第三話 ドラゴンレース、開幕!

「……見えてきたな」

 森から二、三分飛ぶと、レースの会場になっている大きな岩山が見えてくる。自然を大事にするという考えから土地を使ってコースを作るなんてことはなく、レースはもっぱら山の周りを周ることになる。特に、今回は一年に一度のレース。島の真ん中に聳える活火山、潮吹き山での開催だ。たくさんの観客が集まっているのはいつも通りだけど、気になることがあった。

「なんだか慌ただしいな」

『かき入れ時らしいね。なんでも、今日のレースを見るために大勢集まってるって』

 この時期になると、潮吹き山の周りには荷物の荷台を首や体から提げた大型のドラゴンが飛び回る。それはいつもの事だけど、今年はやけに数が多い。見えてるだけでも十匹近くのドラゴンが出たり入ったりと忙しなく荷物を運んでいた。

 ドラゴンは、人間の生活に深く根差している。特に、流通の面でドラゴンは圧倒的な優位性を誇る。地形に左右される陸路と比べて格段に効率がいいのはもちろん、ドラゴンは人より多くの荷物を、遠くに、早く運ぶことができる。たくさんのドラゴンが行き来してるってことはつまり、沢山の人が集まってるってことだ。

 それにしても、ジェシーがわざわざレースの事を調べてるなんて珍しい。いつもは当日になってこっちから呼び出すことの方が多いのに。一体どういう風の吹き回しだろうか。

「……もしかしてお前、楽しみにしてたのか?」

『だってレースの日には屋台が出るんだもん。ボク、りんご飴食べたい』

 そう言ってジェシーは体を震わせた。祭りの食べ物は高いけど、たびたびレースで賞金をもらってるからジェシーのために甘い物を買うくらいの手持ちはある。とはいえ、シズクにはジェシーを甘やかさないように言われてるんだった。

「レース前に体重を増やすわけにはいかないからな。終わるまで我慢してくれ」

『……なら、優勝したら好きなだけ食べさせてよ』

 伝説の飛竜様もずいぶん俗っぽくなったな。ジェシーの声は俺にしか聞こえないからいいけど、ジェシーの事を見に来てるレースファンが知ったら幻滅ものだ。

『ほら、屋台……じゃなくて、会場が見えてきた』

 やっぱりレースより甘い物か。まあ、世界一のドラゴンライダーになりたい俺と違ってジェシーは甘い物を食べたいだけだからな。もし島の外に行くことになったら苦労しそうだ。

 ジェシーの視線はレースの会場じゃなく、その周りに並んだ色とりどりの屋台に向けられていた。

 レースが終わるまで我慢しろとは言ったものの、それまでにりんご飴が売り切れてたら丸一日は文句を言われることは簡単に予想できる。それに、俺たちなら絶対優勝できるっていう確信があった。

 仕方なしに祭りの屋台に向かって指差すと、ジェシーは力強く羽ばたいた。


§


「……まったく、ジェシーのせいでドラゴンと話してる変な奴だと思われるところだった」

 結局、袋一杯のりんご飴を屋台のおっちゃんに取っておいてもらうことになった。本当は二、三個の予定だったけど、ジェシーが文句を垂れるから仕方なく、だ。甘やかしたいわけじゃないけど、文句を言うジェシーをなだめて変な奴だと思われるのが嫌だった。

 後になってから文句を言うと、ジェシーは不思議そうに小首をかしげた。

『ドラゴンと話してる変な奴じゃない』

「考えてみればそれもそうか」

 実際、ドラゴンと会話しようとする人間はいない。会話する必要がないんだ。長い期間一緒にいればある程度は意思疎通できるようになる。一流のドラゴンライダーになると、言葉がなくても心で通じ合えるらしい。まあ、話せるなら話した方が早いことが大半だけど。

