第七話 命の花


 幾つか祭りの屋台を回ったけど、当然というべきか、コショウを売ってる店なんて見つからなかった。それどころか、出店を回るたびにジェシーに甘い物をねだられてレースの賞金がどんどんなくなっていく。それなのにジェシーは素知らぬ顔でりんご飴の屋台に行こうだなんて言い出すから困ったもんだ。

「……もう甘い物は買わないからな」

『分かってるって。りんご飴を売ってるくらいだから、普段は青果店をやってるはずだ。コショウくらいあってもおかしくない』

「本当かよ」

 ジェシーの言う通り、りんご飴の屋台をやってるおっちゃんは普段は八百屋をやっていて、香辛料なんかも扱っていたのを覚えてる。とはいえ、今日は島中のみんなが会場に集まってる。そんなときにコショウなんて需要無さそうだけど。

 半信半疑で屋台に向かうと、ごつい体に禿頭が特徴的な店主のおっちゃんはこっちに向かって豪快な笑みを浮かべる。

「今日の主役じゃねえか。今日はジェシーも一緒か」

「急ぎだったからな。コショウとか余ってないか?」

「ここはりんご飴の屋台だぜ? おいてるわけねえだろうが」

「だよなあ」

 この分じゃ獲って来た鳥肉はどっちも保存食か。

「……と言いてえところだが、商売人ってのはいついかなる時でも備えは怠らねえもんだ。今日は祭りだから、当然料理の屋台も多い。坊主みてえに急にコショウが必要になるやつがいるだろうってことで、一瓶だけ用意してある」

「本当か! ちょっと分けてくれよ!」

「あいよ。優勝記念に、銀貨一枚に負けてやる」

「負けてやるって、そこはサービスしてくれよ」

 とはいえ、コショウは貴重品で、一瓶なら銀貨二枚くらいになる。銀貨一枚でも庶民にとっては数日分の生活費になるけど、今日は偶然偶々レースに優勝してるんだった。今までのレースの賞金を使えば半年分の薬代にはなるけど、父さんやシズクは俺のために使ってくれって言って聞かないからな。結局、レースの賞金は家の金庫に全部しまってある。

 懐には銀貨が数枚あるものの、残りは全部銅貨か。ジェシーのせいで、レースの賞金はもう半分も残ってないな。

「銅貨十五枚でいいか?」

「両替の手数料は負けておく。銅貨十枚で構わねえ」

「助かるよ」

 八百屋のおっちゃんに限らず、街のみんなは親切だ。親切にされて育ったから、他の人間に親切になれる。知り合いのシスターの言葉だけど、この島の事をわかりやすく表してるように思う。

 ジェシーに飛び乗って帰ろうとすると、ふと、おっちゃんに呼び止められる。

「……そういえば、島の外には何でも治す薬があるらしいぜ」

「なんでも治す薬?」

「ああ。なんでも、この島にはない材料で作られるっていう万能薬は、どんな病気もたちどころに直しちまうらしい。シスターが詳しいらしいから、あとで教会によってみるといい」

 この島にない材料で、か。生憎、空の真ん中に浮かぶこの島の外には無限の空が広がっていることを俺は知っている。だけど、いつもみたいなほら話ってわけでもなさそうだ。おっちゃんの言う通り、シスターなら詳しいことを知ってるかもしれないな。

「ありがとな、おっちゃん。このリンゴも一袋買ってくよ」

「毎度!」

 結局、少し多めの金額を渡し、ジェシーに飛び乗った。半分は話の礼だけど、もう半分はジェシーの昼飯だ。定期的に甘い物を食べさせないとうるさいからな。

 次の行き先を指すと、ジェシーは風が起こらないように高く跳び上がってから羽ばたいた。

 レースの会場からさらに数分行くと、一際立派な建物が見えてくる。島の真ん中にある教会は今では形式だけになり、もっぱら子供に勉強を教える施設――学校になっているらしい。そこでは昔の生徒がシスターとして、十歳前後の子供たちに勉強を教えている。教会の目の前に降りると、ベンチに座って本を読んでいる一人のシスターと目が合った。

