シガミさん
ラピ丸
シガミさん
雨がなかなかやみません。カーテンで閉め切り薄暗くなっている部屋の中もジメジメとしていて、ふと足下にある爆弾がうまく作動するのか不安になりました。
いえ、爆弾と言ってもテロリズム的なあれだとか、誰か恨みがましい敵を討つといった不穏なやつではないのです。強いて言えば自分殺しなのかも知れませんが、もうこの段階になってそういった細かいことは気にしません。
しかし、いくら雨がしつこいといっても予定の時間を超過してしまうわけにもいけません。いくら死にに行くとはいえ、社会人として時間厳守は絶対なのです。というわけで、私は手作りプラスチック爆弾のスイッチを起動しました。
ウサギのタイマーが可愛らしく時間を刻みます。いわゆる時限爆弾です。たった五分の時限爆弾を造るのに5日かかるのはまったく非効率の極みですが、よくよく考えてみるとそんなに焦ることも、急ぐ必要もありませんでした。
これから死ぬという訳なので、身の回りの整理をしなければなりませんでした。幸い、両親は他界し天涯孤独になっていたので親不孝を働く心配はありません。私も死んだ後に河原で延々石積みはしたくありませんから。お仕事から足を洗って、持っていたものもほとんどを売り飛ばし、飛びきれなかったお金達を率いて山奥に一戸建ての棺桶を購入しました。ここなら人間が一人爆散してもへっちゃらです。
そんな具合で事前の準備をしっかりして、そして当日のスイッチオンも果たすと、やることがなくなってしまったので、今度はお腹がすいてきました。これから死ぬというのに、お腹は空気が読めません。まあ、もともとお腹は読むトコロでなく消化するトコロですが。最後の晩餐は、そうですね、今朝のバナナにしましょう。本当は大好物の目玉焼きがふさわしかったのですが、卵は今朝いただいた分で最後でした。油やフライパンがいくらあれど、卵がなくては卵焼きは作れません。残念。
パタパタパタ、とキッチンへ。一本だけあったはずのバナナを探します。きっともぐもぐ食べている間に時間が来るでしょう。キッチンはリビングスペースの奥にある扉のさらに奥にあります。大工さんによると、元々洗面所だったところにキッチンをつけたんだそうです。ちなみに、元々キッチンだったところが今の洗面所です。何の都合があったのでしょうか、ヘンテコな交代です。と、つらつら考えながらキッチンに入りました。
そこで私は、ええ文字通り自分の目を疑いました。キッチンには私の知らない白衣の女の人がいらっしゃったのです。しかも、私が今いただこうとしていたバナナをむしゃむしゃと召し上がっておられるのです。たいへんです。もちろん私の間食が奪われていることもなのですが、このままではこの方も私の自爆に付き合わせてしまうことになります。コレはいけません。
私は慌てて彼女に近づこうとしましたが、はたと困ってしまいました。彼女、ずいぶんと髪が長い人で、無造作に投げ出された髪の毛でフローリングが真っ黒になっています。コレでは足の踏み場がありません。
仕方がないので近づくのは諦めて、声をかけてみることにしました。
「あの、こんにちは」
声を出してみて、びっくりしました。ここ数日誰とも会話をしていなかったのでうんと小さい声しか出なかったのです。これではきちんと伝わらないかも知れません。しかし、結論から言ってそれは杞憂でした。
「あい、どうしたの」
女の人は何でもないように、まるでお母さんからお手伝いを頼まれる子どものように、ぶっきらぼうに答えたのです。
「あの、たいへん言いにくいことで申し訳ないのですが、この後ここは爆弾で爆発してしまうのでお逃げになった方がよろしいかと」
女の人はあっはっはと楽しそうに笑います。
「そんなこと知っている。ヌシは森のクマさんかってんだ」
なんと、この方は私の目論見をまるっとお見通しだと言うのでしょうか。今まで誰にも話したことがないのに知っているなんて、この方はきっとたいへんな知恵者か、あるいは頭の中を覗ける超能力者のはずです。
「あなたは、何者なのですか?」
「スタイリッシュな目玉焼きです」
