には只人しかいないのでしたね。これから他の人種と関わることもあるかもしれませんし、お話ししておいた方がいいでしょう」

 唐突に、ユリ先生の社会科授業が始まった。

 ユリの話によると、空の彼方には七個の国があって、それぞれ違った人種が独自の文化圏を作っているらしい。そして、そのうちの一つに森人と呼ばれる種族が暮らす、狩人の国という場所がある。そこには自然と共に暮らす民が生きているとか。

「……そんな彼らは、他の種族からは森人……またの名をエルフと呼ばれています。彼らは自然を尊んでいて、自らの事を自然の守り手――守り人と称しているようです」

「ってことは……俺は森人だったのか」

「……あなたには長い耳も翡翠の瞳もないじゃないですか。誰がどう見ても只人です」

 大真面目に感心すると、ユリは呆れたようにため息を吐いた。それが森人の特徴ってわけか。そう言えば、天空の竜騎士がらみの物語には度々他の種族が登場することがある。鍛冶が得意な背の低い種族だったり、動物みたいな顔と身体能力を持つ種族。物語の中だけの存在だと思ってたけど、本当にいるのかもしれないな。

 物語の中の存在に思いを馳せていると、ユリはバスケットの中身を仕分けしながら呟いた。

「私も同じですから。私にも、闇人である師匠のような魔術の才はありませんでした」

「その闇人ってのは、魔術が得意な人種なのか?」

「ええ。空の彼方には魔法の国という国があり、そこには白銀の頭髪に長い耳を携えた魔術師たちが暮らしていると言われています。師匠は魔法の国でも名の通った魔術師だったらしく、彼女の編み出した術は複雑を極めました。彼女に師事したおかげで私は魔術師として生きていけるようになりましたが、彼女が幾百年もの歳月をかけて築いた魔術の道を一歩進むごとにその背中は大きくなるばかりです」

 ユリの気持ちはよくわかる。父さんの背中はいつになっても大きかった。だけど、一つ思うことがある。

「でも、背中が大きく見えるのは近づいてる証拠だろ?」

 人のすごさって言うのは、案外分かりづらい。俺も弓を使うようになってから父さんの弓のすごさを知った。ユリと話すようになってから、その知識の幅広さや深さ、それをわかりやすく伝える力を知った。ユリの事は初めて会った時よりも尊敬してるけど、知れば知るほど近づいていく。人を知るって、そういうことだと思う。

 さっきまで薬草をいじっていたユリはこっちを見つめて不思議そうな顔をしていた。

「なんだよその反応は」

「いえ。昨日から思っていたんですが、気の利いたことを言えるのですね。意外です」

「別に気を利かせたわけじゃないけどな」

 気を遣うのは苦手だと思う。風を読めても空気を読むのは苦手だ。だから、俺の言葉はいつも本心だった。

「根が好意的で楽天的なのですね。うらやましいです」

「ほめられてる気がしないけど」

「ほめてませんからね」

 相変わらず辛辣で不愛想だけど、少しは心を開いてくれてるからだと思いたい。

「……まあ、あなたの言葉が間違っているとは思いません。私たち只人には戦う力も魔術の才能も備わっていない。だからこそ、何にだってなれる。魔術の才がない私が魔術を手に入れたように。アカネさんが戦う力を手に入れたように。何も持っていないからこそ、何かを手に入れることができる。あなたの言葉を借りるなら、可能性は無限です」

「ユリは、そう信じて師匠の背中を追ってるわけか」

「どちらかというと、闇人である師匠へのやっかみです。実際、師匠は魔術以外からっきしでしたから。身の回りの世話は私がしてたんですよ?」

 ユリは空を見上げてため息を吐いた。

「空の上には独自の環境が広がっていると聞きます。もしクジラの上に向かったのなら、今頃どうしているか気が気ではありません」

 師匠に対しては特に辛辣だけど、嫌いってわけじゃなさそうだ。もしかしたら、ユリがクジラの上に行こうとしてるのは、師匠の背中を追いかけるためだったりするんだろうか。

「それにしても不思議だよな。あんな大きな生き物が空を泳いでるなんて」

「そうですね……」

 何気ない呟きだったけど、ユリは顎に手を当てて真剣な表情で考え始める。

「ある程度以下の密度の物体は、水に入れると浮き上がります。あれは浮力があるからですが、空気にも浮力はあります。高いところを飛ぶことで大気圧や重力の影響も受けづらくなる。ただ、あれほどの重さの物体が空を飛んでいる理由は説明がつきません」