「久しぶりだな、シスター」

「……おや、あなたがここに来るなんて珍しいですね」

 こっちに気づくと、シスターは丸縁の眼鏡を直して返事した。

 この島じゃ珍しい黒い髪に黒い瞳。俺が小さい頃からシスターとして働いてるのに、あの頃から全く変わってないな。いくつなのか気になるけど、それは聞いたら失礼だって教えてくれたのもシスターだったっけ。

 教会には若いシスターが何人かいるけど、いつも分厚い本を手に持った黒髪のシスターは聞いたら何でも教えてくれる。最近はあまり顔を出してなかったけど、覚えていてくれたみたいで少し安心した。

 シスターは相変わらず落ち着いた仕草で口を開いた。

「ようやく学問に興味を持ったのですか?」

 シスターはいつも俺に勉強をさせたがる。勉強が大事だってことは分かるけど、何時間も椅子に座っているのが性に合わなかった。それよりも。

「俺はジェシーと飛び回る方が性に合ってるよ。いつか世界一のドラゴンライダーになるんだ」

「世界一のドラゴンライダーが読み書きもできないとなっては笑いものですよ?」

「いいだろ。別に簡単な計算や読み書きくらいはできるし」

 シスターは丸い眼鏡を直してため息を吐いた。

「大層な肩書に見合う人間になりなさいと言っているのです。愚かで自己中心的な人間が力を持つと、周りの人間が不幸になります。まあ、あなたがそうなるとは思いませんが」

 いつもシスターは大事なことを教えてくれる。幼い頃に母親を亡くした俺にとって、第二の母親のような存在だ。なんて、直接は言えないけどな。

「気を付けるよ」

 世界一のドラゴンライダーを目指すからには、他のドラゴンライダーに認められるようになりたい。それに、シズクやジェシーを不幸にしたくはなかった。

 シスターはそれでよろしいとばかりに頷いた。

「それで、今日は何の用ですか」

「勉強に来たって言いたいところだけど、今日は急ぎの用があるんだ」

「勉強より大事なことですか?」

 冗談半分だってことは分かってる。だけど、半分は本気だってことも。普段から学校で勉強を教えているだけあって、シスターは勉強をすごく大事に考えている。だけど、勉強より大事なことがあるということを教えてくれたのもシスターだ。だからこそ冗談半分、本気半分だ。

「シズクの病気を治すために、必要なことなんだ」

「そうですか。私にできることならなんでも言ってください」

「なんでも治す薬について、教えてくれ」

「……何でも治す薬、ですか」

 シスターは神妙な顔を浮かべて繰り返す。突飛なことを言ってるのは分かってる。だけど、シズクの病気を治す手がかりがあるのなら、知っておきたいと思ったんだ。

 俺が本気だと分かったのか、シスターは神妙な顔のまま呆れたようにため息を吐いた。

「仕事に私情は挟みません。ですが、あなたは何事においても先走り気味な傾向があります。これから私がする話はただのおとぎ話として聞いてください」

 どんなことを聞いてもはぐらかさずに教えてくれるのは、シスターのいいところだ。シスターは学校の中に入っていったかと思えば、年季の入った分厚い写本を持って戻ってくる。

「命の花のお話です」

「命の花?」

「ええ、どんな病であろうとたちどころに癒すと言われる魔法の薬。命の薬の材料です。御伽噺の一節にはこうあります。黄金の大地の中心に湧き出る泉の畔には無から命を生み出す大木がそびえ、その天辺に咲く花が落つる時、世界に命が宿るという」

「なんだか難しいな」

「要約すると、世界のどこかに聳える巨木に咲く花には万病を癒す力があるということです」

「なるほどな」

 万病を癒す花……さしずめ、命の花ってところか。長いこと森の中に住んでるけど、そんな花見たことがない。まあ、御伽噺の中の花なんだから当然と言えば当然だ。気になるのは、