驚きました。なんと、今朝食べた目玉焼きさんが人の姿で化け出てきたのです。この風体のどこら辺がスタイリッシュなのかは、私の中のスタイリッシュと目玉焼きさんのスタイリッシュの和訳が同じかどうかで決着をつけたいところではありますけれど。
私はにわかに信じられずに、まじまじと見つめてしまいました。
「信じるなよ、嘘だって。まあ、そうだな。オレはシガミっていうもんだ。死に神ともいうか」
「なんだ、死に神ですか」
「おや、そんなに驚いていないな」
シガミさんは、私が驚いていないことに驚いていたようでした。たいへん信仰深かった祖父に赤ん坊の頃から神様の存在を説かれていた私からしてみれば、そこまで想定外な出来事でなかった、というだけなのですが。
「シガミさんは、ということは、私が死んだらあの世に案内してくださると言うことですか」
「んー、そこら辺は、死んだときに話せば良いだろ。今じゃなくたって」
シガミさんはどうでも良さそうに手をひらひらさせました。その表情はしかし、なんとも面白いおもちゃを見つけた子どものようで、かみ合っているようには見えませんでした。この人はちょっと変な方なのでしょうか。
「そんなことよりさ、オレはヌシと話がしたい。どうせもう死ぬまで暇なんだろ。少し話をさせろよ」
「お話しですか? でも、私にそんな面白いお話しが出来るとは思いませぬ」
「別に面白い話をしようとは、言ってねえ。なんでもいいんだ、話そうぜ」
そこまで言われると、話すのを断る理由もありません。何せもう死ぬ命、死ぬまで暇なのです。
「しかし、本当に何を話せば良いのか見当がつきませぬ。お話しというのは話題があって成り立つのではないのですか」
「そう言われればそうだな、なら……」
シガミさんは少し考えてこう言いました。
「ヌシの死について話そうか」
○
「よっこらせっと」
キッチンから爆弾のある部屋に移動して、私たちは腰を落ち着けました。
「シガミさん、鼻はダメなんですね」
「なんて?」
「いえなんでも」
シガミさんは床にあぐらをかいています。女の子にしては、はしたない座り方です。
時限タイマーは残り四分を示しています。カップラーメンを造るのには十分な時間があるのですが、食べる時間が足りません。
「じゃあなにから話そうか……」
シガミさんはあっさりとしています。目の前の私がもうじき死ぬというのに、何でもないような様子。死に神だから慣れっこなのかも知れませんけれど。シガミさんは平気な様子で質問をしました。
「何で死ぬ?」
「いや、そんなたいそうな、私の中ではたいそうですけれど、あなたにしてみれば何でもないようなことですよ」
「なんでもないね。ふーん」
「ところでなんですが、シガミさんは他の方の今際にも立ち会われたことがあるのですか?」
ふと、こちらからも気になったことを訊ねてみます。もしも他の方の看取りをしていらっしゃるのなら、彼らがどんな最後を迎えたのか気になったのです。それに、シガミさんとは以前どこかでお会いしている気がします。誰かしらのお葬式に、もしかしたらいたのかも知れません。しかし、シガミさんは目をまん丸と見開くと恥ずかしげに笑います。
「いやあ、ヌシが最初さ。初の大舞台ってわけだよ」
いやはや、死に神も未経験だと恥ずかしいものなのでしょうか。神様も人間のような一面があるのかと妙な親しみを持ちます。けれど、シガミさんは一つ大きな誤解をしていました。
「大舞台と言うには、この家はみすぼらしく、私は小さいです」
「なんで? ヌシのタッパは人間の中ではでかい方だろ」
「違います。心の話です。私の器は小っちゃいのです」
私ほどの人間を大舞台と言ってしまっては、他の皆様に申し訳が立ちません。しかし、シガミさんは誇らしげな顔で言いました。
「いんや、ヌシは間違いなくオレの最初で最後の大舞台さ」
そこまで言われてしまっては、こちらも引くしかありません。そうですか、私が大舞台ですか。死ぬ前だというのに、なんだか嬉しくなってしまいました。
「ヌシは自分のことを小っさいといったが、コレまでの人生、そんなにダメでしょうもないことしか起こらなかったのか?」
シガミさんはいぶかしげに言います。これはしかし訂正しなければなりません。
