小指で芽を育てた男
はるばるようこそ。話すぶんには構いませんけど、こんなのが怪談話になるんですね。
はい、俺が救助されたのはちょうど半年前です。やっとマスコミの追いかけも落ち着きましたよ。通院のほうもね。
事件のことはもう? ……俺より詳しそうだ。あはは。
その通り、■■山で遭難しました。サークル仲間とね。
ルートを外れて、動揺する俺たちはことごとく判断を誤ってしまった。その紆余曲折はニュースで解説されているのを見たのでは? 装備も知識も半端な若造たちがなるようになったのだ、と叩かれても言い返せません。後悔してますよ。
結果、俺以外の全員が亡くなってしまった。
山にいたのは十日間ですね。仲間の遺体と野宿していました。最後は飢えと孤独に耐えられなくなって、一人でさまよって……あ、怖い話ってそういうのを期待してますか? ネットでも好き勝手書かれてますが、殺人計画とか、仲間を食べて生き延びたとか、そんな事実はありません。
俺が生き残ったのは本当にたまたま、運が良かっただけです。
はぁ、ええ、そうですね。あなたが聞きたいのは遭難した話ではなく、小指のことですもんね。
SNSアカウントにメッセージが来たときは驚きました。俺の小指に気付いてる人がいたんだ、って。
救助されたときの写真に写ってるくらいじゃないですか。小指からチョロっと生えてるものに、気付くものなんですね。
今ですか? 今は無いですよ、小指。
切っちゃいましたから。ほら。
そこの植木鉢にあります。何がって? 小指ですよ。
あの鉢から生えてる芽、あれの根っこに俺の小指がついたまんまなんで。
写真? 撮っていただいて結構ですよ。
掘り返しましょうか? 根っこのとこが見えないと、ただの植木鉢と芽ですもんね。
いいんですよ、手でちょこっと土を退けてやるだけですし、これくらいじゃ枯れたりしないでしょう。
……ほら、指。不思議と腐ってないんですよね。
撮れました? じゃあ戻しますね。
ちょっと手を洗ってきます。どうぞソファで待っててください。
お待たせしました。
これですか? コーヒーとケーキです。焼いたんですよ。あれ、知りませんでした? 俺、というか、俺たち、製菓サークルですよ。そういえば、登山サークルって誤報道されてましたね。
マスコミと警察以外でうちにお客さんが来るの、事件の後はあなたが初めてなんですよ。人と話せるのが嬉しくて張りきっちゃいました。
甘いの苦手でした? 大丈夫? 良かった。ホールで焼いちゃったんで、お口に合ったら残りはぜひ持って帰ってください。
いま切り分けますね。あ、うちケーキナイフ無くて。包丁でも、あらかじめ湯煎しておけばきれいに切れるんですよ。
話を戻しましょうか。ええ、ええ。
どうして小指に芽が生えたのか、ですか?
俺にもわかりません。遭難して、みんな死んで、もう俺も死ぬかもってなりながら手袋を外したら、生えてました。
山に登る前はありませんでしたから、山にいる間に発芽したんだと思います。
どこから話せば良いのか……結局、遭難したときの話をするんですけど、俺たちが遭難を自覚したのは、道を見つけられないまま夜になったときでした。
冬だし、露営する準備なんかしてませんでしたから、全員焦っていました。しかも、仲間の一人は怪我をして動けなくなっています。
俺は怪我人に付き添い、他の仲間が助けを求めに出発しました。けれど朝になって、昼になって、さらに次の日になっても戻って来なくて。
ちょっと歩いて行ったら、そいつは滑落して死んでいました。命のあっけなさに打ちのめされましたよ。
仲間にそれを伝え、改めて助けを待ちました。どんどん時間が過ぎていきました。そのころの小指はまだ普通でしたよ。
怪我が膿んでひどくなってきた仲間と話し合って、二人三脚で移動することにしました。ですが、体力をいたずらに消耗するだけでした。朝が来たら助かると、夜が来るたびに励まし合って一週間が過ぎ、あいつはいつのまにか息を引き取っていました。
一人になるのが怖くて、しばらく遺体といましたけど、死ぬのはもっと怖くて、あるとき立ち上がりました。
歩いても歩いても道らしい道は見つからない。やっとの思いで川を見つけて、衛生なんて気にせずがぶがぶ飲みました。それからまた夜が来て、適当な場所で縮こまって寒さをしのいでいました。水だけじゃ腹は膨れませんから、木の枝でも食べようかとかずっと考えてましたね。
風が吹くだけで、体温も気力も削り取られていきます。疲れ切ってぼうっとする頭で、俺ももう死ぬんだ、とも考えていました。
涙が出てきて、鼻水もよだれも出るがまま。やっと落ち着いてきたあと顔を拭おうと手袋を外したんです。それで気付きました。小指から植物の芽が生えてる、って。
そのときの俺は、極限状態で頭がおかしくなっていたんだと思います。何かの拍子に切り傷でも負って、そこから植物の種が入り込んだんだろうって解釈していました。
それに、それは神様から与えられた食べ物だと思ったんです。
新芽ですから、きれいだし、きっとおいしいっ、って。
驚くほどよだれが出て、夢中で小指をぱくっと口に入れました。……でも、すぐに口から出しました。
小指の先のちっぽけな緑なんて、食べてもしょうがないって、冷静になったんです。