「それは、雨雲病も治せるのか?」

 ということだった。たとえ御伽噺だとしても、そこには由来があったり、真実が隠されていたりする。俺が小さい頃、シスターが言っていたことだ。だからこそ、御伽噺は語り継がれる。大事なことが人々の記憶の中で風化していかないように。

 純粋な疑問に、シスターは首を横に振る。

「さあ。命の花が実在するのかも不確かですから。少なくとも、この島にはないでしょうね」

「じゃあ、島の外にはあるってことか?」

「簡単に言いますが、あなたはこの世界の外がどうなっているか知っているのですか?」

「……空があるだけじゃないのか?」

 一度だけ島の端っこに行って、外の景色を見たことがある。島の外にはただ空が広がっていて、足元には底の見えない雲の海。どこを見渡してもそんな景色が広がってるもんだから、つまらなくなって帰って来たのを覚えてる。昔は空の向こうにあるっていう知らない国の話に心を寄せていたけど、今ならわかる。この島の外には、無限の空が広がっている。そんな誰も疑わない常識にシスターは首を横に振った。

「では、渡り鳥はどこから渡ってくると思いますか? 彼らはこの島で孵ったわけではありません。あなたが乗っているドラゴンだって、他の場所からやって来たと聞いています」

 そんなこと考えたことなかったけど、全部が全部この島で完結してるわけじゃないはずだ。風は、雲は、鳥は、ドラゴンは。一番身近に触れてきたのに、それらがどこから来たかなんて、考えたこともなかった。目から鱗ってやつだ。確かに、考えてみれば不自然だ。鳥は空からやってくる。なら、どこで孵って、どこへ行こうとしているんだろう。

 その疑問に応えるようにシスターは口を開いた。

「私たちが住んでいる島の正体は、クジラという名前の大きな生き物だと言われています」

「クジラ?」

 聞いたことがない生き物だ。空を飛んでるってことは、鳥やドラゴンの仲間だろうか。ピンとこないでいると、シスターは人差し指で絵を書くようにして説明し始める。

「クジラは空を泳ぐ魚のような姿をしていて、私たちはその背中に暮らしている。そして、クジラの纏う雲の真下には私たちの島とは比べ物にならないほど広大な世界が広がっていると言われています」

「待ってくれ。確か、この島は端から端までジェシーに乗っても結構かかるぞ」

「それだけ大きい生き物なんです。人の足なら、端から端まで行くのに一か月はかかります」

 潮吹き山の直径が約十キロ。当然、この島は潮吹き山の何十倍もでかい。そんな広大な世界が生き物だなんて、突飛な話過ぎて想像もつかなかった。そして、世界ってやつはそのさらに何倍も広いのか。

「世界がどうなっているのかを直接見た人間はこの町にはいません。あなたの言った通り、誰も帰ってこないからです。今では、この島の外に出ることは禁忌とされています」

 誰も島の外の話をしないのは、禁忌だからってことか。でも、それだけ広いなら、この島にいたら出会えない危険なんかもあるはずだ。そして、命の花だって。

「命の花があれば、どんな病気も治るんだな」

「言ったでしょう。おとぎ話にすぎないと。私は聖職者であって医者ではないので」

「妹さんのことは私も聞いています。あなたにしかわからない焦りもあるでしょう。ですが、今あなたにできることは、妹さんのそばにいることです。それが一番でしょう。あなたにとっても、妹さんにとっても」

 シスターは、いつだって正しい。少なくとも、今まで一度も間違ったことは言わなかっった。今の俺がするべきことは、シズクのそばにいることだ。そんなことは分かってる。

 だけど、そんな御伽噺にも縋りたい。シズクはもう長くないんだ。このままだと、シズクとの約束を果たせなくなる。

「ありがとう、シスター。今度は勉強しに来るよ」

 シスターはひらりと手を振った。

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