「いえ、私のお父さんもお母さんもとてもいい人でしたし、友人にも恵まれて、私の人生はそこまでダメダメでも、しょうもなくもありません」
「良いことばかりだった、と?」
良いこと、で少し考えます。私の人生は、果たして良い人生だったのでしょうか。ええ、良い人生でしたとも。これ以上ないくらいに。そうです、私にとってこの上ない人生だったと断言できます。私が出会った人や、ものは、どれも素晴らしかったのです。
「人間関係のトラブルでもあったのか?」
これまた少し考えます。会社でも、いい人達に巡り会えました。そりゃあ、多少のすれ違いこそありましたが、最終的には良い関係です。両親も、笑って最後を迎えていました。お友達もみんな、私によくしてくれました。ということは、ノーなのです。
「では、お金に困って?」
お金は、たしかに私の住んでいた家は立派な大豪邸だったわけではないですけれど、不自由もありませんでしたし、生活をちょっぴり豊かにする程度には稼げていました。となると、コレもノーになります。
「病気、それとも怪我が?」
私は感謝すべきことに両親にとっても丈夫に生んでもらえ、毎年の健康診断でも何ら差し障りはありません。おかげさまで四肢は獅子のごとく動きます。健康優良。ノーです。
「後悔はないのか?」
はて、ここで私は困ってしまいます。前言撤回かも知れません。確かに私の出会った人たちは素晴らしく、不自由のなかったこの体ではあるのですが、しかし、後悔があるのかどうかと言われれば、誠に遺憾ながら後悔があることになってしまうのです。イエスなのです。
「その後悔が、死ぬ動機か」
問い詰めるようなシガミさんに圧されて、答えることが出来ません。その通りこの後悔こそが、我が身を世界の塵芥に変えてしまおうと思い至った原因であることは間違いのない事実なのでございます。ただ、それをシガミさんにお教えすることは、いかにシガミさんが私の頭の中をまるっとお見通しといえども、躊躇われてしまうのでありました。石像のように押し黙った私に、シガミさんは続けます。
「心残りがあるんだろ。だから爆殺なんて方法を選んだんだろ」
「そんなことないです。たまたま、この方法になってしまっただけで」
ついつい見え透いた嘘が口をついて出てしまいました。今の反応は九十九里浜の浜辺よりも浅いものでした。案の定、やっぱり、シガミさんはケラケラと笑いました。
「たまたま爆弾は出来ないよ。殺すにしてもいろんな方法がある。首つり、練炭、服毒、飛び降り、エトセトラ。その中でも、全くメジャーでなく、かつ周りに迷惑になりやすく、確実性もそこまで高くない爆殺を選ぶのか。わざわざ自分で手作りしてまで、ここまで入念の準備をしてまで。そこには、爆殺でないといけないという意思を感じざるを得ないだろ」
シガミさんの言うとおりです。ぐうの音も出ずに、シガミさんを見つめます。
「なあ、教えてくれないか。どうせ時間もないんだ。最後の一興として、語ってくれよ」
シガミさんはそして、ゆっくりと姿勢をおネエサン座りに崩して、聞く体制を整えました。ここまで準備されては、私も話さなくてはなりません。ゆっくりと、思い返してみることにしました。
○
沢口さんは私の大親友でした。戦友と言っても過言ではないかも知れません。戦場を駆け抜けた記憶はありませんが。
小学校の頃からいつも隣にいて、「まだ大丈夫」とふ抜けた私を引っ張って、後押ししてくれました。恥ずかしながら子どもの頃の私は泣き虫で弱みそで、そのくせ底意地だけがひねくれてねじ切れているような人間でしたので、沢口さんがいなければここまで生きていけることすら難しかったでしょう。
何をするにもちょこちょこちょこ、どこへ行くにもついついつい、沢口さんにくっつく私はさながら金魚の糞でした。いえ、糞はそれまでに金魚に栄養を与えた物がなる姿。何の栄養も栄誉も与えないこちらは糞よりもたちが悪いのかも知れません。
そんな私が彼女を卒業した契機は、大学進学でした。ここまで学力という壁をもなぎ払い何としてでも食らいつくようなうっとうしさを発揮していたのですが、文系理系の壁だけは壊せず、互いに別々の道を歩むようになってしまったのです。
