第六話 鳥肉の香草焼

「……ふう、こんなもんかな」

 シズクを家に送り届けた俺は、家の周りの森で薬草を探していた。

 誰もいない森の中で暮らすようになってから数年。こうやって昼食の材料や薬を作るための薬草を取るのが日課になっていた。

 額の汗をぬぐってため息を吐くと、一仕事が終えた達成感に包まれたような気分だ。野草が入ったバスケットはずっしりと重い。少し取りすぎな気もするけど、この辺りは植物がよく育つ。どれだけ採っても数日で生えてくるから問題はない。

 この森は果物や野草が豊富で、ところどころに湧水の泉がある。少し奥の方にはウサギやイノシシなんかの獣もいて、三人で暮らすには十分だった。

『……レイン』

 ふと、頭の中で響く声に顔を上げると、ジェシーが俺の瞳を覗き込んでいた。純白の羽毛に包まれた大きな体に、空を覆い隠すほどに立派な翼。鋭く端正な顔つき。空のように透き通った碧い瞳。伝説の生き物である飛竜の子供だ。嵐の日に出会ってから十年。今では島で一番速いドラゴンになった。

 ジェシーの姿に見とれてると、ジェシーは大空を見上げて身震いした。

『獲物だよ』

 端的なジェシーの言葉に空を見上げると、木々の合間から、うっすらと鳥が羽ばたいているのが目に入る。

「……よし、今日は鳥肉の香草焼きだな」

 いつもはシズクに言われて街まで買いに行くけど、自分で獲ったほうが何倍も美味い。それは獲りたてだからか、自分で獲ったからか。多分両方だ。

「行くぞ、ジェシー。高く飛べ!」

 背中に手を掛け、一気に飛び乗った。がっしりとした背中から感じる確かな浮遊感。ジェシーが羽ばたくのと同時。木の葉を散らして舞い上がると、頭上いっぱいに青い空が広がった。

 鳥の群れと同じ高さまで飛んでも、鳥は構わず飛んでいる。気付いてないのか、それとも仲間だと思ってるのかもしれない。鳥っていうのは、自由だから。

 小さい頃、鳥になりたいと思っていた。鳥になれば、どこへだって飛んでいける。大空を羽ばたく自由な姿にあこがれてたんだ。でも、今ではそんなことは思わない。ジェシーと一緒なら、頭上を飛ぶ渡り鳥のようにどこへだって飛んでいけるから。

 一際力強く羽ばたく鳥の背中に迫っていく。はるか遠くで羽ばたいていた渡り鳥が、今では弓が届く距離にいる。まだ、気づいている様子はない。当然だ。人間が空を飛べるはずがない。この空は鳥たちの領域だ。

 思い切り弓を引き絞り、無警戒な背中に狙いを定めて放った。

§

「……さて、今日はたくさん獲れたな」

 結局、たくさん飛んでいた渡り鳥の中から二羽だけ獲って来た。一羽は今日食べる分で、一羽は保存食。すぐに生えてくる野草と違って、この大きさの渡り鳥なら育つのに相当な時間がかかる。自然に生きてるんだから、自然を大事にする。父さんから教わったことは今でも大事に思っている。

 鬱蒼とした森の中は薄暗くて足元も見えないくらいだけど、不思議と恐怖心はなかった。ジェシーと出会ってから、獣に襲われる心配がなくなったからだろうか。

「どうした?」

 考えていると、ふと、ジェシーが不満そうにこっちを見ていることに気づく。ドラゴンの表情は人間ほどいろんな種類があるわけではないけど、小さい頃から十年近く一緒にいればなんとなくわかる。これは腹が減ってるときの顔だ。

『ねえ、ボクの分は?』

 案の定、甘い物の催促か。さっきあんなにりんご飴を食べてたのに、もう腹が減ったのか。

「ちょっと待ってろ。すぐに取りに行くから。ジェシーの好き嫌いにも困ったもんだ」

 ジェシーは好き嫌いが激しく、森で採れる野草や獣はあまり食べたがらない。せいぜい木の実くらいだけど、ジェシーが満足できるくらいの量となれば集めるのに丸一日はかかる。当然、ジェシーの食事は街の方へ買いに行く必要がある。

「その前に、ちょっと帰ろう。シズクの様子を見ておかないと」

 シズクにとって陽の光は毒だ。日傘を差していても、後になって体調が悪くなることもある。

 木漏れ日の差す獣道を進んで現れたのは、丸太を組み合わせたログハウス。庭には切り株の椅子と焚火の跡。たまに父さんが帰ってくると、ここで肉を焼きながら話したりする。十年もこの家に住んでいれば、その分思い出もたくさんだ。

 ログハウスの中に入ると、シズクはキッチンで夕食の仕込みをしていた。

 庭で採れた野菜を切っていく手つきはどこか手慣れていて、小気味良いリズムを聞いているとなんだか夕食が楽しみになってくる。

 いつもなら座って待ってるけど、今日は見せたいものがあるんだった。

「シズク、ちょっと見てくれよ」

「なんですか?」

 不思議そうに振り返るシズクに獲物を掲げて見せると、花開くような笑顔が返る。

「獲って来たんですか? すごいです!」

 俺はヒマワリみたいに明るいシズクが好きだった。シズクの笑顔のためなら、何だってできる。何にせよ、シズクが元気そうで安心した。

「兄さんは狩りの天才ですね」

「ジェシーのおかげさ。父さんみたいに地上から鳥を射抜いたりはできないし」

「いつか、私も乗ってみたいです」

「外を歩けるようになったら、どこにだって連れていくよ」

 雨雲病と戦っているからこそ、せめて笑顔を曇らせることはしたくない。もし外の世界に連れて行ったらどんな顔をするだろう。話している間にも、シズクは手際よく持ち帰った食材を検め始める。

「……兄さんの大好きな香草焼きにしたいところですが、コショウを切らしてしまいました」

「それは困ったな。今日は祭りだから、商店街は空いてない」

「他の料理にしますか?」

「……いや、出店では料理も売ってるし、誰か余らせてるかもしれない。一応心当たりのあるところに聞いてみるよ」

「ありがとうございます。気を付けてくださいね」

 急いで支度して家を出ると、ジェシーは家の前で呑気に日光浴していた。白い羽毛に包まれた体は太陽の光を反射して暖かくなっていて、小鳥なんかがよく背中に止まっている。どんな時でも無駄に神秘的な俺の相棒がこっちに気づいて体を震わせると、背中の小鳥たちが蜘蛛の子を散らすように飛んでいった。

「ジェシー、また潮吹き山まで頼めるか?」

『りんご飴を買いに行くの?』

「違う。コショウを買いに行くんだ」

『うええ、あの辛いやつ?』

 どこか寝ぼけてる様子のジェシーに行き先を伝えると、ジェシーは露骨に顔をしかめた。ジェシーは昔、砂糖と間違えてコショウの瓶を口に入れて咳が止まらなくなったことがある。あの日以来ジェシーは勝手につまみ食いすることがなくなった。

 俺にとっては笑い話だけど、ジェシーからしたらたまったもんじゃないだろうな。

「心配しなくてもジェシーの分じゃないさ。甘い物も買ってやるから、頼むよ」

『まったく、しょうがないなあ』

 面倒くさそうに姿勢を低くするジェシーにまたがって潮吹き山の方に指を差すと、ジェシーは大きく羽ばたいた。

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