第四話 ドラゴンレース、終結!


 スタートしてから十数秒。俺とジェシーは、高速で飛ぶことにより生まれる風の中にいた。

 加速していくごとに、観客の声や太陽の日差し、五感全てを置き去りにしていく。

 俺はレースが好きだ。空は自由だと言っても、規制だなんだで結局は決まった速度以上を出すのは控えることになっている。ドラゴン同士でぶつかったりなんかしたら軽く人が死ねるからな。だからこそ、誰も立ち入らない場所で自由に飛ぶことができるのが単純に好きだった。


「レースの状況はどうだった?」


 力強く羽ばたくジェシーに声を掛けると、いつも通り落ち着いた声が背中越しに返る。


『選手のコンディションは悪くなさそうだけど、全体的に展開は遅めだね』

「この大観衆で緊張してるのかもな」


 ドラゴンは知能の高い生き物で、乗り手の気持ちを汲み取るのに長けている。当然、乗り手が緊張してるとドラゴンも緊張する。レースにおいては、単純な早さ以上にその時の精神状態に左右されることになる。


『それだけじゃない。先頭が後続を妨害してるせいで、ドラゴンの体力が消耗させられてるみたいだった。遅れてスタートしたボク達にとってはありがたいけど、体力を温存しておかないと抜ききれなくなる』

「なるほど。手強そうだな」


 レースにおいて妨害はあまり有効な手段じゃない。簡単な話、一位を取るためには他人の妨害をするより自分の最善を出す方が近道だからだ。一人を妨害しようとして共倒れになったらつまらないからな。ただ、全員を妨害できるだけの力があるなら話は別だ。


「……最後尾が見えてきたな」


 スタートから数分。潮吹き山を半分くらい回ったところで、見るからに疲弊したドラゴンの一団を追い抜いた。妨害にあって脱落したライダーたちだ。そして、開けた視界の先には他のドラゴンよりもずっと大きな影が太陽を遮るようにして飛んでいる。きっとあれが先頭だ。

 先頭のドラゴンに近づくにつれて、その姿が明らかになる。黒々とした硬い鱗と全身に纏った岩のようなドラゴン。確か、火山竜って言ったか。レース用の身軽なドラゴンと違って、大型で鈍重。代わりに戦うのが得意なドラゴンだ。レースに出てるところは見たことがないけど、確かにあれが前を飛んでいたら後続は辛そうだ。

 そして、その背中には竜が象られたエンブレムの上着を纏ったライダーが座っていた。


『あれは警備隊の証だよ。たまに戦闘用のドラゴンに乗ってる人間が着てる制服だ』

「警備隊が出張って来たか。一筋縄じゃ行かなそうだな」


 警備隊は、外敵から島を守る精鋭部隊。入隊条件は年に一度のレースにおける金メダル。つまり、この大会の優勝経験者ってわけだ。

 こっちに気づいたのか、ドラゴンが減速し始め、お互いの声が聞こえる距離まで近づいたところでライダーは振り返って口を開いた。


「レインじゃねえか! ずいぶん遅い出立だな!」


 無造作に伸ばした無精髭に、ゴーグルの下からはみ出した赤茶けた前髪。そして、酔っ払ってるのかほんのり赤くなったその顔はどこかで見覚えがあった。


「……なんだ、飲んだくれのおっちゃんか」


 火山竜の背中に乗っていたのは、小さい頃によく遊んでもらった警備隊のおっちゃんだった。どんな手練れが先頭を飛んでるのかと思ってただけに拍子抜けもいいとこだ。とはいえ、空の上では何があるか分からない。コースの中では全力で。それが俺のモットーだ。