けれど、そう簡単に離れきるほど私は粘着力がマジックテープではありません。井の中の蛙大海を知らず、なんて言葉がありますけれど、井の中の金魚の糞である私には現代の大海原を行くのは厳しく、年に数回タイミングを見ては、彼女の下にやっかいになっていました。
「いくつになっても仕方ないな。まだ大丈夫、なんとかなるって」
忙しいだろうにこんな糞のカスにも付き合ってくれる沢口さんは、そうか天使なのだとこのときになってようやく気がつきました。私は天使の老廃物だったのです。
ところで、人間はどうして生まれたかを知っているでしょうか。一説によると、もともとこの大地は偉大なる神様と天使達が住んでいたそうです。しかし彼らがみんな天の国へと行ってしまった際に、天使達が自分たちの服を現世でのいらない物と見なしました。天に地上のいらない物は必要ありません。というわけで、天使達はその老廃物を捨てます。天使に捨てられてしまった哀れな老廃物は、そこで一つの命となりました。それこそが「人間」のご先祖様だったと言うわけです。
と、なれば天使の老廃物である私は、実は人間だったのだと気がつくことが出来ました。今思い返してみるとなんとも情けない話ですが、私はこれで自分に自信が持てたのです。
大学を出た後、私は地方の銀行に、彼女は大手製薬メーカーの実験室に所属しました。何やら難しい病気の新薬を開発していたそうです、フィン……なんちゃらでしたっけ、そういった方面は疎いので理解出来ませんでしたが、頑張っていたことはわかりました。自然と、会う回数も減っていきました。
代わりにはじめたのが、交換ノートでした。その時々に、思いつく物をつれづれなるままに書き連ねるという、実に他愛ない物です。しかしコレが結構なくせ者でした。思いつくまま、好きなように、好きな物を書けという、明文化はしていませんが、ルールがありました。ただ、例えば夕ご飯のリクエストを聞かれて「なんでもいいよー」というお父さんの返答が一番困るように、どこかに出かける際に「どこでも良いよー」と答える友だちが一番厄介なように、何でも好きな物といわれても私が書き連ねるようなものが思いつかなかったのです。
文章の才能がある人をこのときばかりは羨ましくなりました。口下手は手も口下手だったのです。彼女はスラスラ書いてしまうのに、私は何もかけません。最近読んだ本の紹介でお茶を濁します。しりとりを勝手に初めて話題をそらします。ええ、たいへんに苦戦を強いられたのです。
長々と関係のない話をとお思いになるかも知れませんが、それは大きな誤解でございます。これが後に重要な事柄として出てくるのです。
大学を出て四年程経ちました。銀行で相も変わらず窓口業務をなんとかかんとかこなしていた私に、沢口さんから久々の電話です。
「やあ、元気にしていた?」
電話口の彼女は実にはつらつとしていて、研究職は体を壊しやすいという噂に少々の心配をしていた私には安堵の材料になりました。おかげさまで元気ですと伝えると彼女は嬉しそうに声を高らめます。
「アンタ、相変わらずだね。心配してたんだ、何よりさ」
何と、天使から心配をされているとは光栄の極み。ますます力が湧いてくるという物です。
ところで私は妙な感じも覚えていました。それは、この四年間、驚くべきことに我々が電話を一切していなかったことに関係します。交換ノートはしていたのに、電話はナッシングだったのです。ここで唐突にある日の電話を回想したのではなく、そもそもあの日の電話がずいぶん特別なことであったのです。つまり、この日私たちは四年ぶりに会話をしたのでした。
「何故の、電話なのですか。お話しするのは四年ぶりですが」
「ああ、簡単だよ。今度、そっちに帰省するのさ」
またしても驚きです。彼女が四年ぶりに私たちの郷里に帰って来るというのです。ビッグでスペシャルなニュースです。
「それは真ですか!」
「あはは、マコトマコト。そういうわけだから連絡をば、ってね。交換ノートもその時持って行くから」
これほどに嬉しいことがあるでしょうか。四年ぶりに私の天使様にお会いできるのです。私は天にも昇る幸福を、もうすでに感じてました。
「お仕事は、大丈夫なのですか?」
「へーきへーき、そのために追い込んでるんだから」
なら今電話するのは問題では!?