これは俺のための食べ物なんじゃなくて、この芽のための食べ物が俺なのかもしれない、と考えました。
俺はここで死んで、この芽の養分になるんだ……って。不思議と、怖く感じることもなく、納得したような心地になって、眠りに落ちました。今思うとあれは、気絶だったのかもしれません。
数十分後か、数時間後か、目が覚めたときは、自分がまだ生きていることにすごくほっとしました。生きてる、という実感だけでホロリと泣いたんです。
でももう、立ち上がる気力はありませんでした。
川の水を飲んだのは間違いだったんですね。どうしようもないくらい腹を壊して、横たわったまま垂れ流していました。汚い話ですみません。
苦しさと情けなさにうめきながら、やっぱり俺はここで終わりなんだと思い知らされて、絶望の中で泣きましたよ。脱水状態だったのか、涙は出ませんでしたが。
俺は早くに両親を亡くしていますし、唯一死を悲しんでくれる友達も先に死んでしまいました。胸を張れる思い出もない、なにも成し遂げていない、つまらない人生です。イヤな走馬灯を見ました。
あとは死ぬだけという状況で、現実逃避するみたいに小指の芽を眺めていました。どんな植物なんだろうとか想像していると、狂いそうなほどの死の恐怖が薄れたんです。
俺は腐って蛆に食われてぐちゃぐちゃになって、誰にも見つけてもらえずに消えていくんじゃなくて、この植物の一部になって生き続けるんだ、いつか登山者が咲いた花を見つけて、可愛らしさに癒されるんだ、そういう妄想がちょっとした救いでした。
神様から与えられた役目なのかも、ここに至るまでの苦しみは必要な段取りだったのかも、きっとすばらしい花が咲いて、世界にとって良いことがあるんだ、とかね。
で、オチとして俺は死にませんでした。捜索隊に発見され、救助されたので。
あとは報道の──あなたが見た写真の通りです。
俺は、あの芽のおかげで生き延びれたんだと思っています。命の恩人、恩芽ですよ。
入院中、医者とどんなやりとりをしたかあまり覚えていないんですが、こっちの小指には絶対に触るなと訴えたことは覚えています。
帰宅してから小指を切り落としたのは、感謝の気持ちですね。
小指に生やしたまま生活すると、うっかり手をついたとき折ってしまいそうですし、洗剤とか触るのも危ないですからね。
正気を失わないように励ましてくれた──まあそれは俺の思い込みなんでしょうけど……とにかく、芽へのプレゼントだと思って、指の付け根から切って、鉢に植えました。
俺から切り離したことが正解だったのかはわかりません。
鉢に植えてからこまめに観察しているんですが、すぐ枯れちゃいそうになるんです。指から生えてたくらいですから、土や水からは栄養がとれないんでしょうね。
試しに、自分の手のひらを切って、血を搾ってあげてみたんです。そうしたら、みるみる元気になっていって……。
というわけで、育て方はわかったわけですが、毎日血をあげるわけにもいかないじゃないですか。貧血になっちゃいますから。
だから、スーパーで買った鶏肉から滲み出るドリップをあげてみました。なんとか大丈夫そうでした。
でもね、芽が育つほどもっと栄養がいるのか、元気がなくなっていくんです。
ドリップと血の交代ではきびしくなってきて、最近はミキサーでドロドロにした肉を土に混ぜてやってます。初めは鶏肉でしたが、最近はペットショップで買った餌用マウスを……やめときましょうかこの話は。
ああ、やっぱりこの部屋くさいですよね。換気してるんですが……。
半年前と比べると、かなり成長してるでしょう。蕾も膨らんできました。
どんな花が咲くか、気になりませんか? そうですよね。だから、臭いとか、生活の多少の不便を我慢して世話してるんです。いつかは枯れて終わりが来るでしょうし、それまでの一時的な娯楽です。
どうですか? こんな話がネタになりますかね? 大したオチもなくてなんだか申し訳ない。花が咲けば、盛り上がりもあるのかもしれませんが。
芽、少し元気がないでしょう? 咲くための栄養がまだ、足りなさそうなんですよね。
ネズミじゃダメなんですよ、やっぱり。
これじゃあ開花するのかどうかも……。
枯らしちゃうのは絶対にイヤなんです。俺にはもう、この子しかないので……。
ね、だから、あなたが来てくれて良かった。
……なんですかその顔。
あっ、待って、怖がらないでください。違います違います、そんな恐ろしいこと、しませんよ。
俺に殺されると思いました? あはは、すみません。
あなたが来てくれて良かったっていうのは、事情を聞いたうえで見届けてくれそうな人が現れて安心した、ってことですよ。
あなた、ネットに書きたいんですよね。この小指の芽のこと。自分だけ生き残った罪悪感に苦しんで、いまだ社会復帰さえできない人間の記憶を荒らしてまで。
……怒ってませんよ。感謝してます。
あなたの好奇心の強さは信用できる。
さっき話したじゃないですか、山にいるとき「この芽のための食べ物が俺なのかも」と考えた、って。
つまりそういうことです。
ここまで聞いたんだから、見届けてくださいね。
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