第十四話 天空の竜騎士
『……レイン、起きて』
結局、十分に眠れずにジェシーの声で目が覚めた。床に触れてるところが氷みたいに冷たく痺れて、動かすたびに痛みが走る。こういう時は、ジェシーの羽毛がうらやましいな。
「どうした、ジェシー。おなかがすいたのか?」
いつもなら俺を起こす理由なんて腹が減ったときくらいだけど、ジェシーは部屋の隅っこで首を振る。しばらく目を閉じて床に耳を澄ましていたかと思えば、急に眼を開けて体を起こした。蹲ってたからわからなかったけど、ジェシーの体はこの牢には手狭だな。
「何か、あったのか」
『うん。誰かが、こっちに来る』
確かに、誰かが階段を下りてくる音がする。
外がどうなってるかはわからないけど、感覚的にはまだ深夜。夜明け直前ってところか。
確か、ジェシーを連れ出そうとするやつがいるってアカネが言ってたはずだ。だとしたら、俺はジェシーを守れるだろうか。
『大丈夫? レイン』
「大丈夫だ。ジェシーは、俺が守る」
煩いほどに心臓が高鳴っていく。思い出すのは、地上に降りた時の事。あの時はアカネが助けてくれたけど、俺たちは今、袋小路。こんな深夜に誰かが入ってきても助けなんか来るわけない。薄暗がりの中、だんだん大きくなっていく足音と心臓の音が合わさって吐きそうになる。
階段を下りる音が止み、角灯の灯りと共に見慣れた人影が現れた。角灯の火よりも紅い髪に赤い瞳を見間違うはずがない。薄暗がりで表情はよく読めないけど、どこか不機嫌そうなのは相変わらずだった。
「驚かすなよ、アカネ」
「そんなに警戒してくれるな。獲って食ったりはしないと言っただろう。それよりも、牢の生活には慣れたか」
「ぼちぼちだな」
一人だったら、良くないことを考えてしまうかもしれない。でも、ジェシーがいるから大丈夫だと思える。ただ、心配なのはシズクだった。今この瞬間も、シズクは雨雲病で苦しんでるはずだ。いつまでもこんなところにはいられない。
「それで、俺たちはいつになったら出られるんだ」
どのみち、アカネもずっとこんなところに放っておくつもりもないはずだ。ただでさえ人手も食料も足りない村だ。一人の人間をずっと監禁しておく余裕はないはず。そう思って問いかけると、アカネは牢の扉に体を預けてため息を吐いた。
「悪事を働いたわけではないからな。今のところは得体の知れないよそ者という扱いだ。ただ、私以外の人間がいるところで命の花の話をしない方がいい」
口ぶりから察するに、すぐに俺たちをどうこうするつもりはなさそうだ。それにしても、灯りもつけずにこんな時間に、一体何を。聞きたいことはたくさんあるけど、聞きたいのはもっと根本的なことだった。
「そういえば、どうして俺はいきなり縛られたんだよ」
「命の花は、私たちにとって大切な物なんだ。他所者が下手にその名前を出すと、命の花を狙ってやってきたと思われかねない」
「アカネもそう思ったのか?」
だとしたら、捕らえて連れていくなんて回りくどいことはせずにその場で切り捨てた方が早いはずだ。いや、そうなったら俺の冒険はここで終わりだったけど。
「簡単な話、君からは悪意を感じない。捕らえられても暴れたりせずに冷静でいられるところを見るに、肝も据わっている。流石は天空の竜騎士だな」
天空の竜騎士……確か、かつて世界を救ったと言われる英雄だったか。
大層な言われようだけど、じっとしていたのは何が起こってるか分からなかったからだ。気づいたら牢屋の中で、暴れる暇もなかったからな。
「ただ、君が下手なことを口走らないとは限らない。特に、命の花を探しに来たという発言はこの村では禁句でな。他の人間に聞かれたら直ちに罪人扱いだ。処刑されてもおかしくない」
つまり、俺が下手なことを言う前にアカネの裁量で捕まえておいたってことか。牢屋の中がいくら窮屈でも、殺されるよりはマシだ。とはいえ、命の花を探しに行けないなら俺にとっては同じだ。
「それで、どうしてここに? 解放しに来たってわけじゃないんだろ?」