「おっと、もう戻らないと。そういうわけだからじゃね」
「はい、またこっちで」
そんな具合に、天使との電話は終わりました。
事件が起きたのは、その夜でした。いえ、正確に事件が起きていた時間はもっと前の時間です。正しくは私が事件を知らされたのが夜だったのです。
午後八時、お風呂を済ませてソーダアイスで喉を潤していた頃。ピリリリとケータイがなりました。駆けてきたのは、沢口さんです。
お昼の時に何か伝え忘れたのかしらと、軽く電話に出ました。
「もしもし、警察です。この電話の持ち主のお知り合いでしょうか」
不穏な感じがしました。
「沢口さんのお友達ですか。携帯の持ち主、沢口さんは本日実験室の事故で亡くなりました。ご家族と連絡を取りたいのですが、連絡先をお知りでしょうか」
彼女は、天へとかえったのです。
気がつくと、呼吸を止めていました。涙は流れますが、どこか実感が湧きません。
死因は全身に及ぶ重度の火傷でした。実験の最中に起こった不意の爆発で部屋が炎上、特別な実験室だったらしく密閉された上で、かつスプリンクラーが切れていたため炎がごうごうと彼女らの命を奪っていったのだろうと。警察の方は殺人の可能性もあると言っていました。
全身の力が抜けていく感じがしました。とうとう世界で私は孤独になってしまったのだとすら、感じました。
私は、真に「人間」になりました。
○
顛末を話し終えるとシガミさんは乾いた拍手をくれました。
「これが、ヌシの動機か?」
「はい。そうですね」
「しからば何だ、後悔っていうのはなぜ彼女を助けてやれなかったのか、ってトコロか」
シガミさんがくだらなそうに吐き捨てます。けれど、それは違います。
確かに、天使が天にかえったことは少し寂しいけれど、あの時の私に何か出来たとも思えません。後悔とは実現可能だったかも知れない過去に対して使う言葉です。全く不可能な事象に対しては使いません。
「じゃあ何だという。ヌシの後悔は、しかし必ずあるはずだぞ。オレの曇りなき眼で見抜いたのだ」
死に神も曇り泣き眼を持っていたとは驚きです。
「馬鹿野郎。曇ってなくとも、見えている世界が美しいたぁ限らねえじゃねえか」
そう言われればそうです。
「……寒くなってきたな」
シガミさんは白衣をさすりました。どこか懐かしい感じがします。やはり以前お会いしたことがあるような。
「寒いと、火も凍りますかね」
「なんだそりゃ。妙なジョークか、それとも」
「いえ、変な意味はないのですよ。そんなわけも、ありませんしね」
シガミさんは見透かすように目を細めました。そして部屋をぐるりと見回します。
「つまり、後追いってやつか」
本当に彼女はごまかせないようです。シガミさんの前では、どんな隠し事も秘め事も白昼の下にさらされてしまいます。きっと江戸を駆け抜けた天下の義賊も、いくつもの顔を持つ希代の怪人も、あらゆる犯罪を陰で操る悪の教授もお縄にかかってしまいます。
「爆弾という手法にこだわったのは沢口の死に方に合わせるためだ、だろう」
確認をとられますが、事実なので返答の仕方に困ります。何も答えないのをイエスと受け取ってくれたのか、シガミさんは上機嫌になって続けます。
「このカーテンだって、よく見りゃ濡れてる。何かを吸っているんだ。多分可燃性の液体、ガソリンあたり。炎を出す算段か」
私を救ってくれたのは、間違いなく彼女でした。大親友の彼女が命を落とした、もしかしたら天国で暇を潰しているかも知れません。ならば、私が話し相手になってあげるのです。もはやこんな世界にいても仕方がないと考えるのは、おかしいことなのでしょうか。