「よくそんな図体のでかいドラゴンでレースに出ようと思ったな」

「近頃は平和過ぎて警備隊も暇なんだ。最近は仕事サボってレースの練習してたんだぜ?」

「ボスに言いつけるぞ?」

「ああ、ぜひ言いつけてくれよ。てめえの二連覇を阻んだのはこの俺だってよ」

「馬鹿言うなよ。おっちゃんがちんたら飛んでくれたおかげで、すんなり優勝できそうだ」


 とはいえ、あまり話してる時間もないな。おっちゃんの狙いは、最後まで後続を妨害すること。会話に応じさせて残りの距離を消費する作戦だ。そんなわかりやすい誘いに乗るわけがない。


「ジェシー、抜けゴー


 火山竜の真下を指差すと、次の瞬間、ジェシーは宙を蹴るように羽ばたいて加速する。戦闘用のドラゴンと違って、普段から空を飛ぶ速さを磨き上げてきたジェシーなら仮に大回りになっても余裕で追い越せる。

 火山竜は高度を落とし、最小限の動きで遮った。


「邪魔すんな、おっちゃん!」

「図体がでけえとこういうこともできんだぜ」


 コース取りを予測されないように小刻みに揺れながら隙を伺っても、火山竜の図体はでかすぎて抜こうとしても衝突のリスクが付き纏う。思い切りぶつかれば、身軽なジェシーはレースを続行できなくなる。そういう状況を意図的に作り出してるのか。


 老獪な戦略に加えて、ドラゴンの制御も抜群。普段はうだつの上がらないおっさんって印象だけど、ドラゴンに乗ると人が変わる。良いライダーだ。

 妨害を振り切ろうとしても、火山竜はぴたりと行く手を塞いでいく。確かに、ここまで執拗に妨害されたら普通のドラゴンならどうしようもないかもな。

 ただ、一位が最初から最後まで逃げ切るレースなんて面白くない。悪いけど、おっちゃんにはこれから始まる名場面の名脇役になってもらう。今日の主役は、俺たちだ。


「ジェシー、高く飛べ」

『良いの? 分かってると思うけど、潮吹き山の半分より高いところを飛んだら失格だよ』

「少しの間でいい。限界ぎりぎりまで行ってくれ」


 ジェシーが一際強く羽ばたいた瞬間、一気にコースの全体を見下ろせるくらいの高さまで上昇する。当然、おっちゃんは抜かされないように火山竜の高度を上げた。

 一部のドラゴンには、その性質に合わせた名前が付けられる。おっちゃんのドラゴンは、火山に住むから火山竜。炎を纏うその身体に空を覆うその翼。小型のドラゴンとは一線を画す空の上位存在。普通のドラゴンとは身体性能が違う。

 だけど、ジェシーは空の王者、飛竜の末裔だ。飛ぶことに関して右に出る生き物はいない。


「今だ!」


 高度を上げたのは、おっちゃんのドラゴンを上に引き付けるためだ。ジェシーの身体は流線形になっていて、急降下するときの加速はこの世界で一番早い。

 ジェシーは錐揉み回転しながら急加速し、がら空きの真下から全速力で追い抜いた。ゴールまで目測一キロ。直線でジェシーを追い抜けるドラゴンはいない。このまま、ゴールまで……。


「お、おいよせ!」


 ふと、風に紛れて、おっちゃんの慌てたような声が聞こえた気がした。嫌な予感に振り向くと、火山竜が大口を開けてこっちを捉えてるのが目に入る。喉が赤熱化し、今にも口から火を噴きそうだ。


「まずいな、ドラゴンが暴走してる」

『戦うのには慣れてても、レースには慣れてないんだ。これだから戦闘民族は』


 物事がうまくいっている時こそ、こういうことが起こる。おっちゃんが必死に手綱をひいても、火山竜は鼻息を荒くするだけだ。このままじゃ、ドラゴンの攻撃が直撃する。

 たとえどんなにうまく狙っても、俺とジェシーなら避けられる。むしろ、この状況でうまく狙えるわけがない。問題は、下手な方向に避けて観客が巻き込まれる可能性。それだけは絶対に避ける必要がある。