純粋な疑問に、アカネは不思議そうな顔を浮かべ、「解放しに来たんだが」と告げた。
「は? なんで?」
「解放してほしくないのか?」
解放してくれるならしてほしいけど、そんなあっさり解放してくれるとは思わなかっただけに、どこか拍子抜けだ。状況がつかめないでいると、アカネは面倒くさそうにため息を吐いた。
「君に会わせたい者がいるんだ」
「会わせたい人?」
「命の花を研究している研究者だ。君のことを話したら、直接話を聞きたいからすぐにでも解放して連れてこいと言ってきかないものでな。全く、人使いの粗い奴だ」
命の花に詳しい人間がいるなら、好都合だった。今のところ、俺は命の花がどんな花なのかも知らない状態だ。命の花について何か聞けるかもしれない。もしかしたら、シズクの治療法だって。
アカネは懐から鍵を取り出して牢の鍵穴に差し込んだ。
「解放するから、少し待ってくれ」
「どうしてそこまでするんだよ。勝手に開放していいのか?」
「私の母上も、病気なんだ。今は藁にも縋りたい」
アカネはそう言って俯いた。
俺と同じだ。俺も小さい望みに賭けてクジラから飛び降りた。どこか愁いを帯びたアカネの表情は、俺を捕らえようとしたときの表情と重なって見えた。悟られないようにしてるんだろうけど、言葉を選んでいる時の顔を隠しきれていない。
鍵穴が軽い音を立て、牢屋の扉が重々しい音と共に開き始める。
「……ほら、早く出るぞ。誰にも気づかれんうちにな」
牢から出ると、不思議と心が軽くなったような気がする。囚われてるってだけで、なんだか息苦しい。やっぱり、俺は自由に空を飛び回るのが性に合ってるんだ。
早朝だからか、外にはだれもいない。来るときも思ったけど、立ってるだけで底冷えするほどの寂しさが村中に満ちてるみたいだ。
「それで、会わせたい人って誰なんだ?」
「会わせたい人というのはいささか誤解を生む表現だったな。君に会いたがっているという方が適切だろうか。まあ、とにかく会えばわかる」
会いたがってるって言っても、俺に知り合いはいない。俺にっていうより、クジラの上から来たっていうよそ者に会いたいってわけか。
一人納得していると、ふと、背後から男の声が響く。
「……おう、アカネじゃねえか。こんな時間に何をこそこそしてんだよ」
豪快な声に振り返ると、他の村人よりも立派な毛皮の上着を羽織った大柄な男が立っていた。早朝の暗がりの中でよく目立つ逆立った紅い髪に、自信に満ちた表情。筋骨隆々の体に、右手には槍と斧を組み合わせたような武器。なんだか、見るからに強そうだ。雰囲気といい、髪色といい、どことなくアカネに似てるような気がする。髪色や瞳の色はこの村の人間の特徴なんだろうか。
「……なあ、もしかして、こいつが会わせたい人か?」
小声でアカネに聞くと、アカネはめんどくさそうに赤い髪を揺らした。絡まれたら面倒な奴ってことか。男はこっちを見て豪快に笑った。
「この細っちい奴が例の竜騎士か? 一発殴ったら死にそうだぜ?」
細っちくて悪かったな。軽い方がドラゴンに乗るときに有利なんだよ。なんて言ってもややこしくなりそうだから言わないけど。なんというか、ほんとに嫌な奴。
「ああ。ユリが実験したいらしくてな」
アカネが顔色一つ変えずに答えると、男は槍を足元に突き刺して鼓膜が破れそうなほどの大声で笑った。
「そりゃ大変なこった。あの頭がイカれた魔術師に目えつけられたら何されるか分かんねえぞ」
「……頭がイカれた魔術師?」
不穏な単語を復唱すると、アカネは気まずそうな顔を浮かべて赤い目を背ける。
「ああ。他の集落に人間がいると知ったらよだれを流していた。今すぐにでも連れて来いとな」
「人体実験か、それとも拷問か? 終わったら一部始終を聞かせてくれや」
「ああ。酒でも用意しておくといい」
アカネが面倒くさそうにあしらうと、男は上機嫌そうに暗がりへ消えていった。なんというか嵐みたいな奴だったな。居心地の悪い空気が消えてほっとする反面、気になることがあった。