親友としてこれまでたくさんの喜びや悲しみを分かち合ってきました。ならば、人生の最後も、爆発にあい、燃えさかる炎に身を包まれる苦しみを受けることが、親友の私に出来ることじゃないのですか。それをしないのに親友を自称するなど、許されるのでしょうか。いえ、決して許されません。
「部屋が密閉されているのも、事故の再現をするためだ。ヌシはこうまでして、沢口の後を追おうとしたんだ」
「ダメなんですか」
ついつい、反射的に反抗します。
「死に神のくせに、後追いはダメだとか、自殺をするなとか、そんな月並みなことしかいえないんですか。もう後戻りはできません。爆弾は作動させました。私はもうじき死ぬんです」
「そんなことはどうだって良い。ヌシが死のうが生きようが、オレは変わらないし、関係ない。ただ、ヌシには後悔がある。オレはそれが気にかかる。なあ、死ぬってどういうことか、本当にわかっているのか? 命は取り返しがつかない。どんなに失敗しようが絶望しようが、この先に苦しみや辛さしか残っていなかろうが、未来はまだ未定なんだ。幸せや喜びが待っていると信じることは出来る。でも死んだら、もうこの世では何も起こせない。ヌシという魂は救われないままなんだ。それだけは、シガミとしてそれだけは、絶対にダメなんだ」
シガミさんはそう言うと、ゆっくりと私の背後を指さしました。
「そこを見ろ。そこにお前の後悔がある」
振り返って、目を見張ります。
そこにあったのは、もう二度と手に入らないと思っていた交換ノートでした。
事故の後、沢口さんのご家族と会うことはありませんでした。どういう顔をすれば良いのかわからなかったからです。そうこうしているうちに、彼女の持ち物は全て神社で焼かれたと聞きました。交換ノートも、その時なくなった物だと思っていたのに。
震える手で恐る恐るページを開きます。
『7月22日。来週地元に戻ることになったよ。帰ったらまず、家族に会いたいかな。そんで、次はアンタに会うぞ。私の、一番大好きで、一番大切な親友。明日電話をする。聞いて驚け』
間違いなく、彼女の字で書かれた、あの交換ノートでした。
一番大好きで、一番大切な親友……。
次のページをめくると、そこにあり得ない物を見つけました。
『8月15日。あの子、泣いていた。私のせいだ。でも、私がいなくても元気に生きて欲しい。おばあちゃんになるまで、死ぬんじゃないぞ』
この日付は、彼女が死んだ後です。このページに記述があるのはおかしいはず。けれど、これは間違いなく彼女の字でした。
ページはまだ続きます。
『8月14日。コレを交換できるのも、もう当分ない。今年は元気そう。よかった』
『8月16日。今年はなんだか元気がない。どうしたのか、辛いことでもあったのか』
記述は今年まで続いています。コレは、死んだ彼女の日記……?
彼女は、ずっと見ていたのでしょうか。彼女は、今もそばにいるのでしょうか。そんなことを救いにして、生きていても良いのでしょうか。
「私は、私は……」
振り返ると、そこにシガミさんはいませんでした。
そして、私は時計を止めることを決めました。
○
シガミとは、妖怪の一種である。主に東北や北陸などの雪国で多く現れる。死に神、とも言われるが「しがらみ」が転じて生まれた妖怪とも言い伝えられている。死を覚悟した人間の前に、その人物が抱えるしがらみが人の形を持って会話をし、死のうとする人を現世につなぎ止めるのだそう。その際に、記憶の中で最も縁のある人物に化けて出るらしい。それはその人に死んで欲しくない誰かの魂が乗り移っているからだとも言われている。
シガミさん ラピ丸 @taitoruhoruda-
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