第十五話 黒髪の魔女
「……さて、到着したぞ。ここがユリの研究室兼……作業部屋だ」
アカネが立ち止ったのは、集落から少し離れた木の麓だった。太い木の下に、木でできた物置小屋のようなものが三つ並んでいる。人が住んでいると思えない広さだけど、小屋に続く道だけ草が生えず、獣道になっているのが分かる。日頃から人が通ってるってことだ。
目を引くのは、一番高い枝につるされたでっかい鳥小屋だ。何のために使うのかはさっぱりわからないけど、なんだか、そこだけ妙に人の気配がする。
一本の木とまじりあうような不思議な建物に見入っていると、アカネは勝手知ったるといった感じで小屋の扉をノックした。
「ユリ、いるか。客人を連れてきたぞ」
アカネが呼びかけても反応はない。そのまま少し時間が経っても、扉が開くどころか人の気配すら感じられなかった。
「流石に寝てるんじゃないか? こんな時間だし」
「ユリは基本的に夜型だから、それは考えにくい。おそらく何かの実験で耳栓でもしているのだろう。煙が出ていないから爆発系ではなさそうだが」
「爆発系って……普段からしょっちゅう大爆発してるのか?」
「そうでもないぞ? 多くて週一くらいだ」
「たとえ年一でも爆発したら大事件だろ」
アカネは思い出すように顎に人差し指を当てる。
「他にもドロドロ系に毒ガス系、炎上系もあったな。この間はボヤ騒ぎで大変だった」
「マジかよ、死人が出ないのが不思議なくらいだな」
常に爆発物持ち歩いてる俺が言えたことじゃないけど、ユリっていうやつはよっぽどヤバイやつなんだな。リンドウも怖がってたみたいだし。気を付けておこう。
「……実験に失敗はつきものです。結果がどうなるか知っていたら確かめる必要はありません」
「まあ確かに……」
見たことないものは物語の知識で済ませる俺にとって、実験っていうのは怪しい科学者が怪しい薬とかを作ることって認識だ。でも、よく考えたらそれは調合とかの類だな。そう納得しかけたところで、別の違和感が走る。
「誰の声だ? 今の」
さっき聞こえてきたのは、明らかにアカネとは違う落ち着いた少女の声音だった。しかも、上から。
声がした方に振り返ると、木の枝につるされた鳥小屋から怪しげな黒い人影が顔を出していた。薄暗がりで顔は見えないけど、人影の大きさからして子供くらいだろうか。
「おわ!」
鳥小屋の中に目を凝らすと、人影が急に飛び降りる。かと思えば、途中でふわっと浮き上がり、ゆっくりと扉の前に舞い降りた。一連の動作にはタネも仕掛けも見えなかった。まるで、魔術でも使ってるみたいに。
呆然としている俺と違って、アカネは慣れているみたいだった。
「紹介しよう。彼女が例の魔術師だ」
現れたのは、アカネより頭一つ分小さい少女だった。年はシズクと同じくらいか、少し下に見える。目を引くのはつばの広い三角帽の下から流れる黒い髪と知性的な黒い瞳。右目には片眼鏡。子供の頃に絵本で見た魔術師そっくりの風貌だ。
少女は黒い手袋に包まれた両手で埃を払い、口を開いた。
「……いらっしゃい。今日は何の用ですか、アカネさん」
「例の件で少し大事な話があってな。取り込み中だったか?」
「仮眠していました。連日徹夜だったので」
「起こしてすまないな。どうだ、最近は」
「人工的に命の花を栽培する方法を模索しているのですが、やはり進展はないですね。せめてクジラの謎が解明できれば……」
そこまで言って、気が付いたように片眼鏡を直してこっちに視線を向ける。
「あなたは初めてお会いしますね。この村の人間ではないようですが」
「紹介が遅れたな。こちらはレイン。クジラの上から来た竜騎士だ」
「それは興味深い。ぜひともお話をお聞きしたいですね」
アカネの紹介に、少女は視線をこっちに向ける。片眼鏡越しに黒い瞳で見つめられると、心の内を読まれているみたいで落ち着かなかった。
困惑していると、少女は芝居がかった動作で咳払いした。
「失礼、自己紹介が遅れました。私は魔術師のユリと申します」
そう言ってユリと名乗る少女は帽子を取り、ローブの裾を摘んで恭しく一礼する。第一印象とは打って変わって丁寧できれいな所作からは、話に聞いていたような人間だとは思えない。
「ああ、よろしくな」
「……」
手を差し出すと、ユリは戸惑ったような、驚いたような顔を浮かべてこちらを見つめていた。まるで人形みたいだ。なんて言ったら失礼か。
「……どうした?」
「どうしたはこっちのセリフです。魔術師が怖くないんですか?」
「……よくわからないけど、君が悪人には見えないさ」
怖くないのかって言われても、こんな小さな女の子をどうやって怖がればいいんだ。なんて言ったら怒られそうだったから口にしないけど。魔術師なんて空想上の存在だと思ってたから、むしろ会えてうれしいくらいだ。
ユリは不思議そうな顔を浮かべて首を傾げた。
「おかしな人ですね。砂漠の瘴気にやられたんですか?」
「……だってさ」
アカネの真似して言ってみただけなんだけど、予想外の毒舌が飛んできたな。そんなにおかしなことを言っただろうか。言外にそうアカネの方を見ると、嫌そうに顔をしかめた。
「こっちを見るのはやめろ。ユリだっていきなりで困惑してるんだ」
「これが天空の竜騎士なんですか? 全然見えませんけど」
「これっていうなよ。それに、天空の竜騎士なんて名乗った覚えはない」
失礼な言葉が飛び交ってることに気づいたアカネとユリは同じタイミングで咳払いした。
「まあいいでしょう。立ち話もなんですし、お入りください」
そう言って、ユリはローブを翻して踵を返す。結局、最後まで手を取ってもらえなかった。
小屋の扉が開くと、まるで深淵を覗き込んでるような真っ暗な空間が広がっていた。見たところ窓一つなく、明かりもついてないみたいだ。吸い込まれそうな暗闇に、思わず尻込みしているとユリは「これは失礼しました」と咳払いした。
「ここに来るのはアカネさんしかいなかったので忘れてました。今灯りをつけますので」
ユリが軽く指を鳴らすと、数センチ先も見えない暗闇に灯りが灯る。浮かび上がった木製のテーブルには金属製の高価そうな燭台が備え付けられていて、その上で蝋燭の火が揺れていた。
火をつけた様子もなければ、部屋に入ったわけでもない。それなのに、手の届かない位置にある燭台に火が付いた。これが魔術ってやつだろうか。何にせよ、一々典雅な所作だった。
「そういえば、アカネは真っ暗でも見えるのか?」
ユリの口ぶりだと、二人の時は明かりが要らないみたいだった。アカネの方を見ると、「当然だ」と肩をすくめる。
「見えなければ話にならないだろう。夜分に魔物に襲われたらどうするつもりだ」
「いや、どうしようもないだろ普通」
アカネは最早人間じゃないから考えないとして、ユリは特別鍛えてる感じはしない。魔術で何でも見えるとかだろうか。
「何もおもてなしはできませんが、お入りください。お茶くらいは出しますよ」
そう言って、ユリは小屋の中に消えていった。
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