「な、なあ。さっきの話は本当なのか? 拷問がなんとかって……」
浮島同士を結ぶ橋に向かって歩き出す。古くなった木が軋む音が響き始めると、アカネはいつものようにこっちを向かずに答えた。
「奴はリンドウといって、この里の力自慢だ。過激な話に目がなくてな。特に人の不幸はいい肴だ。君のことを疑っていたようだが、ああ言っておけば大丈夫だろう」
村の様子を見てると、なんだか温もりがないっていうか、どこかよそよそしく感じる。特に、リンドウってやつは相当の曲者だ。なまじ力が強いから何をしても許されると思ってそうなタイプ。愚かな者が力を持つと周りを不幸にするってシスターは言ってたけど、こういうことか。
「なんだか、嫌な奴だな」
「ああ。この村で一番の嫌われ者だ」
そこまで言ってアカネは立ち止り、天を仰いだ。橋のきしむ音が止み、真っ赤な髪が儚げに揺れる。その横顔は薄暗がりでよく見えないけど、どこか救いを求めてるみたいだった。
「一番の嫌われ者で、一番の力自慢で……たった一人の、私の兄者だ」
髪色とか雰囲気が似てると思ったけど、兄妹だったのか。だとしたら、悪いことを言ったな。
「ごめん」
「謝る必要はない。実際、どうしようもない奴だ」
アカネはこっちを向いて苦笑した。気にするなと言ってることは分かる。ただ、アカネが笑うのは珍しい。どちらかというと、無理に笑ってるように見えた。
「後継ぎの奴が何もしないから、私だけでも村のためにできることは何でもやると決めたんだ」
村の周りを探索したり、厄介事を解決したり。アカネは良く働いている。
「でも、それはもともとあいつの仕事なんだろ? 怒ったりしないのか?」
アカネは「もう今更だ」と言って歩き出す。
「別に兄者が嫌いなわけではないが、進んで一緒にいようとも思わない。そんな普通の兄妹だ」
それが、普通なのか。少なくとも、アカネにとっては。
人の縁。場所の縁。時の縁。そして、家族の縁。縁ってやつは切っても切れないんだ。たとえ、何でも斬れるアカネにも。こんな小さな村だ。兄妹っていうだけで、関わらないようにするのにも限界がある。アカネのために俺に何かできることはないだろうか。
「……心配しなくとも、君たちの身に危険が及ぶことはさせないさ。私がいる限りな」
アカネの言葉は心強いけど、一歩間違っていたら今頃罪人扱いでアカネに斬られていてもおかしくはなかったことを考えたらおっかなくもあった。
「でも、なんでリンドウはこんな時間に?」
「おそらく、三日後の竜騎士祭のために何か企んでいるのだろう。こんな時間に何かをするのは私達と同様、人に知られたくないことをするためだ」
「奴も竜騎士だが、私からすれば二流もいいところだ。ただの力自慢で、試合に負けるとすぐにドラゴンのせいにする。奴のせいで試合ができなくなったドラゴンは片手で数えきれないほどだ。君の相棒が見つかったら何をしてでも手に入れようとするかもしれん。注意しておけ」
「……ちょっと待ってくれ。なんだよ、試合って」
他にも重要なことを言っていた気がするけど、一番気になったのは試合という部分だ。ドラゴンで試合? 一体どういうことだ。
「お互いがドラゴンに乗って戦うんだが、君の故郷では試合をしないのか?」
「ああ。一応、ドラゴンの速さを決めるレースがあるけど、ドラゴン同士で戦わせるなんてことはしない。戦う必要なんてなかったから」
「そうか。良い所なんだな、きっと」
どこか遠くを、クジラが悠々と泳いでいる方を見ているようだった。今頃、島のみんなはのどかに暮らしているはずだ。当然、魔物なんかいないし、息だって自由に吸える。少し探せばいくらでも食べれるものが取れる肥沃な大地が広がっている。確かに、地上と比べたらよっぽどいいところだと思う。
「ああ。いつか連れて行くよ」
「楽しみにしておこう」
そう言って困ったように笑った。
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