「乗せて」の幽霊
朝に出る霊ってどう思います?
私、通勤でバスを使っているんですが、乗りそこねて置いていかれる幽霊を毎朝見るんです。
ほら、霊って実体がないじゃないですか。ヒトやモノに触れられない……みたいな。だからなのか、バスの中に乗り込んでも、発車すると幽霊だけ置いていかれてるんですよね。
説明、伝わってます?
想像してみてください。あなたは幽霊で、地面からちょっとだけ足が浮いてる。浮いてるから地面に触れてない。地面に触ってみようとしゃがんで手を伸ばすと、手は地面を貫通して何にも触れない。他のものにも同じように触れない、全身が壁もすり抜ける──あの幽霊って、そういう感じだと思うんですよね。
障害物に当たり判定のないゲームの中にいる感じ、ですか? あー、それですそれです。
あの幽霊、いつも私の斜め後ろに座る……というか座席に重なって立つんですよね。そしてバスが発車すると、幽霊だけその地点から動かなくて置いていかれる……。実際見てると、シュールですよ。
あの子はきっと、どこかに行きたくて毎朝乗ってきてるんでしょう? 目的地に行けないから成仏できないのかなと考えたらなんだか……かわいそうで……。
あはは。
あ、私は移動中に小説を読みたくてバス通勤をあえて選んでるんです。マイカー出勤が当たり前の田舎でちょっと変わってますよね。よく言われます。
ローカル路線だし、早朝の始発だし、乗ってるのって私だけのことが多いんです。停車場を二十個近く経て職場近くで降りるんですが、途中で乗ってくる人はゼロだったり、いても一人二人くらい。だから、その子が乗ってくるようになったのはすぐに気付きました。
とある停車場から、いつも若い男性が同じ格好で乗ってくる。でも、降りるところは見たことがない……って気付いて、どうも幽霊だぞ、と。
あのバスは町外れを一時間に一本のペースで周回していて、これといってランドマークのような場所に停まるわけでもない。一体どこに運ばれたいんでしょうね?
そもそも、あの子は一体何者なんでしょうか?
……田舎なので、物騒な話はすぐ噂になります。事件・事故を探ってみたら、ビンゴですよ。
私がその子を見かけるようになった三日前に、近くで交通事故があったそうなんです。それで大学生が亡くなっていて……。
それっぽいワードで検索したら、ニュース記事がヒットしました。名前と写真がありましてね、まさに毎朝見る幽霊と同じ顔でした。
その子はSNSもやっていたみたいで、最終投稿には「やり遂げてやる」とだけ書いてありました。その意味は誰にもわからないようで、コメント欄も意味を問うものが多かったです。
何かを成そうとする途中で、亡くなってしまったんですね……。
クリスマスイブでしたし、もしかしたら告白とかプロポーズとか、そういう準備だったのかも。
違うよ。
大きな声では言えませんが、あの頃の私、彼のSNSを隅々まで見て、何が心残りなのか探ることに夢中になっていました。
彼は学業も趣味も交友も、すべて順調そうに見えました。いまどきの若者ってすごいですね。あんなにキラキラした日常を送って、しかもスポンサーがついて芸能人みたいな活動もして、日本だけでなく海外の人からも羨まれてるなんて。
彼に人気がある理由は、見ているとやっぱりわかりますよ。人並みの男の子らしいあどけない笑顔やユーモアを見せたと思えば、ミステリアスな鋭さを垣間見せたり……。ときどき、ドキっとするような暗い目をするんですよね。実は彼、幼少期はずいぶん苦労していたみたいで……。だからか妙に達観したようなことを言うときがあるんですよ。それが大人も唸るような的を射た発言だったりして。
若者からだけでなく、大人からも人気があるんですね。テレビにも出ていて驚きました。そういえば、ある時期からパタっとテレビに出なくなったのは何か関係があるんでしょうか。そのあとくらいから、SNSの投稿も減っている感じがあります。