 ユリと話すことは、もっぱらクジラのことだった。昨日話していたことをアカネに伝えると、ユリが雑談するのは珍しいって言っていた。話をしている感じ、少なくともユリはリンドウと違ってただの嫌な奴ってわけではなさそうだ。まあ、俺がよそ者だから気を遣わなくて済むってのもあるだろうけど。

 俺が考えてる間も、ユリは顎に手を当ててあれこれつぶやいていた。

「……クジラの中は空洞になっていて見た目より軽いはずですが、紙や綿ならともかく、その体は鉱石でできている。浮き上がるのにどれだけの力が必要か見当もつきません」

「そういえば、クジラの周りには空気の膜があるってジェシーも言ってたな」

 ふと呟くと、ユリはまた何か考え事をし始める。

「ということは、魔力も関係していそうですね。魔力によって周辺の気圧を操り、下からの上昇気流を発生させることで浮くための力を得ていると言ったところでしょうか。鳥のように羽ばたくのではなく周囲の空気を操ることで空を飛んでいると考えれば納得できる」

「だとすれば、雲を纏えるほど低速で動いているのに落下しない理由も説明がつきます。砂漠で時折発生する竜巻の正体は、大量の砂に埋まった建物すら掘り起こすほどの力を持った上昇気流ですから。その身に纏った積乱雲は、強い上昇気流が発生している証左になり得る……」

 ユリの言っていることはなんだか難しかったけど、人知を超えた自然の力が働いていることはよくわかった。

「……すごいな。そんな魚、聞いたことがない」

「少なくとも、クジラは魚じゃないですよ。文献の情報が正しければ、魚というより私達人類に近いはずです」

 そう言ってユリは地面に木の枝で図を書いて説明し始める。

「簡単な分類ではありますが、えらで呼吸する魚に対して、クジラは私達と同様に肺で呼吸をすると言われています。それに、人類の祖先はクジラから生まれたと言われている。だとすれば、私たちとクジラが仲間というのも受け入れられない話ではないでしょう」

 命の花やクジラを研究しているだけあって、ユリは空から来た俺よりもよっぽど詳しかった。クジラの上に行きたいのは村から離れたいからだと思っていたけど、ユリ自身の知的好奇心も理由の一つのような気がした。

「それにしてもユリは物知りだな。シスターみたいだ」

「シスター?」

 博識のユリが珍しく頭に疑問符を浮かべて首をかしげた。そういえば、地上には学校や教会はないんだったか。

「普段は教会で働いてるんだけど、たまに学校に教えにきたりするんだ。いつも勉強しろってしつこいけど、聞いたら何でも教えてくれるんだ」

 そう言えば、島を出てからもう三日になる。俺がいなくなってから、シスターや村のみんな、シズクはどうしてるだろうか。

 

 故郷の話は、作業部屋に帰ってからも続いた。アカネに頼まれたからって言うのもあるけど、ユリが興味深そうに話を聞くもんだからついつい話過ぎてしまう。

 最初は目を輝かせていたけど、少しずつ寂しげなものに変わっていった。

「……お願いがあります」

「どうした?」

 ユリは何か言うのをためらっているみたいだったけど、意を決したように口を開いた。

「もし、アカネさんとクジラを目指すなら……私も一緒に連れて行ってくれませんか?」

 その瞬間、森の中を一筋の風が吹き抜けた。嘆願するように。黒く揺れる瞳が、ジェシーに乗せて欲しいと頼んできたシズクと重なって見えた。

 クジラの上に行きたいって言うユリの気持ちは本物だ。それに、ユリの知識はクジラの中に行くためにも必要だと思う。

「空は危ないんだ。強い魔物がいる。ドラゴンに乗って来たんだけど、撃ち落とされた」

 ユリは否定も肯定もできないでいる俺の言葉を黙って聞いていた。

 その言葉に嘘はない。一時の気の迷いで俺は地上に降りて、ジェシーに大けがをさせてしまった。ユリには、そうなってほしくない。

「それに、飛竜とは言ってもジェシーはまだ子供だ。乗るのはふたりが限界だ」

「……そうですか。無理を言ってすみませんでした」

「あ、ああ」

 食い下がられるかと思ったけど、意外に素直な反応だった。いや、ユリはシスターの忠告を振り切って地上に来た俺なんかよりよっぽど大人だ。最初から分かってたじゃないか。

「私は今日採れた薬草を使って薬を作るので、あなたは今朝作った防魔布をアカネさんに届けてください」

「ああ、わかった」

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