 確かに俺はドラゴンと話してる変な奴だ。その上、いまだに世界一のドラゴンライダーを目指してる。俺が変なのは元からだ。

 自虐的な気分になっていると、ジェシーが近づいてきて顔をこすりつける。振り向くと、何か言いたげなジェシーと目が合った。

『ボクも人間と話してる変な奴だからお揃いだね』

「はは、そうだな」

 首筋の羽をさすると、ジェシーは嬉しそうに目を細めて身震いした。

 たとえ俺がこの年になって世界一のドラゴンライダーになりたいなんて言ってる変な奴でも、ジェシーは変わらずそばにいて、ついてきてくれる。それだけで十分だ。

 俺なんかよりずっと年上なのに、お茶目で食いしん坊。多分、ジェシーがドラゴンじゃなくても親友になっていたと思う。一緒に森へ冒険に行ったり、川へ魚を獲りに行ったり。ジェシーと出会ってから、いろんなことができるようになった。ドラゴンライダーとして街の人たちと関われるのも、ジェシーのおかげだ。

「あと二、三分でスタートする予定だから、ジェシーはレースを見ててくれ」

 ジェシーは俺の言葉にうなずくと、潮吹き山の山頂へと力強く飛び立った。

「……それにしても、結構な観客だな」

 潮吹き山の周りを囲む大観衆と眩い晴天。ふとした瞬間に気が遠のきそうなほどの声援。それも当然、今日は年に一度の大舞台。島で一番大きいレースの大会が行われている真っ只中だ。しかも、今日は千五百回という節目。いつもと同じ大会でも観客は普段の数倍。一万人や二万人にも届く勢いだ。今年は何かが起こる。そんな期待感が空気に溶け込んでいるようだった。

 屋台のおっちゃんの話によると、ついさっき最終レースの選手がスタートしたばかり。本来なら遅刻は顰蹙ものだけど、節目の年に普通に勝っても面白くない。ジェシーに宣言した通り、一番最後に登場して一番最初にゴールするのが今日の目標だ。

 どこか浮足立っている観客をかき分けて誰もいないスタートラインに立つと、ふと、誰かがこっちを指差した。

「……森の中のレインじゃないか、あれ。前回優勝者の」

 次の瞬間、葉の揺れるような騒めきが広がったかと思えば、少し遅れて、雨のように絶え間なく降り注ぐ。

 気づかれたみたいだし、ファンサービスの一つでもしておくか。

 いつもより大きく息を吸って指笛を吹くと、周りの観客が一斉に注目するのが分かる。普段から島で一番目立つ相棒に乗ってるせいか、人の視線には慣れっこだ。

 少し遅れて、潮吹き山の山頂から一匹のドラゴンが舞い降りる。純白の身体と純白の翼が日差しを反射して小さな太陽が現れたみたいだ。伝説と言われている飛竜だけど、確かに初めて見たら神の使いか何かかと思うかもしれないな。

 肝心のジェシーは周りの反応に戸惑ってるみたいに首を傾げた。

『どうしたの? 急に静かになっちゃったけど』

 気が付けば、さっきまで騒めいていた会場がしんと静まり返っていた。みんな、ジェシーの姿に見とれてるんだ。

「雲量二割の晴天。ゴール地点に向けて追い風。気温、湿度共に良好。絶好のレース日和だな。調子はどうだ、ジェシー」

『いつも通りかな』

 そう言って、ジェシーは応えるようにゆっくりと羽ばたいた。純白の翼をゆっくり動かすだけで、空気がかき混ぜられて強い風が吹く。この空にこの調子なら、いける。

「そいつは上等。なら、いつも通り優勝するか」

 審判のおっちゃんに視線を送ると、あきれたようにため息を吐いて片手をあげる。 同時、状況を理解した観客たちがわっと雨のような……いや、洪水のような拍手と歓声を上げた。ここからが、最終レースの始まりだ。

「行くぞジェシー。速く飛べ!」

 審判のおっちゃんが手を下ろすと同時、歓声に見送られて飛び上がった。

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