でも、そんな傾向を読み取っただけで、彼とあのバス路線との接点はついにわかりませんでした。思い出の場所への道……とかでもないようで。
「やり遂げる」の意味の答えも見つかりません。最後の投稿の全文ですか? 「どれもダメだった。やり遂げてやる」ですね。
私にわかったのは、数万人のフォロワーから愛された青年が
そうなんですよ。彼のSNSを見るうち、私も彼のことが大好きになってしまって……。あんなにユーモアがあって心優しく勇気のある子が世界から失われてしまったなんて、とても残念です。
あるとき彼は「独りで死にたくない。みんな一緒にい てね」というような投稿をしていました。なのに……。実は……轢き逃げだったらしくて……早朝だったから……彼は発見されるまで時間がかかって……孤独に……。
私は幽霊になった彼が何を考えているのか気なってしょうがなくなりました。読んでる小説を閉じて、耳を澄ませたんです。通路を歩く彼の口が動いているように見えたので。
そうしたら、かすかな声で「乗せて、乗せて」と聞こえました。すぐにバスのエンジン音にかき消されて、遠のいていく。
次の日も、また次の日も。私が休みでバスに乗らなかったその翌日も、彼はトボトボとバスに乗り込んで「乗せて」と囁いてるんですよ。
運転手には霊感がないのか、聞こえてないからただの乗客だと思っているのか、いつも無反応です。
この幽霊、私がいつか定年退職してもこうしているのかも、なんて思ったら、なんだかもう気の毒になってしまって。
そもそも、あのバス路線もいつまでやってくれるのかわからないですからね。どんどん路線が廃止されていく時勢なのに。
……だから、私は後ろを振り返って、彼に話しかけたんです。「どこに行きたいの?」と。
声をかけるのも、目が合うのも、彼の顔を正面から見るのも初めてでした。
バスのエンジンがかかる音がして、ああまた彼が置いていかれてしまう……と、とっさに運転席を見ました。しかし幽霊と話す時間をくれなんて言えるはずもなく、言葉を飲み込んでまた彼のほうを見ました。すると、彼はいなくなっていました。
その日からです。彼が現れなくなったのは。
幽霊は誰かに見つかってはいけないとか、そういうルールがあったりするのでしょうか? 私は彼に良くない声かけをしてしまったのかと……ずっと悔やんでいて……。
もしかしたら私のせいで、今も彼が目的を遂げられずにこの世のどこかでさまよっているかもと思うと心苦しいです。
だからあなたのインタビューを受けるかわりに相談に乗ってもらおうと思ったんですよ。
無理を承知で彼の実家にうかがって、位牌に手を合わせるべきだと思いますか?
あー、そんなことしなくて大丈夫です。
もう乗れているので。
どうもありがとう。
え? なんですか? だから、手を合わせて供養を……その後? 何も言ってませんけど。ちゃんと聞いてくれてますか? 私これでも、本気で悩んでるんですよ。
実家にうかがうのはやりすぎかも、って? ……やっぱりそうですよね。説明したところで信じてもらえるかもわからないですもんね。
じゃあ、プランBにしようと思います。それは何かって?
お渡しした名刺の通り、私はラジオ局でお仕事させてもらってるんです。ラジオパーソナリティってやつですね。夜に自分の番組があって、朝と昼はアシスタントをしてます。ラジオってアドリブが効くんですよね。今夜は彼という悲しい幽霊の話をして、リスナーと一緒に冥福を祈ろうと思います。信じてもらえなくても……。ディレクターとは仲が良いので、どうにかうまいことやりますよ。
これを表で言うと炎上モノなんですが、テレビと違って、ラジオは血が通った放送だと思っています。おたよりだったり、対話だったり、ラジオっていろんなヒトの人生が生放送の電波に乗るんです。
良かったらあなたも聞いてくださいね。
録画や配信じゃダメだったからさ。
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