『……どうするの、レイン?』

「ジェシーは前を向いて飛んでくれればいい。俺がなんとかする」


 全速力で飛ぶのはドラゴンの仕事。道を切り開くのは、ライダーの仕事。何かないかと懐に手を突っ込むと、丸くて硬い感触がポーチの底に眠っていた。


「良かった、長いこと仕舞いっぱなしだったけど、まだ湿気ってないな」


 懐からパチンコを取り出して、指先くらいの弾丸を引き絞る。

 さっきまであんなに盛り上がってた会場はいつの間にか冷え切っていた。考えてみれば当然か。ドラゴンは、人間なんかとは比べ物にならないほど強大な力を持っている。特に、大型のドラゴンは戦闘に特化した体格だ。身体が丈夫だったり、鋭い牙や爪を持っていたり、おっちゃんのドラゴンみたく、火を噴くドラゴンもいる。熊が空飛んで火を吹いてるのとそう変わらない。人間の生活に根差しているから忘れがちだけど、本来のドラゴンは強くて怖い存在だ。そんなドラゴンが暴れた時のための秘策……いや、秘薬がこの直径三センチの弾丸だ。


 パチンコの照準越しにこっちを睨みつける火山竜は大きく口を開けたかと思えば、大きくせき込むような動作と共に自分の身体より大きな火球を吐き出した。

 迫り来る火球。肌を焼く熱気。当たれば大怪我じゃすまされない。かといって、避けたら観客が巻き込まれる。だけど、それくらいで諦めるようじゃ世界一のドラゴンライダーを目指す器じゃない。


『レイン!』

「まだだ。この距離じゃおっちゃんも巻き込んじまう。もっと距離を取ってくれ」

『これ以上の加速はムリだよ』

「いや、ジェシーならいける! 全速力で距離を取ってくれ!」


 ジェシーはいつも冷静で、周りをよく見てる。ジェシーが言うなら間違いない。だけど。俺は知っている。ジェシーはレースの時にいつも余力を残していた。決して本気を出してないわけじゃない。ジェシー自身が制御しきれないから、全速力は封印しているんだ。


『……わかった。振り落とされないでね』


 ジェシーが今までで一番強く羽ばたくのと同時、身体がぐんと引っ張られる。思い切り足に力を入れてないと、空の彼方まで吹き飛ばされそうだ。

 俺はドラゴンに手綱をつけるのが好きじゃない。ドラゴンは自由な存在だから。


「火薬玉!」


 これだけ離れれば、おっちゃんも観客も巻き込まない。思いっきりパチンコを引き絞って放つと、パチンコ玉は風を切り裂きながら火球に吸い込まれていく。

 一粒の雫が火の海に触れた瞬間、パチンコ玉の外側を包む外皮が導火線代わりになって着火。その直後、もう一つの太陽が生まれたかのような大爆発を引き起こす。


「てめえ、そいつは黒色火種ブラックシードじゃねえか! 他の選手への攻撃は禁止だぞ!」


 煙が晴れると、豆鉄砲を喰らったみたいな顔したおっちゃんと目が合った。まあ、豆鉄砲って言うには強力すぎるけどな。こいつは鉱山で昔使われてた天然のダイナマイトだ。

 それにしても一目見ただけで黒色火種に気づいたか。どうやら、ただ島の上をぐるぐるしてるだけじゃないらしい。黒色火種は街にも出回ってない危険物だからな。


「先に攻撃したのはそっちだろ。心配しなくても、こいつは一発限りだよ」


 小さい頃、鉱山で働いてた父さんの倉庫から一つ持ってきたまま使い所がなかったけど、結果的には役に立った。

 おっちゃんは呆れたようにため息をついたかと思えば、不敵な笑みを浮かべて親指を立てた。


「優勝しろよ、金髪小僧!」


 爆発による爆風とおっちゃんの叫び声に背中を押されるようにして、ゴールに向かって突っ込んだ。

 

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